勉強会 二

 そして、翌日の放課後。


「姫宮さん、準備出来た?」


 ホームルームが終わると、帰り支度をした僕は、姫宮の席まで行って声を掛けた。


 最近は僕が声を掛けると、姫宮の周りに居る生徒が、今日は当番の日だという事を察するからか、姫宮のついでとは言え、「瀬戸も頑張って」や「瀬戸君もいつもお疲れ様」と、声を掛けてくれる機会が増えた。


 最初はその言葉にどう返したものか、と戸惑う事もあったが、今では、「ありがとう」と、普通に言葉を返す事が出来るようになっていた。


 しかし、今日は、何一つ言葉が発せられる気配が無く、代わりに姫宮の周りに居た生徒の訝しげな視線が僕に投げ掛けられた。


 僕は、どうかしたのだろうか、と不思議に思ったが、その疑問は、直後に発せられた矢嶋の言葉が解決した。


「瀬戸、今日って、図書室の当番の日なの?」


 いつも僕が声を掛けていたのは図書室の当番をする為に一緒に行く為だ。


 それは言ってしまえば、委員会の仕事上の関係という風に周りは見ていて、遊びに行ったりするというプライベートな関係があるとは周りが考えていないという事だ。


 今日は当番の曜日では無いし、テスト一週間前で部活や委員会の活動も停止している。


 その様なタイミングで、普段は当番に行く時にしか声を掛ける事がない僕が姫宮に声を掛けていたら、矢嶋を始めとした姫宮の周りにいる生徒も疑問に思う事だろう。


 そこまで思ってから、僕は矢嶋の疑問にどう答えようかと頭を悩ませた。


 普通に姫宮と勉強をする、と伝えても良いのかもしれない。


 しかし、姫宮は学校で有名な存在だ。


 その姫宮が男子と二人きりで勉強をすると分かったら、実際はそうでなくても様々な憶測が飛び交ってしまうのではないかと僕は思った。


 姫宮に迷惑を掛ける事は避けたい。


 そう思ったが、なんと言葉を返したら良いのだろう。


 こんな時にすぐ言葉が出てくる様なコミュニケーション能力があったら良かったのに、と僕は自分の不甲斐なさを悔やんだ。


「……あっ、昨日、司書さんに頼まれて少しだけやる事があるんだ」


 僕がこの場をどう切り抜けようか、と考えていると、姫宮が声を上げた。


 その瞬間、疑問が解決したからか、姫宮の周りに居た生徒達は皆、納得した様な表情を浮かべた。


 そして、口々に、「それは大変だね」、「瀬戸もお疲れ」と、声を掛けられた。


 僕はそれに対して、「うん、ありがとう」と、言葉を返しながら、姫宮の準備が終わるのを待った。


 やがて、準備が終わると姫宮は、「じゃあ、また明日ね!」と言って手を振ると、「お待たせ、瀬戸君、行こうか」と言いながら、こちらを向いた。


 僕はその言葉を聞いて姫宮に頷くと、僕達は一緒に廊下に出た。


 そのまま僕と姫宮は昇降口で靴を履き、足早に学校を出た。


 それから、駅に向かい電車に乗ると、姫宮が口を開いた。


「みんなに納得して貰えて良かった〜」


「……姫宮さん、ごめん。僕が何も考えずに声を掛けてしまったから」


 すると、姫宮は首を横に振った。


「瀬戸君、謝る必要は無いよ。今日も声を掛けてくれて嬉しかった。でも、中には色々思って噂を流してしまう人もいるから、私、少し嘘を吐いちゃった」


「……姫宮さんはちゃんと周りが見えて、考えているんだね」


 すると、姫宮は頬を掻きながら、「ただ臆病だから周りを見ているだけだよ?」と、苦笑いをした。


 姫宮はそう言って謙遜しているが、同じ臆病でも、傷付く事が嫌で周りとあまり関わる事を避けてきた自分とは大違いだ、と僕は思った。


 やがて、電車は僕の家の最寄り駅に到着をし、僕と姫宮は改札口を出た。


 僕と姫宮が二人並んでしばらく歩くと、僕の家が見えてきた。


「あれが僕の家だよ」


「瀬戸君の家は駅から近いんだね。羨ましいな」


 そんな事を話しながら、僕は、「ただいま」と、姫宮は、「お邪魔します」と言いながら、扉を開けて家に入った。


「あれ? もしかして瀬戸君家、今誰も居ない?」


 僕達の言葉に反応が無い事を不思議に思ったのか、姫宮が尋ねてきた。


「二人とも仕事をしているから、平日は夜まで帰って来ない事が多いんだ」


「そうなんだ。誰か居たら挨拶をしなくちゃと思っていたから、取り敢えず良かったのかな」


 姫宮はそう言うと、小さく息を吐いた。


 どうやら、親に挨拶すると思っていて緊張していたようだ。


 それなら、事前に両親が居ない事を姫宮に伝えておけば良かった。


「姫宮さん、僕の部屋はこっちだよ」


 そう思いながら声を掛けると姫宮は、「はーい」と言って、僕に付いてきた。


 僕の部屋の前に着き、扉を開けると姫宮が、「おー」と、声を上げた。


「すごい! ライトノベルがいっぱい」


 姫宮は部屋にある本棚に入った本を興奮した様子で見ていた。


 本棚には、漫画や一般小説もあるが、ほとんどはライトノベルが入っている。


「あっ、これ、聞いた事あるタイトルだ。有名な作品だよね?」


 姫宮は早速、本棚の本に興味を持っている様子だったし、僕も早く会話をしたかった。


 しかし、今話し始めてしまうと恐らく楽し過ぎて勉強に手が付かなくなってしまうだろう。


「姫宮さん、先に勉強を終わらせて、後で本の話をしようか」


 そう思った僕は、話したい気持ちを抑えて、姫宮に提案をした。


 僕の提案を聞いた姫宮は表情を引き締めると、「そうだね」と言って、置いてある座布団の上の座った。


「じゃあ、まずは数学から始める?」


 姫宮の言葉に頷き返すと、姫宮は、「了解」と言って、テーブルの上に参考書や筆記用具を準備し始めた。


 僕も数学の課題を準備し終えると、それを見て、姫宮が口を開いた。


「じゃあ、始めようか。瀬戸君、分からない事があったら、いつでも聞いてね」


 その姫宮の言葉に感謝の気持ちを抱きながら、僕が頷くと、それぞれ用意した問題集の問題を解き始めた。


 勉強会が始まると最初の内は、問題集の問題を解く事に集中する事が出来ていた。


 しかし、段々と僕の目の前で集中して問題に取り組んでいる姫宮の事が気になり始めた。


 よくよく考えてみれば、僕は女子と一緒に勉強をした事がない。


 さらにそれに加えて、女子を自分の部屋に招き入れたのも姫宮が初めてだ。


 問題を解きながら、頭の片隅でその事に気が付いた僕は、今更ながらその事に緊張感を持った。


 しかし、姫宮の存在を意識し過ぎて勉強に手が付かなかったとなれば、勉強会の意味が無くなってしまうし、何より姫宮に申し訳が立たない、と僕は思った。


 その時に解いている問題の解き方がよく分からなくなってしまった僕は、これを良い機会だと捉え、姫宮に質問をする為に口を開いた。


「姫宮さん、一つ質問をしても良い?」


「うん、どこが分からなかった?」


 僕が声を掛けると、姫宮は問題集から顔を上げて、僕の隣に移動した。


「えっと、この問題なんだけど……」


 僕は姫宮の体温を近くに感じて動揺したが、それを抑えながら、姫宮の方に問題集を寄せた。


「ああ、この問題は難しいよね。えっと、まずは……」


 姫宮はそう言うと、細かく僕に確認を取りながら丁寧に問題の解き方を教えてくれた。


 姫宮に教えてもらっている間は、問題を解く事に集中しているからか、特に恥ずかしくなったり、緊張をする事は無かった。


 これなら何とかなりそうだ、と僕が思った時だった。


「そうそう、そんな感じ。これが理解出来たなら次の問題は簡単に解けると思うよ」


 姫宮はそう言うと、髪を耳にかけた。


 その仕草に思わず女性らしさを感じた僕は、つい姫宮を見つめてしまった。


 そうしていると、僕の視線に気が付いた姫宮が顔を上げた。


 今まで二人で同じ問題集を見ていたので、姫宮が顔を上げた事によって、僕と姫宮は至近距離で見つめ合う形になった。


 姫宮の顔が間近にあり、長い睫毛や大きな瞳が見て取れた。


「あ、あの、瀬戸君?」


 姫宮の戸惑う声に僕は慌てて距離を取った。


「ご、ごめん!」


 姫宮に言われて動揺した僕が慌てて謝ると、姫宮は、「べ、別に大丈夫だよ」と、顔を赤くさせながら呟いた。


 その後は、なんとなく気不味い雰囲気の中、僕と姫宮は黙々とそれぞれの問題集を解き進めたのだった。

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