第20話 自分以外の誰かのために

 ファミレスで栗花落さんが高校に主席で入学しているほど成績が良いということを知った僕は、あれから毎日ファミレスに通い栗花落さんに勉強を教えてもらった。


 栗花落さんが強気な性格に見えて実は心優しい人間だということは既に理解していた僕だったが、自分も勉強しなければならないというのに平気な顔をして毎日僕の勉強に付き合ってくれる栗花落さんの姿を見て、栗花落さんは自分以外の誰かのために優しさを向けることができる優しい人なのだと改めて実感した。


 自分の勉強そっちのけで僕に勉強を教えてくれた栗花落さんのためにも、僕は必ず全教科で赤点を回避しなければならない。


 1週間付きっきりで勉強を教えてもらったというのに、それでも僕が取れそうな点数はなんとか赤点を回避できるくらいでしかないのが栗花落さんには申し訳ないけど……。


 自分以外の誰かのために、テスト勉強をしたのは今回が初めてだった。


 良い意味でうちの両親は僕がテストで高得点を取ることにこだわっておらず、放任主義で自分の好きなことをやってくれればそれで良いという考え方をしていたので、親のためにテスト勉強をしたことはない。


 僕の両親がそんな考え方に至ってしまったのは、自分が好きなことを何もできずこの世を去ってしまった妹がいたからなんだと思う。


 そうなると、友達もいない僕が誰かのためにテストをしたことなんてあるはずがないのである。


 誰かのためにテストをした経験は無いが、それを言い訳にするわけにはいかない。

 栗花落さんのために、僕は必ず全教科で赤点を回避するんだと、そう決心してテストに臨んだ。


 そして全てのテストが終了し、全教科でなんとか赤点を回避できたのではないかというくらいの手応えを感じながら、後はテスト結果を確認するのみとなり、ついにテストの返却が始まった。




 国語--62点。

 手応え通り、赤点は余裕で回避していた。


 地理歴史--41点。

 平均点が38点だったので、ギリギリの赤点回避だった。


 公民--50点。

 苦手な現代社会の分野ではあったが、これも赤点を回避することができた。


 理科--73点

 複雑な化学なんて絶対に理解できるはずがないと思っていたが、予想以上に高得点を取ることができた。




 そして返却を残すは数学のみとなり、相変わらず騒々しい教室の中で、僕は先生から答案用紙が返却されるのを待っていた。


 最近慣れてきていたと思っていた教室の騒々しさがやたらと鼻に付く。


 テストの返却なんて誰しも余裕があるものではないと思うが、余裕ありげに大声で友達と会話をしているクラスメイトにイライラしながら、僕はテストの返却を待った。


 テストを返却され、歓喜する生徒もいれば落胆する生徒もいる。


 歓喜させてくれとは言わない、贅沢は言わないので、頼むから落胆する側の生徒に入ることだけはやめてくれと願いながら、自分の名前を呼ばれた僕は席を立ち、先生からテストを受け取って自分の席へと戻った。


 このテストが赤点を回避していれば僕は全教科で赤点を回避したことになり、晴れて栗花落さんと前世のことについてまた話し合うことができる。


 正直数学には赤点を回避しているであろう手応えがあった。


 ただ数学は他の教科とは違って単純な計算ミスで点数を落としている可能性が大いに存在する。


 頼む、頼むから赤点を回避していてくれ。


 そうじゃないと、自分の時間を削ってまで僕に勉強のなんとやらを説いてくれた栗花落さんに合わせる顔がない。


 そしてようやくテスト結果を見る決心がついた僕は、裏返していたテストを一気にめくり、それでいてやはり結果を確認するのが怖い僕は目を細めながらテスト結果を確認した。




 ----16点。




 僕の目に飛び込んできたどう考えても赤点ラインを下回っている数字に、僕は頭の中が真っ白になりそうになった。


 そんな、あれだけ栗花落さんに迷惑をかけて勉強を教えてもらったというのに、それでもまだ僕はこんな点数しか取れないのか。


 この教科さえ、数学さえクリアしていれば全ての教科で赤点を回避することに成功し、栗花落さんに良い報告ができたっていうのに。


 妹と喧嘩をしてケーキを作ろうと思った時もそうだったが、僕が何かをしようしても上手くいかないことが多い。


 入学式の時だって、勇気を出して誰かに話しかけてみようと思っても上手くいかなかったし。


 そんな僕でも、今回だけはなんとしても、なんとしても、と思っていたのだが、やはり僕には何かをやろうとする資格がないのだろうか……。




 そう絶望した刹那、僕はとあることに気が付いた。


「あれっ、これ、答案用紙、上下逆……?」


 最後のテスト結果を確認するのに気持ちが焦っていた僕は、答案用紙を逆にして点数を確認していたことに気がついた。


 そして上下の向きを逆にして点数を見た僕は目を丸くした。




「……91点?」


 自分が取った点数が信じられなかった僕はもう一度上下の向きを確認するが、答案用紙の向きは正しく僕の点数は間違いなく91点だった。




 この結果を持って、僕は全教科で赤点を回避することになったのだ。


 部活もしておらず、何かを本気で頑張ったこともなく、何かをしようとすると上手くいかないことばかりだった僕は、無意識に机の下で小さくガッツポーズを取っていた。


 数学の点数が高くて嬉しかった理由は全教科で赤点を回避したからということだけではない。


 数学は栗花落さんの得意としている教科なのだ。


 栗花落さんが得意にしている教科で赤点を取るわけにはいかないという思いもあったが、何より栗花落さんが得意な教科を、僕も同じように得意になれたことに形容しきれない嬉しさがあった。


 前世の話以外で初めて僕と栗花落さんの間にできた共通点でもあり、僕が嬉しくなるのは当然の話だった。


 一方の栗花落さんはというと勿論高得点だったようで、クラスメイトに囲まれて惜しみない賛辞を送られていた。


 後日判明したことだが、僕に勉強を教えていて自分の勉強時間なんてろくに取れなかったはずなのに、栗花落さんは当然のように学年1位の成績だった。


 栗花落さん、あまりにもバケモノである--。


 今すぐこの数学の結果を栗花落さんに話したい。


 とはいえ、入る余地もないほど大勢のクラスメイトに囲まれている栗花落さんに声をかけるなんてできないし、そもそも大勢のクラスメイトに囲まれていなかったとしても、僕が栗花落さんに教室で話しかけることなんて絶対にできるはずがない。


 まあファミレスで報告すればいいか。


 そんなことを考えながら栗花落さんへと視線を向けていると、突然栗花落さんが僕の方へと視線を向けてきて僕と目が合った。


 えっ、なんで教室で栗花落さんが僕の方を見てるんだ?

 そんなことしたらクラスメイトから僕と栗花落さんに関わりがあることに気付かれ栗花落さんに迷惑をかけてしまうのに。


 そう思って栗花落さんの周囲を確認すると、栗花落さんを取り囲む生徒は栗花落さん以外のクラスメイトの点数の話で盛り上がっており、栗花落さんからみんなの視線が外れていた。


 そして栗花落さんはクイッと一瞬だけ顎を上げるような仕草を見せた。


『テストの点数、どうだったのよ』


 そんな栗花落さんの言葉が脳内再生された僕は、周囲のクラスメイトにバレないように指を9本立て、その後に1本指を立てた。


 すると、栗花落さんの口角が上がり、それから口を動かし始めた。




『や』『る』『じゃ』『ん』




 もしかしたら栗花落さんは全く別の言葉を伝えたかったのかもしれないが、僕の間には栗花落さんの口がそう動いたように見えて、僕はブワァッと目尻が熱くなった。


 その後すぐに栗花落さんは視線を戻し、クラスメイトとの会話へと戻って行った。


 かくして、僕は高校に入学して最大の試練、中間テストを乗り換えることに成功し、晴れて栗花落さんと前世のことについて考えることができるようになったのだ。



 

 この時の僕はまだ嬉しい事実に気付いていない。




 ----前世の話に関係なく、栗花落さんとの関係が間違いなく深まっているという事実に。

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