尻
第40話
すーすーする。
お腹が痛くなりそうだし、何より、走れない。
例えば、私がものすごい勢いで走ったとして、それでものすごい勢いで転んだとして、そうしたら恐ろしいことになる。
何よりもあの男の前でそんなことになりたくはない!!!
「何をもじもじしているのだ」
その声に思わず飛び跳ねる。
振り向くと、案の定彼の顔があった。
ぎょっとして叫ぶ。
「なっ何でもないわよ!何でここにいるのよ!」
「竹原殿に、改めて挨拶にな。兵衛殿の叔父らしいから。そうしたらお前がここでもじもじしていたから声を掛けたのだ」
竹原殿は、しげちゃんのお父さんだ。
ダルマのお父さん。
「もじもじしていないってば!ああ、もう早く行って来なさいよ!」
一刻も早く彼を部屋から追い出そうと、その背をぐいぐいと押す。
けれどびくともしないから憎たらしい。
「そうだ、彦四郎」
「はっ」
どこにいたのか、ひこしろうと呼ばれた人はさっと私と彼の前に立った。
昨日柿色の着物を着ていた人の中の、一人だと気づく。
彼が先に休ませてもらえって言ったときに真っ先に声を上げた人。
40代前半だろう。
明らかに彼のほうが若いのに、彼のほうが偉そうだ。
「面白い鳥を捕まえた」
そう言って、私の腕を掴んだ。
ぎょっとする。
彦四郎さんの目は私をじっと見ている。
昨日あんなに私をじろじろと見ていたじゃないの!
「さっ!桜井千鶴子ですっ!!」
思わず声が裏返って、一気に恥ずかしくなった。
彼は笑いを噛み殺している。
彦四郎さんも、笑っちゃいけないと言うように、私から視線を外している。
その肩は、露骨に震えていたけれど。
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