第12話 理解して包み込める存在

「栗花落さん、栗花落さん!」


 カップルシートから立ち上がった僕は、その場に倒れ込んでしまった栗花落さんの名前を何度も呼んでいた。


 まさかこの年齢にして心臓発作や脳梗塞で倒れてしまったのか⁉︎


 そう考えると栗花落さんを激しく揺さぶることもできず、サーっと血の気が引いていくのだけがわかった。


 明日見さんの記憶を消すことに協力しろって無理矢理お願いしてきたじゃないか。

 最初は僕も渋ってたけど、ようやく協力する気になって協力するって言ったじゃないか。


 あれからまだ今日ダブルデートに来た以外何も協力できていないし、青谷君の記憶も野球観戦した時以来何も思い出してないんだぞ? 


 もっと協力させてくれよ、もっと一緒に居させてくれよ。


 栗花落さんと初めて会話をしたとき、前世の話が信じられなくて協力する気になれなかったこともちゃんと謝るから。


 こんな、こんなお別れなんて--!


「死ぬな! 栗花落さん!」

「--あれ、もしかして千吏倒れちゃった?」

「かっ、加賀崎さんっ」


 そうだ、あまりの焦りで思考が停止してしまっていたが、この場には僕だけではなく加賀崎さんと篠塚もいるんだった。

 

 栗花落さんが倒れている状況でえらく能天気な様子で話しかけてきた加賀崎さんだが、まだ状況が飲み込めていないのだろうか。


「栗花落さんが、栗花落さんが--!」

「千吏なら大丈夫だと思うよ?」

「大丈夫ってなんでだよ⁉︎ 今まさに僕の目の前で突然倒れたんだぞ⁉︎」

「あれ、千吏から聞いてないの?」

「聞いてないのって何を?」

「あちゃー聞いてないのか。そりゃ不安にもなりますわ」

「だから何を⁉︎」


 栗花落さんから聞いている話なんて前世の話くらいだが、それと何か関係があるのか?


 いや、でも栗花落さんは前世の話を僕以外にはしていないはずなので、前世の話とは関係無いだろう。




「それ、千吏の平常運転なんだよね」




「これのどこが平常運転なんだよ⁉︎」


 突然倒れて意識を失うことが平常運転だなんて、そんなわけがない。

 そんな話聞いたことがないし、勿論そんな人間は僕の周りには存在しない。


「まあ平常運転っていうか、よくあることなんだよね。多分それ、貧血で倒れただけだから」

「……えっ、貧血?」


 加賀崎さんの言葉を聞いて、僕は自分が先程プラネタリウムに映し出されていたうざいくらい大袈裟に輝いていた星空と同じように、事態を大袈裟に考えてしまっていたことに気付いた。


「多分今は寝ちゃってる、というか意識をなくしちゃってるような状態だと思うけど、少し横になってれば回復すると思うよ。私と知り合った時から千吏よく貧血で倒れててたから。だから平常運転」


 よっ、よかったぁ……。


 栗花落さんの話を聞いた僕は、力が抜けてその場に座り込んだ。


 突然倒れる人間なんて見たことがないので、何かしらの大病を患っているものだとばかり思いこんでしまったが、確かに貧血で倒れる人間がいるという話は聞いたことがある。


「そっ、そうか……。でも貧血とは言え倒れるのって一大事じゃないのか? 僕の知り合いで貧血で倒れた人なんて……あっ、親戚のお姉さんが倒れたことあるって話は聞いたことあるけど」


 倒れた理由がただの貧血だったのは不幸中の幸いだが、それが平常運転というのも問題だよな。


 少なくとも僕は倒れたことがないし、普通の人間なら倒れたことが無いはずだが。


「いいのいいの。女の子はそういうものなんだって。

「貧血で倒れるのに男の子も女の子も関係ないだろ⁉︎」

「大アリなんですよねぇ、これが。だって女の子には、女の子の日があるんじゃから」

「おっ、おっ、おっ--」

「……あちゃー。思考停止しちゃったねこりゃ。オットセイの鳴き声みたいな声出しちゃってたし」


 そうか、女の子の日か。


 女の子の日といえば、あのよくわからないがスプラッタなイメージのあるアレのことだ。


 僕は女の子の日なるものを詳しくは知らないが、まあ貧血になる理由くらいはわかる。


 加賀崎さんにそんな話をさせてしまったのが申し訳なくて、僕は視線を逸らしながら謝罪した。


「……ごめん。理解しました」

「理解できたならよろしい。とにかく千吏を移動させないとだね。このままプラネタリウムの中にいるってわけにも行かないだろうし。そうだ、只木君--」

「そうだな。僕が運ぶよ」


 僕は加賀崎さんに促されるよりも先に、自ら栗花落さんを運ぶと宣言した。


「えっ、いいの? 恥ずかしがって1人では運ばないって言う只木君に、お姫様抱っこでもしてあげなよ〜って言いながら揶揄おうと思ってたんだけど」

「普通なら恥ずかしいことだって思うかもしれないけどな。加賀崎さんの距離感見てたらそれくらい屁でもないと思ってな」

「なるほど、それはそうだ」


 そう言って誤魔化しはしたが、別に加賀崎さんの距離感を見て自分の距離感がバグったわけではない。


 僕は僕自身の意思で栗花落さんを運んであげたいと思ったのだ。

 加賀崎の人との距離感が普通だったとしても、僕は栗花落さんを運ぶと言っているだろう。


 先程プラネタリウムを見ている時に栗花落さんが見せた涙は、明日見さんの記憶によって流れたものかもしれない。

 栗花落さんの感情とは無関係で、明日見さんのことを全く知らない僕とは何の関係も無いかもしれない。


 しかし、度々明日見さんの感情に影響されてしまう栗花落さんの感情はどうなってしまうのだろうか。


 あの涙が明日見さんの感情によるものなのだとしても、栗花落さんだって明日見さんの感情に自分の感情を乗っ取られていなければ、涙を流していたのかもしれない。


 勿論あの涙が栗花落さん自身が流した涙である可能性もあるが、栗花落さんはあれは明日見さんの感情に影響されたものだと言っていた。


 自分以外の感情が表に出てしまったり、そんな問題を誰にも相談できず1人で抱え込んでいる栗花落さんを、誰が包み込んであげられるのだろう。


 明日見さんの感情を明日見さんの感情だと理解し、栗花落さんの感情を栗花落さんの感情だと理解してやれる人間がどこにいるのだろう。


 今それができるのは--。


「--っよいしょっと」

「おお、意外と軽々持ち上げるね。見た目はヒョロくてもやっぱり男の子は力持ちなもんなんですな」

「僕が力持ちなんじゃなくて栗花落さんが軽すぎるんだよ。それじゃちょっと栗花落さんを横にできる場所まで運んでくる。2人は気にせずどこかで遊んでてくれ」

「えー、私も千吏が心配だからついて行きたいんだけど」

「こら、やめとけ春瑠。ほら、いくぞ」

「えっ、ちょっと、何で無理やり引き離すの⁉︎ ねぇってば、ねぇってばぁ!」


 無理矢理ついてこようとする加賀崎さんをどう引き剥がそうかと考えていたが、空気を読んだ篠塚が加賀崎さんを引き剥がしてくれた。

 人との距離感がバグっていて空気が読めないのは加賀崎さんのいいところでもあるが、やはり欠点でもあり、それを篠塚がセーブする--。


 この2人、ちゃんとカップルやってるんだな。


 こんな時にそんなことを思うのは不謹慎かもしれないが、そんな仲睦まじい2人の姿は僕の目には酷く輝いて見えて、羨ましいと思った。


 とにかく加賀崎さんを引き剥がしてくれた篠塚に感謝しながら栗花落さんを持ち上げ歩き出した僕は、プラネタリウムを出てショッピングモールの外にある芝生の広場へと栗花落さんを連れていくことにした。


 予想はしていたし、当然こうなるとは思っていたが、ショッピングモールの中で気を失った女の子をお姫様抱っこしていると目立つのなんのって。


 すれ違う客全員から視線を向けられるが、今はそんなこと気にしてられない。

 僕が気にするべきは栗花落さんの体調であり、とにかく安全に栗花落さんを芝生の広場まで運ぶことだ。


 そう思った矢先のことだった。


「痛っ--」


 僕は頭に痛みを感じ、そして青谷君の記憶が流れ込んできた。




 ◆◇




 ……何だろう。何かすごく居心地がいい。


 程よい揺れと、何かに包み込まれているような、安心感。


 先程大袈裟に光り輝いていたプラネタリウムの星々と同じくらい大袈裟に例えると、お母さんのお腹の中にでもいるみたいな、そんな感覚だ。


 これは明日見さんが貧血で倒れたときに、青谷君に運んでもらった時の記憶と同じような、そんな感覚だ。


 明日見さんは貧血気味で、よく倒れていた明日見さんを青谷君が安全なところまで運び寝転がせていた。


 まさか体質まで前世から引き継いだのかと驚きだったが、私も明日見さんと同じように貧血気味で頻繁に倒れてしまう。


 もしかすると今私は貧血で倒れて誰かに運んでもらっているのだろうか。


 先程までカップルシートで寝転がりながらプラネタリウムを見ていたので、起き上がったタイミングでクラッとして倒れてしまったのだろうか。

 

 ああ、ダメだ、頭が回らない。


 本当は気を張って目覚めないといけないのかもしれないけど、この心地よさがそれを邪魔してくる。


 ……もしかして青谷君が?


 いや、そんなはずはない。


 青谷君は今世には存在しないのだから。


 明日見さんが感じていたあの安心感は、明日見さんと青谷君の関係性があってこそ成り立つものだ。


 今私が信頼を寄せ、明日見さんが青谷君に感じていたのと同じように安心感を感じられる人なんて存在しない。


 きっと今私を運んでくれているのは、ショッピングモールに常駐しているガタイの良い衛生スタッフか誰かなのだろう。


 ……とにかく今はこの心地よい揺れに身を任せていよう。


 普段は警戒心の強めな私がそう思ってしまう程、この揺れは心地よく、ずっとこのままでいたいと思うほどだった。

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