第2話 前世の自分が好きだった場所

 入学式を終えた僕はそそくさと教室を後にし、帰路に就いていた。

 教室は入学式を終えた後の予定について話している輩で溢れかえっており、あんな地獄に長居できるほど僕のメンタルは強くない。


 (と呼べばいいのか明日見さんと呼べばいいのかはわからん)が口を滑らして僕に向かって『好き』という言葉を放ち、顔を真っ赤にしながら僕の前から立ち去って以降、栗花落さんが僕に話しかけてくることは無かった。


 普通なら先ほど有耶無耶になってしまった前世の話をするために話しかけてくるところだろうが、大方教室内でクラスカーストトップの女子と最下位の男子が会話をしていれば流石に目立つと考え話しかけてこなかったのだろう。


 まあ口を滑らして『好き』----挙げ句の果てには『大好き』という言葉を好きでもない僕、只木理人に向かって言ってしまったのだから、教室内でなくとも話しかけてこなかったとは思うけど。


 とはいえ、流石の僕でもあの言葉は僕に向かって言われた言葉ではなく、青谷君とやらに向かってかけられた言葉だということは理解できる。

 だから気にせず話しかけてきてくれても問題ないのだが、口を滑らしてしまった方からすればもう一度声をかけるなんて無理だと思っているのだろうか。


 どちらにせよあんなに青谷君にメロメロな状態で話していたのでは、また青谷君に対する気持ちが溢れ出して再度『好き』という言葉を僕に向かって告げてきかねない。


 栗花落さんの方から関わってこないとなれば、僕から関わりに行くことは無いので金輪際栗花落さんとは関わることはないだろう。

 それならそれで悪目立ちもしないし、3年間を教室の隅でひっそりと過ごすことができそうだ。




「----只木君」




 ……どうやら人生というものは、そんなに上手くできていないらしい。


「……栗花落さん」


 ひっそりと過ごすことができると安堵した矢先に声をかけられた僕が声のする方向へと視線を向けると、そこにいたのは橋本環奈もかくやという美少女、栗花落さんだった。


「ちょっとツラ貸しなさい」という栗花落さんからのお願い(脅迫)を断ることができなかった僕は、気だるそうに、それでいて心の奥では少しだけ胸を弾ませながら栗花落さんの後ろをついて行った。




 ◇◆




「--さっきの話をちゃんと訂正しておきたいの」


 ファミレスにやってきて席に着き、ストローで一口リンゴジュースを飲んでから栗花落さんは前のめりになりながら話し始めた。


 栗花落さんの言う訂正とは、先ほど僕に放った『好き』という言葉を訂正したいということだろう。


 訂正してもらう必要なんて無いんだけどな。


 僕に向かって『好き』と言ってしまったことで焦った栗花落さんは、『美味しいすき焼きが食べたいなって言おうとしただけで--』なんて見え見えの嘘をついていたが、その言葉が僕に向けられたものではなく青谷君に向けられたものであることは理解しているし。


「訂正されなくてもわかってるよ。僕じゃなくて青谷君とやらに向かって言った言葉なんだろ? そんなことより前世とやらの方の話をちゃんと話してくれないか? 前世があるだなんて信じてないのに、突然僕の前世は青谷君って奴だってこととか栗花落さん----いや、明日見さん? と付き合ってたって話を聞かされて困惑してるんだ」


 栗花落が僕ではなく青谷君とやらに向かって『好き』という言葉を放ったのは明白だ。


 そんなことより僕が知りたいのは前世の詳細な話である。


 今朝は自分が陰キャでぼっちであることを嘆き、もし前世や来世があるならば----なんて考えてしまったが、唯物論者の僕は前世があるなんて信じていない。

 それどころか僕と栗花落さん--じゃなくて明日見さんとやらが付き合っていただなんて、唯物論者の僕でなくても到底信じられる話ではないだろう。


「……そうね。あなたとはこれから嫌でも関わっていかないと行けないだろうしちゃんと話しておくわ」

「さっきも僕と協力するなんて地獄とか言ってたけどそれ本人を前にして言うセリフじゃないからな?」


 僕みたいな地味な男と関わるのが嫌なのはわかるんだけどさ、目の前で『嫌でも関わっていかないと--』って言う失礼な奴中々いないぞ? 

 どれだけ僕のことが嫌いかは知らないが、最低限の礼儀ってものがあるだろ。


 それでも栗花落さんは僕の指摘なんてガン無視で、話しを続けた。


「私の前世の記憶を消すために協力してほしいの」

「だから、まずお願いするよりも先に前世の話を詳しく説明するのが筋だろって」

「……私の前世、明日見さんは前世であなたと--青谷君と付き合ってた。それだけよ」

「説明が少なすぎるだろそれ……」


 せめて僕の前世、青谷君と、栗花落さんの前世、明日見さんが付き合っていた何かしらの証拠を示してくれれば前世の話も信用できるってもんだが、流石にそんな証拠あるはずがない。


「少なくていいのよ。それだけ理解してくれていれば」

「いやそれだけじゃ理解できないって。そもそも前世なんて存在するわけないって思ってる僕がそんな少ない説明で前世の話を理解して栗花落さんに協力するなんて無理な話だろ?」

「前世は存在するのよ。信じられないかもしれないけど」

「前世の記憶だかなんだか知らないが、そんなの夢で見た話を前世の話だと思い込んでるだけなんじゃないのか?」

「いいえ、私が持ってる明日見さんの記憶は絶対に私の前世の記憶よ」

「なんの根拠が会ってそんな自信満々にそんなこと言ってるんだよ」

「こっ、根拠は無いけど……」

「呆れた。なんの根拠も無しに俺に前世の話を持ちかけてくるなんて」

「根拠はないけど協力してもらわないと困るの! だから協力して!」




「……僕が協力してもろくなことにならないぞ?」




 僕は絞り出すようにして、栗花落さんにそう告げた。


 これまでの人生、僕が何かをしようと思う度に失敗し、何一つとして上手く行ったことはない。


 なぜかはわからないが、むしろ何かをしようとすればするほど状況が悪化してしまうのだ。


 それこそ今朝だって、少しだけ頑張ってクラスメイトに話しかけてみようかと思っていたが何一つとして上手くいかなかったし。


 だから仮に栗花落さんに協力したとしても、全てが栗花落さんの思うままに進むはずがないのである。


「……? 別にいいわよ。私だってあなたに協力してもらえば100%明日見さんの記憶が消せるとは思ってないし。とにかく私はあなたに青谷君の記憶を取り戻してほしいの! だから行くわよ」

「えっ、行くってどこに?」

「決まってるでしょ。青谷君が好きだった場所よ」

「好きだった場所……?」


 そして俺は再びわけがわからないまま、栗花落さんの後ろを着いて行くことになった。


 


 ◆◇




「私は前世であなたと付き合ってた。それだけよ」

「説明が少なすぎるだろそれ……」


 説明が少なすぎるのは理解している。 


 しかし、あまりにも説明しすぎて青谷君だった頃の記憶全てを思い出させるわけにはいかない。


「少なくていいのよ。それだけ理解してくれていれば」


 只木君は理解できるはずがないと喚いているが、好きなだけ喚くといい。

 どれだけ喚かれようが、青谷君だった頃の記憶全てを思い出させるわけにはいかないのだから。


「とっ、とにかく! 私はあなたに青谷君の記憶を取り戻してほしいの。だから行くわよ」


 思い出してほしいと言ったり、思い出してほしくないと言ったり、自分の言っていることが矛盾しているのは理解している。


 それでも私の考え方が正しいと思わない?




 記憶を失くした人が記憶を取り戻すときに、例えば仕事での大失敗だったり、大怪我をして激痛を感じたときの記憶だったり、大切な人との別れだったり----。

 そんな辛い経験まで思い出す必要は無いって考えるのが普通でしょ?




 それなら最初から青谷君だった頃の記憶を思い出させようとするべきではないと思う人もいるだろうが、どうにかして青谷君だった頃の記憶を取り戻してもらわなければ困る。




 --只木君が青谷君の記憶を取り戻せば、只木君の中に青谷君の存在を感じた明日見さんの記憶は、成仏して私の中から消え去ってくれるはずだから。




 一刻も早く私の中から明日見さんの記憶を消さなければ、また今朝のように明日見さんの記憶に影響されて、自分の意思とは全く違う言動をしてしまう。


 只木君に青谷君の記憶を思い出してほしい理由はそれだけではない。


 私は私の中でずっと今世に執着している明日見さんを青谷君の記憶に会わせてあげたいと思っている。


 普通の人は前世の記憶なんて持って産まれてこないのに、私の記憶の中に前世の記憶として存在してしまうほど、明日見さんは前世に心残りがあり、そして青谷君に会いたいと思っている。


 だから、私はどんな手段を使ってでも只木君に青谷君の記憶を思い出してもらおうとしているのだ。


「えっ、行くってどこに?」


「決まってるでしょ。青谷君が好きだった場所よ」


「好きだった場所……?」


 同じ内容を繰り返すけど、私が青谷君に思い出してほしいのは、青谷君だった頃の楽しい記憶だけ。

 だから青谷君が好きな場所に言って青谷君が好きなものを食べて、青谷君が好きな景色を見れば、好きな物のことだけ思い出して、苦い記憶は思い出さずに済むんじゃないかしら。


 仮に苦い記憶まで思い出すのだとしても、せめて青谷君がこの世からいなくなってしまった、あの凄惨な出来事の瞬間のことだけは思い出させるわけにはいかない。

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