第86話

「ヒナ」





呼ばれてはっと現実を取り戻す。


慌てて顔を上げると、彼が少し振り返ってじっと私を見ていた。




「何?」



「暇ならば、共に写経をしろ。心がやすまるぞ」




少し戸惑ったように、彼はそう言った。



心配してくれたのかしら。




「うん。どうやってやるの?」




立ち上がって、彼の横に座る。




共に、と言ってくれたことが嬉しい。




大丈夫、一人じゃない。



少なくとも彼がいてくれる。





「簡単だ。紙に経を書いていくのだ。私が先に書いているからそれを手本にして同じように書いていけ」





墨とすずりを借りて、意気揚々と半紙に向き合った。



お手本を見たけれど、ん?と思う。




「何このミミズが這ったような字は。」




彼は途端に眉をしかめた。




「ヒナは字が読めないのか?」




そう言われて今度は私がムッとする。




「バカ言わないでよ。読めるし、書けるわよ。ほら」




半紙に自分の名前を書いて彼に見せる。


ご丁寧に、ひらがなまで書いて。




「・・・ヒナこそおかしな字を書くな。潔いと言うかなんと言うか・・・漢字だが、私たちが使っている漢字とは形が違う」




彼はまじまじとそれを見て呟いた。




「私の時代はこうやって書くのよ。貴方みたいに文字を繋げて書かないの」



「これは平仮名か?全く違うぞ」




彼の字がミミズが這ったように見えたのは、文字と文字を繋げて書いているからだわ。


筆のせいかしら。



シャープペンとか鉛筆とかは、こんな風に繋げて書こうとしても難しいもの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る