姫宮の気持ち 二

 図書室に居た生徒が全員退室すると、その後、新しく入ってくる利用者の気配が感じられなかった。


 しばらくは新たに入ってくる利用者はいないだろう、と僕が思っていると、隣で姫宮が、「うー」と言って、身体を伸ばした。


「やっぱり利用者がまとめて来ると大変だね」


「そうだね。一人ひとりが借りる冊数も多かったしね」


 そう話しながら、しばし休憩といった雰囲気になり、僕と姫宮は身体の力を抜き、椅子に深く腰掛けた。


「ねぇ、瀬戸君」


 そうしただらけた雰囲気の中、姫宮がおもむろに僕に声を掛けてきた。


「どうしたの? 姫宮さん」


 僕はそう言いながら姫宮に顔を向けた。

 僕と目が合うと、姫宮は微笑みながら、「さっきはありがとう」と、呟いた。


「さっき」とは、恐らく先程の矢嶋とのやり取りだろう、と思った僕は、「そんなに大した事はしていないよ」と、言葉を返した。


「それにしても、瀬戸君が、『本を持って来る』って、言って椅子から立ち上がった時は、何を持って来るつもりなのかな、もしかして、ライトノベルなのかなって、すごく焦ったよ」


「姫宮さん、すごく心配そうな顔をしていたもんね。不安にさせてしまってごめん」


「全然、怒ってなんかいないよ。むしろ感謝しているの」


 その言葉を聞いて、安心した僕は、「良かった」と言いながら、ホッと息を吐いた。


「そういえば、『結構古い本』って言っていたけど、凛花に貸したあの本は瀬戸君のお気に入りなの?」


「そうだね。僕が小学生の時に図書室に置いてあったのをたまたま見つけて読んだんだ。そうしたら、とても面白くて、今思えば、あの本がきっかけで良く本を読む様になったかもしれない」


 そこまで言うと、姫宮がニコニコしながら、僕の事を見つめている事に気が付いた。


 僕はそんな様子の姫宮を不思議に思い、「……僕、何かおかしな事を言ったかな」と、姫宮に尋ねた。


 姫宮はニコニコしながら首を横に振って、僕の言葉を否定した。


 そうしたら、何故、姫宮はずっとニコニコしているのだろう、と思っていると、姫宮がゆっくりと口を開いた。


「いや、凛花に言われるまで気が付かなかったけど、確かに、瀬戸君、好きな物について話す時は熱くなっているなぁ、と思って」


「…‥そうかな。好きな物について話し出すと周りが見えなくなる姫宮さんの方が僕より大分熱く語っていると思うよ」


 熱く語る事は悪い事ではなく、そもそも、今話している事は、どんぐりの背比べみたいなものだと頭では理解をしていたが、なんとなく気恥ずかしくなった僕は姫宮に言い返した。


「……確かに、その事を言われると何も言えないかも」


 腕を組みながら悔しそうな表情をしている姫宮が面白く、そしてなんだか可愛らしくも感じた僕は一人で笑い声を上げた。


「あ、笑った! もう笑わないでよ〜」


 姫宮の発した言葉は僕が笑った事を責めたものであったが、その口元には笑みが浮かんでいた。


 そうして、二人で笑い合っている時に、僕はふと今ならなんでライトノベルを読んでいる事を周りに隠しているのかを聞いてみても良いのではないか、と思った。


 今までの僕であったら他人の気持ちに一歩踏み込むような事をしようと考えもしなかったと思うが、今は姫宮の事をもっと知りたいという気持ちに大きく傾いていた。


「……姫宮さん、あのさ」


 姫宮に聞いてみようと思った事は良いが、改まって聞くとなると、やはり緊張する。


 そんな僕緊張が伝わったのか、姫宮は訝しげな表情を浮かべて、「瀬戸君、どうしたの?」と、尋ねてきた。


 僕は、「もし嫌だったら無理に答えなくて良いのだけど……」と、前置きをしてから、「姫宮さんが、その、ライトノベルを読んでいる事をなんで周りに知られたくないのかを聞きたいなと思って……」と、緊張から歯切れが悪くなりながらも、言葉を続けた。


「……確かに何回も手助けをして貰ったのに、瀬戸君に理由を言っていなかったね」


 そう言う姫宮が浮かない表情に見えたので、もしかて言いたくないのかもしれない。

 そう思った僕は慌てて、「嫌だったら、別に言わなくても良いよ」と、再度姫宮に伝えた。


「いやー、言いたくない訳ではないけど、その、大した理由ではないから、言うのが少し恥ずかしいのと、申し訳ない気持ちがあって……」


 言葉はそこで途切れたが、姫宮は僕に伝えようと、言葉を探している様に見えたので、僕は姫宮が話し始めるのを待った。


「……その、簡単に言うと、ライトノベルを読んでいるって周りに伝えた時の反応を想像すると言い出せなくって。勿論、今は昔と違って特になんとも思っていなくて、受け入れてくれる人の方が多い事は頭では分かってはいるんだけど……」


 そこまで言うと、姫宮は恥ずかしそうな表情を浮かべた。


「大した理由じゃなくて、笑っちゃうよね」


「そんな事ないよ。僕だって初め、姫宮さんにライトノベルを読んでいる事を伝えようとした時は恥ずかしかったよ」


「そうなんだ。早いタイミングで教えてくれたから、そんなに恥ずかしくないのかと思ったよ」


 少し驚いた反応をした姫宮を見て、今更あの時の気持ちを言う事に気恥ずかしさを感じながら、僕は口を開いた。


「……最初の頃は図書室の当番の暇な時間に本を読むつもりでいたから、どうせその時に知られるなら先に言ってしまおうって思っただけなんだ」


 姫宮は、「そうなんだ」と、頷いた後に笑みを浮かべた。


「でも、そのお陰で、瀬戸君もライトノベルを読むんだ、もしかしたら、お話が出来るかもって思えたんだよ?」


 あの時、姫宮が驚いた顔をしたのは、そういう事だったのか、と僕は納得した。


「それならある意味、あのタイミングで言っておいて良かったのかも」


 僕が笑みを浮かべながら言うと、姫宮も、「うん、そうだよ。そのお陰で今こうして楽しくお話が出来ているからね!」と、嬉しそうに言った。


 姫宮と話していて、楽しい気持ちになっていた僕は、「でも、姫宮さんだったら、僕と違って社交的だから、もしライトノベルを読んでいる事を周りに言ったとしても、僕より楽しく話せる人がすぐにできるかもしれないね」と、自虐を含めた軽い冗談のつもりで姫宮に言った。


 しかし、少し待っても姫宮から言葉が帰ってこない。


 不安に思った僕は姫宮の様子をうかがった。


 すると、姫宮の表情が強張っているように見えた。


「ねえ、瀬戸君、私は誰でも良いから、『キミユメ』の話をしたいと思って瀬戸君と話している訳ではないよ」


 先程までの明るい口調とは打って変わったその強い物言いに、僕は失言をしてしまった事を自覚した。


 何か姫宮に言わないと、そう思って口を開こうとしたが、姫宮の強い視線が僕の方を向き、その迫力に圧倒されて、僕はその口を閉じた。


「瀬戸君はたまに自分の事を下に見る様な事を言うけど、私は仕方無く瀬戸君と話をしていた事なんかないよ」


 そう言いながら、段々と悲しげな目つきになっていく姫宮を見て、僕は自分の言葉が姫宮を傷つけてしまった、と感じた。


「ひ、姫宮さん、その、ごめん」


 とにかく今すぐに謝らなければ。

 そう思って、僕が言った謝罪の言葉に姫宮はまるでその言葉は受け入れられない、とでも言うように、ゆっくりと首を横に振った。


「駄目、許せない。だって、瀬戸君、取り敢えず謝っている感じがするもん」


 姫宮のその的を得た指摘に僕は何も言葉を返す事が出来なかった。


「瀬戸君、明日お出掛けしよう」


「お、お出掛け?」


 今の話の流れで出てくる事がないであろう単語に、僕はただオウム返しをする事しか出来なかった。


「そう。瀬戸君とだから、私が楽しいって思えるって事をその時に瀬戸君教えてあげる」


 その突然の宣言に戸惑った僕は、「いや、でも、その」と、口をまごつかせた。


「とにかく明日駅前に朝九時でよろしくね」


 その姫宮の有無を言わせない物言いに僕はただ、「分かった」と、呟く事しか出来なかった。

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