待ち合わせ

 そして迎えた土曜日。


 僕は少し迷いはしたが、折角姫宮と一緒に選んだのに着ていかないというのも違うだろう、と思い、先日買った、ネイビーのシャツとベージュのチノパンを着ていく事にした。


 そして、また以前の様に母に寝癖の事を指摘されてはたまらない。


 そう思った僕は洗面所で寝癖を直してから、玄関に向かう途中で、台所で作業をしていた母に声を掛けた。


「今から出掛けてくるね」


 僕の声を聞いて、母は作業の手を止めると顔を上げてこちらを見た。


「……デートにでも行ってくるの?」


 表情も変えずに言った母の一言に僕は動揺してなんて言葉を返せば良いのかが分からなくなってしまう。


「……別にそんなんではないよ。ただ遊びに行ってくるだけ」


「ふーん」


 それでも、母が言った、『デート』という言葉だけは否定をしておかなければならない。


 そう思って発した言葉に母は疑う様に声を上げた。


 そうして、母は僕の身体の天辺から爪先までをジロジロと見始めた。


 また、寝癖の時の様な指摘が飛んでくるのだろうか。


 そう思った僕はとても居心地が悪く感じた。


 やがて、僕にとって長く感じた時間が終わったのか、母は僕に目を合わせると口を開いた。


「まぁ、気を付けて行ってきなさい」


 何か言われるのではないか、と思っていた僕は母が何も言わなかった事に拍子抜けしてしまった。


「……何? 行かないの?」


 中々動き出さない僕の事を不思議に感じたのか、母がいぶかしげな視線をこちらに向けてきた。


「あ、いや、何か言われると思って」


「何? やっぱりデートなの?」


 その母の言葉を聞いて、このまま話を続けていたら、ただ墓穴を掘るだけだ。


 そう思った僕は、「いや、何でもない。行ってくるね」と、早口に言うと、靴を履いて足早に玄関から外に出たのだった。


 家を出て駅に着くと、僕は電光掲示板で電車の時刻を確認した。


 これから来る電車に乗れば、姫宮と相談して決めた時間に到着するだろう。


 そう思った僕は、先頭車両が止まるであろう場所に移動すると、ポケットからスマートフォンを取り出した。


 そして、『予定通りに一番前の車両に乗っているね』と打つと、姫宮に送信をした。


 すると、そのタイミングで電車がホームに入って来たので、僕は電車に乗り込むと、空いている席に腰を下ろした。


 そして、姫宮から返信が来ていないかを確認する為にスマートフォンを取り出すと、一件のメッセージが来ていた。


 確認すると、姫宮からで、『了解!』という言葉と共に、女の子が敬礼をしているスタンプが送られて来た。


 もう少しすると姫宮に会えるが、僕はなんとなく返信をしておいた方が良いと思い、犬が、『よろしくお願いします!』と言っているスタンプを送ると、スマートフォンをポケットにしまった。


 やがて、電車が次の駅に着き扉が開くと、姫宮がキョロキョロと辺りを見回しながら車両に乗り込んできた。


 僕は姫宮に気が付かれる様に手を挙げると、それに気が付いた姫宮がこちらに笑みを浮かべながら近付いてくると、「瀬戸君、おはよう」と言って、僕の隣に腰を下ろした。


 それに、「姫宮さん、おはよう」と言葉を返すと、僕の視線は姫宮が着ている洋服に向かった。


「姫宮さん、その洋服はこの前買いに行った時のだよね?」


 僕の言葉に姫宮は嬉しそうに頷いた。


「そうだよ。折角だから着てきたんだ」


「姫宮さんに良く似合っているね」


 僕の言葉に姫宮は、「ありがとう」と言って、笑みを浮かべた。


「そう言う瀬戸君もこの前買った洋服だよね? とても似合っているよ」


 姫宮の言葉に僕が、「ありがとう」と呟くと、姫宮は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「それにしても、同じ色の洋服を着て、ペアルックっぽくなったね」


 その姫宮の指摘に僕は顔が熱くなるのを感じながら、「そ、そうだね」と、言葉を返した。


 姫宮はそんな僕の様子を見ながら、嬉しそうに微笑んでいる。


 そんな姫宮を見て、僕だけ慌てている事に恥ずかしくなった僕は話題を変える為に口を開いた。


「その、今日の予定だけど、始めは水族館に行って、その後は島で色々見て回るって感じで良いんだよね?」


 僕の言葉に姫宮は楽しそうに頷く。


「うん、最初に行く水族館は、『キミユメ』の中で、ヒロインとデートに行く場面で出てきたよね。あのシーンも良かったから楽しみだな〜」


 その時僕は、姫宮の言った、『デート』という言葉にふと思う事があった。


 冷静に考えてみれば、同じ色合いの服を着て、電車に揺られているこの状況は周りから見ると、デート中のカップルに見えるのではないだろうか。


 そう思うと、なんだかとても緊張してきた。


「……瀬戸君、どうかした?」


 そう一人で考えていると、言葉が返ってこない事を不思議に思ったのか、姫宮はそう言うと、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。


「えっ? いや、なんでもないよ?」


 僕は姫宮の顔が目の前にある状況に驚きつつも、何とか言葉を返すと、電車の窓に映っている景色を見た。


「今日は天気が良いから海とかも綺麗に見えると思って」


「確かに、海も名シーンが多いから晴れて良かった!」


 僕の言葉に姫宮も窓を見て嬉しそうに言った。


 そのやり取りで調子を取り戻した僕は、その後僕達は目的地に着くまで、『キミユメ』の話に花を咲かせたのだった。


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