第2幕

第18話 それでも僕は

 突然僕の前に現れた鬼沢は、栗花落さんの前世のことを知っているような発言をした。


 確か栗花落さんは僕以外に前世の話をしていないと言っていたはず。


 それでも今の鬼沢の口ぶりは、どう考えても栗花落さんの前世の発言を知っている人間の発言にしか聞こえず、僕が訝しみを込めた視線を栗花落さんに送ると、栗花落さんは焦って弁明を始めた。


「ちっ、違うの! 愛君は幼馴染で小さい頃からの知り合いだから、愛君にだけは昔から前世の話をしてて……。仕方ないじゃない! そんな小さい頃からあんまり前世の話はしない方がいいって気付けるはずないでしょ⁉︎」


 確かにまだ周りの反応にそこまで気を配ることのできない幼少期に、前世の話をしてもいいのかしてはいけないのかなんて判別できるはずもない。


 きっと小さい頃の栗花落さんは鬼沢だけでなく、周りの大人たちにも何も気にすることなく前世の話をしていたはずだ。


 最初は大人たちの反応も悪くなかったのだろうが、前世の話を繰り返していくうちに、前世の話をすれば腫れ物扱いされることに気付き始め、少しずつ前世の話をしなくなっていったのだろう。


 栗花落さんの苦悩はそう簡単に推し量ることのできるものではないが、きっと僕が想像している以上に辛い体験だったんだろうな。


 自分の話を大人たちのが受け入れてくれなくて、それどころか冷たい視線を向けられたりなんかして、誰にも相談できず、前世の悩みを1人で抱え込んで……。


 前世の話を誰にもしなくなっていった栗花落さんが、前世で明日見さんが付き合っていたという青谷君の今世である僕を見つけ、思わず話しかけてきてしまったということは、僕を見つけたのは余程嬉しいことだったのだろう。


 ようやく前世の話をできる人、するべき人、理解してくれるかもしれない人、解決してくれるかもしれない人を見つけたのだから。


 そんな辛い体験をしてきた栗花落さんにとって、栗花落さんの話を腫れ物扱いせず真摯に聞いて信じてくれた鬼沢という存在は大きいものだったに違いない。


 栗花落さんの幼馴染である鬼沢なら--栗花落さんのことが好きな鬼沢なら、受け入れ難い前世の話も受け入れて全力で相談に乗ってくれるだろうからな。


 そうなれば、栗花落さんが鬼沢のようなガラの悪い男と付き合いがあるのも理解できた。


「……まあ別に気にしてないけど」

「そんなこたぁどうでもいい! いいからちさちゃんとの関係を切れ!」

「鬼沢、栗花落さんがいなくなるってのはどういうことだ?」

「お前らも気付いてんじゃあねぇのかぁ⁉︎ もし只木が青谷の頃の記憶を思い出したら、人格を乗っ取られるかもしれないってな!」


 鬼沢の的確すぎる指摘に、栗花落さんが鬼沢に前世の人格、明日見さんと人格が入れ替わった話をしたのではないかと栗花落さんへと視線を向けるが、栗花落さんも目を丸くし驚いた様子で首を振った。


「……どうしてそれを君が?」

「俺は昔からちさちゃんの前世の話をよく聞いてたからな。どうすれば前世の記憶を消すことができるのか、むっかしから考えてたんだよ。それで気づいちまったんだ。もしちさちゃんが前世の彼氏の記憶を持つ人間に出会ったら、ちさちゃんの人格が前世の人格に乗っ取られちまうんじゃあねぇかってなぁ!」


 よく考えてみれば、昔から栗花落さんの話を自分のことのように聞いていたであろう鬼沢がその結論に辿り着くことは当然のことだった。


 鬼沢はあくまで推測で栗花落さんの人格が前世の人格に乗っ取られるのではないかと言っているだけだが、それでも確信したかのように栗花落さんと関わるなと鬼気迫る表情で訴えてくる。




 ……鬼沢の言うことを、僕は素直に聞くべきなのかもしれない。


 そうすれば栗花落さんは、前世の記憶に影響されておかしな言動を取ることがあったしても、明日見さんに人格を乗っ取られることは無いだろう。


 それが正解なのかもしれない。


 誰がどう見たって安全牌な選択肢を選択するべきだと言うのかもしれない。


 ただそれは、栗花落さんにとっての正解なのだろうか。


 今後も自分の感情が前世の記憶に影響され、誰にも相談できずに苦悩を抱えながら生きていかなければならないとするのなら、その選択は正解だと声を大にして言うことができるだろうか。




 ----やっぱり僕にはそうは思えない。

 



「……そんなのただの推測じゃないか」

「……あ?」

「正解かどうかもわからないただの推測で何も行動しない選択肢を選べば、栗花落さんの中から明日見さんの記憶は消えないままなんだぞ⁉︎」

「推測だったとしてもだよ。何せどこにも前例がなくてインターネットにも情報が載っていないとなると、自分の導き出した考えを信じるしかねぇんだからな。今お前はちさちゃんの人格を消してしまうかもしれ、とてつもなく危険なことをしてるんだぞ‼︎」


 栗花落さんは僕の方に視線を向け、不安そうな表情を浮かべた。


 鬼沢の言うとおり、どこにも情報が無いとなれば信じられるのは自分のたどり着いた結論だけ。


 一度栗花落さんの人格を明日見さんに乗っ取られてしまった事実がある今の時点では、間違っているのは鬼沢ではなく僕たちの方だ。


 栗花落さんの人格が消えてしまう可能性があるなら、いくら栗花落さんの中から明日見さんの記憶を消すためとはいえ、僕は青谷君の記憶を思い出すべきではない。




 ----それでも僕は、不安そうな表情を浮かべる栗花落さんに、笑っていてほしかった。




「……それでも僕は、青谷君の記憶を思い出して栗花落さんの中から明日見さんの記憶を消す」

「--正気かてめぇ! それでちさちゃんがいなくなったらどうするつもりなんだ!」

「……鬼沢の方こそ正気かよ」

「……は? 俺は正気に決まってんだろうが。正気じゃなかったら俺だってちさちゃんの中から前世の記憶を消そうとしてるわ!」

「鬼沢、君はこれまで栗花落さんが前世のことで悩み、苦しむ姿を誰よりも近くで見てきたんじゃないのか?」

「--なっ、それは……」

「栗花落さんは前世の記憶に影響されて自分の考えとは違う発言をしてしまったりすることもあるし、自分の考えていることが本当に自分の考えなのかって、悩み苦しんできたことだろうよ。その悩みを誰かに話したところで信じてもらえないし腫れ物扱いされることに気付いて、栗花落さんは僕と鬼沢にしか話してないんだよ。要するに、栗花落さんに協力できるのは僕と鬼沢しかいないんだ」

「……」

「鬼沢が栗花落さんの前世の記憶を消すための協力をしないのは、本当に栗花落さんのためなのか? 栗花落さんのためじゃなくて、本当は鬼沢自身のために栗花落さんの記憶を消そうとしたくないんじゃないのか?」

「--っ。……」

「やっぱり僕は栗花落さんの記憶を消すために、青谷君の記憶を思い出すよ。栗花落さんが辛い思いをしないように。何より僕は栗花落さんが前世の記憶に影響されない状態で、100%栗花落さんの状態の栗花落さんと話がしたいと思ってる。だから僕はやるよ。鬼沢」

「……………………」


 僕の答えを聞いた鬼沢は俯いてプルプルと震えながら両手に握り拳を作っている。


 できることなら鬼沢にも栗花落さんの前世の記憶を消すために協力してほしい。

 僕1人ではいくら頑張って栗花落さんの記憶を思い出すために協力をしたとしても限界があるだろう。


 それに鬼沢は栗花落さんに好意を寄せているので、栗花落さんが不利になるような--栗花落さんが前世の記憶を持っていることを周囲に吹聴することはしない。


 それを考えても、鬼沢以上に強力で頼もしい仲間なんてそうそう見つかるものではないので、できれば協力してほしいんだが……。




「----俺は認めねぇぞ! 俺はいつまでも、死ぬまでずっとちさちゃんと一緒にいてぇんだ! そのためにちさちゃんの人格が消えてしまう可能性が0.1%でもあるなら俺は絶対にちさちゃんの前世の記憶を消すために協力はしねぇ! 俺とちさちゃんの関係をてめぇみてぇなポッと出の奴に邪魔されてたまるか! こうなりゃ武力行使だ! ボッコボコにして動けないように--」

「コラッ」


 腕をまくりながら僕に迫ってきた鬼沢を、いとも簡単に止めて見せたのはちさちゃんこと、栗花落さんだった。


「ちっ、ちさちゃん?」

「いくら私のためを思ってやってくれることだとしても、誰かを傷付けようとする愛君なんて嫌いっ」

「ふぐはぁっ‼︎‼︎‼︎‼︎????????」


 効果は抜群だった。


「きっ、嫌いっ、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い……」


 先程までの勢いはどこはやら。


 鬼沢は肩を落とし壊れたラジオのように嫌いという言葉を繰り返しながら、僕たちの前からトボトボと歩き去っていった。


「……ね。チョロいでしょ」

「流石幼馴染、扱いをよくわかっていらっしゃる」

「愛君が私のためを思って言ってくれてるのは理解してるんだけどね。ちょっと行き過ぎたことをしようとするときがあるから。そーゆー時は私がいつもこうして愛君を止めてるの」

「それに関しては本当に助かった。あのまま鬼沢が手を上げてきたらボコボコにされてヤムチャみたいになるところだったから」

「ヤム……?」

「……でも鬼沢には感謝だな。栗花落さんの中から明日見さんの記憶を消す決心ができたから。……って勝手に言ってるけどそれでよかったか? そうなると勿論栗花落さんもリスクをお負わないといけなくなるけど」

「理人君にリスクを負わせるんだもの。当事者である私がリスクを負えないなんて言ってられないわ。……ありがと。よろしくね」


 そう言いながら栗花落さんは僕に拳を突き出してきた。


 一瞬目を丸くした僕だったが、僕は『よろしく』と言いながらその拳に自分の拳をコツンと当てた。


「……ふぅぅぅぅ疲れたぁぁぁぁ。本当に理人君がボコボコにされるんじゃないかと思って焦ったわよ」

「栗花落さんがいなかったらほぼ確で死んでただろうな」

「……というかいつまでも私だけ理人君って下の名前で呼ぶの、不公平じゃない? 理人君も私のこと、下の名前で呼んでよ」

「……え、別に栗花落さんでよくないか?」

「よくない。前世の記憶を思い出すために私たちは仲を深めていく必要があるでしょ?」


 そう言われると、それ以上言い返すことはできなかった。


「千、千吏……」

「え? なんて? 聞こえないんだけど?」

「千、千……」

「あんまりウジウジやってるとちさちゃんって呼ばせるわよ?」

「--千吏!」

「……ふふっ。よろしい」


 栗花落さん……じゃなかった、千吏があまりも恐ろしいことを言うので、僕は即座にこれまでの呼び方をやめ、千吏と名前で呼んだ。

 

 かくして、僕たちは青谷君の記憶を思い出し、明日見さんの記憶を--人格を消すために行動することを決めた。




 ◆◇




『100%栗花落さんの状態の栗花落さんと話がしたいと思ってる』


 その発言を聞いた私は一瞬硬直してしまったが、それに気付かれないよう平常心を保つことに努めた。


 100%私の状態の私と話したいってどういうこと?


 その言葉にはどんな意味が込められているの?


 きっと理人君は売り言葉に買い言葉で、何の気無しにしてしまった発言なのだと思う。


 そうだとしても、私は理人君が何を思ってそんな発言をしたのか、その意味を考えないようにするなんてことはできず、自宅に帰ってからも、それ以降も、理人君のその言葉が頭から離れることはなかった。

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