第十六話その1 『心の準備』
出立の準備を終えると、あたりはすでに暗くなっていた。
昨日までは執務室にいようが大広間で騒ぐ貴族の声が聞こえていたのに、今日は騎士たちの歩く金属装備の甲高い音や慌ただしい声しか聞こえてこない。
日常が農賀祭という楽しい非日常に変わり、さらにクロムウェルとの戦争という最悪の非日常へと変わってしまった。
私に課せられた任務はこの非日常を出来るだけ早期に、犠牲を抑えて日常へと戻すこと。
命も時間も無駄にはさせない。
させてはならないのだ。
「ウィリアム様、気を張るのはいいのですが休憩をお取りください。例えば......アリス様に会いにいくとか」
そう言いながらクリフは私に湯気の立っている紅茶を出す。
アリスと会う、か。
私は自分の覚悟を信じきれていない。もしかしたらアリスと会うことですべてを放り出して逃げたくなるかもしれない。
クリフが大きなため息をついた。
「また余計なこと考えてますよね。今夜会えなかったら次いつ会うつもりですか? ほら、さっさと立って」
「えっちょっと待ってくれ!」
私の腕をグイグイと引っ張り、執務室の扉へと連れて行くクリフ。最近多い気がするのだが、私の意思は関係ないらしい。
さすがに廊下でクリフに腕を掴まれていては恥ずかしいので、襟を正してしっかりとした足取りで屋敷の玄関へと歩く。
早くアリスと会いたいな。
会うと決めたからには心の整理も兼ねて、リラックスしなければ。
「ハンス兄様お願いします! 俺も十分戦えるはずなんです。絶対に、絶対に足手まといにはならないから! お願いします!」
玄関ホールで、複数の貴族に見られながらもハンスの足に必死の形相で縋り付くブレントの姿があった。
「離れろブレント。お前は若すぎる。それに兄様が許すはずが......」
ハンスと目が合い、ハンスの視線に気がついたブレントとも目が合う。
「ウィル兄様!!!! 俺も連れて行ってください。絶対に迷惑はかけないから!」
飛びついてきたブレントを受け止めるが、あまりの衝撃に少しよろけてしまった。
前より筋肉もついて大きくなったな。
将来はきっと父上のような立派な騎士になるのだろう。涙をいっぱいに溜めた目を見れば戦場について行くという覚悟も十分見て取れる。
だから......
「それはできない。ハンスの言う通りお前は若すぎるし、15歳にもなって聞き分けなく泣きつく者を連れて行けば現場の士気が下がる」
あえて厳しい言葉を選んだ。これでブレントが諦めてくれれば、最悪の事態が起きたとしても辺境伯家が潰れることはない。
ブレントも日常と同じ、私たちが命を賭して守る対象であるのだ。
「嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! この日のためにキツい練習にもついてきた。それに、俺がいればウィル兄を助けられるもん! だから――?!」
パチン!
「思い上がるな。......お前のような弱き者は戦場で犬死にすることしかできない。屍を回収するのにも判別するのにも人手がいる。お前の自殺のために貴重な兵力を割かせるな」
頬を叩かれたブレントは何が起きたのかわかっていないようだった。しかし......こんなに酷い言葉を弟にかけるのは相当気分が悪い。
泣きじゃくるブレントを尻目に、私は立ち去ろうとした。これはある意味で貴族への見せしめにもなる。
高い身分で普段何の鍛錬も積まない貴族連中が戦場に出ればどうなるか、結果は火を見るよりも明らかだ。だからこそ、そこら辺の騎士より強いブレントすら来させないことは、変に張り切って戦場へ着いてこようとする貴族たちの心をへし折る役割も兼ねている。
すまないブレント。
ズドーン!!!!!!!!!
「お話は終わりましたね。さあアリスちゃん! お兄様に言ってあげて!」
突如として開かれた玄関から出てきたのは堂々と立つエリノアと......その後ろに隠れていたアリスだった。
エリノアに押されてアリスが私の前へと出てくる。
「あ、あの! わわわ、私今日はウィリアム様と一緒に寝たいでしゅ! ......寝たいです」
噛んだし言い直した。可愛い。
ん? あれ、今なんかすごいこと言われた気が。
さっきまでの騒動を見ていた貴族たちも、泣き喚いたブレントですらも、顔を赤のインクに突っ込んだように真っ赤に染めあげたアリスを見ている。
......後ろであちゃちゃ〜とでも言いたげな妹を見るに、アリスはまた何か
まったく、エリノアにもアリスにも困ったものだな。後処理を押し付けられるこちらの身にもなって欲しいものだ。
アリスの前で片膝をつき、そっと左手を差し出す。
「お、お待ちしておりましたアリス姫。さあ、早く行こうではありませんか」
この状況でアリスをフォローする方法はただひとつ。
私がアリスを誘ったことにしてしまうことだ。
大騒ぎする貴族やポカンとする弟たちを直視することはせず、私はアリスの手を握ってそのまま自室へと逃げ帰った。
*
顔の火照りはまだとれていない。
「アリス......なぜあのようなことを」
いくらエリノアに唆されたとしても、あそこまで直接的な表現をされては......貴族連中には破廉恥極まりない夜のお誘いにしか聞こえないのだ。
国の一大事を前に、団長が白昼堂々と女性を自室に連れ込んだなんて陛下や騎士団の皆に知られればどうなることか。
「だ、だってぇ......エリノアちゃんが今を逃せばウィリアム様と二度と会えないかもしれないって...」
アリスの泣き顔を見ると、責める気も後のことも何も考えられなくなる。と言うよりどうでもよくなる。
だからずるい。
「私は必ずアリスの元へ帰ってきます。たとえ腕の一本だけになろうとも、執念で帰ってきてみせますよ」
アリスに泣き顔は似合わない。アリスにはいつだって笑っていて欲しい。
「腕だけ帰ってきても困りますよ」
「間違いない」
ふたりでしばらく笑い合っていた。すっかりいつもの調子に戻ったアリスを見ると無性に安心する。
「それで、アリスは何をしに降りて来たんだ? 農賀祭期間中は城にいる約束だったろう」
もちろんアリスと会えるのは嬉しい。というか私から会いに行く途中だったし。しかし約束を破ってまで何をしに来たのかは把握しておかなければ。
......まさか本当に夜を過ごしてくれるわけではあるまいし。期待はしていない。決して。
アリスはあわあわとしていたが、整理がついたのかゆっくりと口を開く。
「私は......ウィリアム様の役に立ちたいです。だから、ウィリアム様の近くを離れたくないのです。迷惑だなんてわかってます...でも、それでも! 私を一緒に連れて行ってください!」
私の目を強く見つめるアリスの瞳は、覚悟を決めているようだった。
ブレントと同じまっすぐな目。だからこそ、私の返答は決まりきっている。
「アリスの願いでもそれはできない」
「どうして......ですか? ほら! 私の力を使えば疲れた方々の回復だって、剣術も...少しくらいの心得はありますし、それにそれに――」
「アリス」
「なんで? どうして? 私はウィリアム様のお役に立ってみせます。不慣れだけど、精一杯やってみせます」
「やめてくれ」
「伝説通りの力が出せれば、戦争なんてあっという間に終わらせて」
「黙れ!!」
すべてを拒絶する私の声に、アリスは一瞬口をつぐんだ。
「......ウィリアム様は、私のことが嫌いなのですか?」
心臓にナイフをひと突きされたような痛みが全身を駆け抜ける。
貴族連中も、ブレントも......アリスまで。誰も何もわかっていない。命の重みを、私が守りたいと思うものを、誰もわかってくれない。
「そんなはずがないだろ」
なぜアリスもブレントもわかってくれないのだ?
「じゃあなんで! 私は――」
私にとってふたりは......アリスは何があっても守りたいのに。
「それは......アリスが可愛いから」
止まれ。
「アリスが愛おしいから」
やめろ。
「アリスが居てくれればそれでいいから」
口を閉じろ。
「アリスが......狂おしいほどに好きだから」
気がついたら、
好きな人を守りたい。そんな至極当然な理由を言うのも憚られた。ついさっきアリスに黙れなんて酷い言葉を吐き捨てておいて、なんと都合のいい。
刹那、そっと華奢な腕が私を包み込んだ。
「困らせてごめんなさい。私もウィリアム様が大好きです。だから......居なくなっちゃうのが怖くて、信じようとしても不安でいっぱいで」
「私もすまなかった。アリスの気持ちを少しも理解しようとしなかった。でも、私の気持ちもわかって欲しかったのだ」
包み込むようなアリスの温もりが心地よくて、ずっとこのままでいたくなる。
「アリス。私と共に来てくれるのか?」
散々言っておいて何を今更という感じだが、アリスの意思がもう一度聞きたかった。
「はい。ウィリアム様の隣ならどこへでも」
耳元で囁くアリス。
「たとえそれが......死地であってもか?」
「ウィリアム様となら」
覚悟を感じる。私よりもずっと硬い意思が、確かにアリスにはある。
「わかった。共に行こうか」
「本当ですか! ありがとうございます」
私を包む腕に力が入った。か弱いアリスを連れて行くのは不安でしかないが、生涯をかけて守り抜くのが私の使命なのだから。
「ウィリアム様、その......よければ私の付き添いにブレントさんをつけてくれませんか?」
「まったく、アリスには敵わないな」
この際ひとりふたり増えたところでもう何も変わらないか。真に守りたいものは、肌身離さず近くにいてもらう方が守りやすい。と考えることにしよう。
ブレントには本当に申し訳ない事をしたな。
ダメだ...色々考えすぎて眠たくなってきた。
「アリス、今日はもう寝ようか」
「ひぇ?! わ、私そういうのよくわからなくて......ふつつか者ですが優しくお願いします」
いったいエリノアに何を吹き込まれたんだ。
「はいはい。アリスは寝てるだけでいいから」
「や、まって、待ってください! 心の準備がまだ全然終わってな?!」
アリスをお姫様抱っこでベッドまで運び、そっと寝かせる。
何をされるのかと小動物のように縮こまっているアリスを背に、一度指を鳴らした。
部屋の蝋燭がスッと消える。
「おやすみ。アリス」
アリスの横で寝られる。
戦争が終われば、また一緒に。もしかしたらこれが日常となるのかもしれないな。
「お、おやすみなさい。ウィリアム様」
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