音の色

挑戦のはじまり-全国大会へ向けて

### 第一章:「挑戦のはじまり」


秋の風が少しずつ冷たくなり、校庭の木々が赤や黄色に染まりはじめる頃、私たち吹奏楽部に大きな挑戦が訪れた。夏のコンクールが終わり、少しの間だけのんびりとした日々を過ごしていた私たちに、顧問の大沢先生がぽつりと告げた言葉——「全国大会を目指してマーチングに挑戦しよう」——は、驚きと不安を一気に巻き起こした。


マーチング。普段の吹奏楽とは違い、演奏しながら隊形を組んで歩き、踊るように表現するパフォーマンス。私たちの中には、これまでマーチングに本格的に取り組んだことがある者はほとんどいなかった。だからこそ、その挑戦は未知であり、不安でもあった。


「マーチングって、どんな感じなんだろう?」


私、藤原遥はフルートを担当している。小柄な私は、フルートの音色が自分に合っていると感じていたし、吹奏楽の中でも落ち着いた役割を担ってきた。けれど、マーチングはその「落ち着き」とは正反対の、ダイナミックで視覚的なパフォーマンスを求められるものだった。正直、自信がなかった。


「先生、本当に私たちでやれるんですか?」


部の副部長である山田翔太が、私たち皆の不安を代弁するようにそう尋ねた。彼はサックスを担当していて、楽器の腕もかなりのものだが、慎重で現実的な性格だった。


「もちろんだよ。君たちならやれると信じている。ただし、努力は必要だ。全員が一丸となって、目標に向かって走るんだ」


大沢先生の声には、確信と覚悟が込められていた。先生自身も、マーチングの経験が豊富というわけではない。しかし、私たちを信じ、前を見据えている様子だった。


「とにかく、挑戦する価値はある。全国大会は厳しい戦いだが、そこで得られるものも大きい。やってみないか?」


私たちは顔を見合わせた。誰もが、心の中で葛藤しているのがわかる。それでも、少しずつ部員たちの表情に決意の色が見えはじめた。私も、そのひとりだ。逃げ出すことは簡単だった。けれど、せっかくの挑戦を前にして、このまま何もせず後悔するのは嫌だ。どんなに厳しくても、今ならまだ間に合う。


「やりましょう」


気がつくと、私は自分の声が出ているのに驚いていた。皆が私の方を振り向き、その視線が一瞬にして部全体に広がった。私だけではなかった。他の部員たちも、次々と頷き始めた。


「そうだ、やってみよう!」


「このメンバーで全国大会に行こう!」


不安の中にあった部員たちは、いつの間にかその声をひとつにし、心を一つにしていた。大沢先生は嬉しそうに頷き、そして言った。


「よし、じゃあまずは基礎練習からだ。これから厳しい日々が始まるぞ。でも、その先には大きな達成感が待っている。さあ、始めよう」


### 第二章:「汗と涙の日々」


マーチングの練習は、想像以上に過酷だった。音楽を演奏するだけではなく、同時に複雑な動きを覚えなければならなかったからだ。初めての練習では、ただ歩きながら演奏することすらままならなかった。


「どうしてこんなに難しいの!?」


息を切らしながら、クラリネットの佐藤沙希が叫んだ。彼女は技術的には優れた奏者だったが、体力には少し自信がなかった。動きながら息を使うのは、予想以上にきつい。私も同じだった。普段の練習ではそこまで動かないのに、マーチングでは全身を使うため、体力が削られていく。


「こんなに歩きながら吹けるわけないじゃん…」


沙希の言葉に皆が共感し、誰もが疲労で動きが鈍くなっていた。けれど、その時にふと目に入ったのは、大沢先生のまっすぐな視線だった。


「みんな、諦めないで。確かに最初は難しい。でも、慣れてくれば必ず上手くなる。今は我慢の時だ。君たちならできる」


その言葉に、私たちは少しずつ立ち上がった。マーチングは個々の力だけではなく、全体の調和が大切だ。ひとりひとりが諦めたら、全体のパフォーマンスも崩れてしまう。だから、どんなに疲れていても、全員で声をかけあいながら練習を続けた。


「はい、次は歩幅を合わせて!1、2、3、4!」


リーダーとして、翔太が大きな声で指揮を取る。彼の声が校庭に響くたび、少しずつ隊形が整っていく。私たちは失敗しても、すぐに立ち直り、何度もやり直すことを繰り返した。


ある日、練習が終わった後、沙希が私に話しかけてきた。


「遥、私もう限界かも…」


彼女の顔には、明らかな疲労が浮かんでいた。無理もない。毎日の練習は、心も体もすり減らすようなものだった。けれど、私は彼女の目を見て言った。


「沙希、私たち一緒に頑張ろうよ。今は辛いけど、絶対に結果が出るから。私たちで全国に行こう!」


自分でも驚くくらい強い声が出た。それは、自分自身にも言い聞かせる言葉だったのかもしれない。沙希は一瞬驚いたようだったが、やがて笑みを浮かべて頷いた。


「うん、わかった。頑張ろう、遥」


その日から、私たちはさらにお互いを励まし合いながら、練習を続けた。疲れている時ほど、誰かが声をかけることで気持ちが軽くなり、また前に進める。翔太も、リーダーとしての責任を背負いながら、皆をまとめていた。


### 第三章:「全国大会への切符」


季節は冬へと移り変わり、マーチングの全国大会の予選が近づいてきた。予選を突破するためには、パフォーマンスだけでなく、技術的にも高度な演奏が求められる。私たちは、これまで積み重ねてきた練習の成果を試される日が、すぐそこまで迫っていた。


予選の会場は、広大な体育館。緊張感が漂う中、私たちは本番のステージに立った。観客席には他の学校の吹奏楽部もたくさんいて、プレッシャーが一層増した。


「緊張するなあ…」


誰かが小さく呟いたが、私はその言葉を聞き流すように、自分のフルートを手に握りしめた。ここまできたんだから、後戻りはできない。


「みんな、大丈夫だよ。これまでやってきたことを信じて、自信を持っていこう」


翔太が小声で皆に呼びかけた。彼の言葉が、私たち全員の心を支えてくれた。そして、ついに演奏が始まった。


私たちの演奏は、まるで音楽が体に染み込んだように、自然と動きと一体化していった。これまでの練習の成果が全てこの瞬間に


集約されていた。全員が息を合わせ、音楽が空間を包み込む。そして、最後の一音が鳴り響いた時、会場はしばしの静寂に包まれた。


やがて、大きな拍手が沸き起こった。その瞬間、私は涙が溢れそうになった。ここまでやってきた日々が、全て報われた気がした。


結果発表の日。私たちは手を握りしめ、固唾を飲んで結果を待っていた。そして、ついにその瞬間が訪れた。


「藤原高校、全国大会出場決定!」


司会者の声が響いた瞬間、私たちは一斉に喜びの声を上げた。努力が実った瞬間だった。涙が頬を伝い、抱き合いながら喜びを分かち合った。


「やった…私たち、本当にやったんだ!」


沙希が泣きながら叫んだ。翔太も目を潤ませながら、静かに頷いた。


「みんな、よく頑張った。でも、これがゴールじゃない。全国大会はこれからだ。もっと上を目指そう!」


私たちは新たな目標に向けて、再び歩き出した。この仲間たちと共に、どこまでも進んでいける——そう信じられる瞬間だった。


(続く)

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