第37話

このままじゃ喋れないから、その手を無理やり外す。





「『いみな』って何よ?」





眉が歪んだけれど、すぐに彼はそうだったと言うようにため息を吐いた。





「『諱』とは、人間の本名だ」






「本名?」




「例えばお前の名、『桜井千鶴子』ならば、本来、桜井『雛鳥』千鶴子。となる。桜井が苗字。千鶴子が本名、つまりはいみな。雛鳥があざなだ」




「やめてよ。『雛鳥』って言うの」




抗うと、彼は楽しそうに笑った。



それにしてもこの人、『ヒナ、ヒナ』呼ぶくせに、私の本名フルネームで覚えていたってなんだか恥ずかしい。





「周りのものが普段お前を呼ぶ時は『雛鳥』と呼ぶ。千鶴子は本名だから、呼ばないし、誰にも教えない。知っているのは父母と主君だけだ」




と、いうことは、本当は『桜井雛鳥』です。って名乗るべきだったのか。



そんなことを言ったって、もう名乗ってしまった。



千鶴子って。




私の時代にはそんなものないもの。





いや、あるのか?


あったとしても、その存在を知らない。






「名乗る名前っていうのは、実質本名じゃないから、あだ名の一種って言うこと?」




「いや、あだ名はその人物に親しみを込めて呼ぶ愛称のことだ。あざなは普段名乗るときに使う名」





いよいよわからなくなってきた。



ううん、待って。



例えばこの人は私を『ヒナ』と呼ぶけれど、それはあだ名。




どんなにこの人がヒナと呼ぼうが、私が初めて会った人に名乗るときは桜井ヒナですなんて言わない。





それとは別に、普段名乗る名があざな。





私の本名が、桜井雛鳥千鶴子だったら、



桜井雛鳥ですって名乗るのが正解。






『千鶴子』は決して名乗ってはいけない名。




口に出してはいけない名。





それが『いみな』。






「本名を呼ばないって、どうして?」





「まあ色々あるのだ。そういう慣習。とにかく私の名をお前が口に出すのは許されないことなのだ」





色々あるって、説明するのが面倒くさいと言っているようなもの。




ちょっとムッとする。







「もしやそれは貴方だけに当てはまるって言うことなの?」






小さく彼は首を振った。



傍にいるせいで、その振動で髪が私の頬をくすぐる。

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