第八話 『パーティーとお酒の夢』

 王都を囲う二重の城壁の外部にあるヴァーグ宮殿。昔はヴァーグ宮殿を中心に王都が発展したいたと本で読んだことがあるが、今は政治の表舞台に出てくることはない。


 ヴァーグ宮殿は今となってはもっぱら貴族や王族の宴会場として余生を過ごしている。


「行こうか、アリス」


 王宮と変わらない広さのロータリーで馬車を降り、私はアリスの手を取って宮殿の中へと入った。



 メインホールには当然数えきれないほどの貴族とその連れの方々がいる。


 第一近衛騎士団の初代団長を輩出したレロル侯爵、第一宰相を歴任して王室を支えているドートレス公爵、五大侯爵家筆頭のテレスタレ侯爵。


 少し見渡せば大物ばかりで、彼らの周りには名も無き伯爵や子爵がまとわりついている。


 私と並んで立つアリスを見てみると、何やら目が回ったようにフラフラとしていた。


「アリス、大丈夫か?」


「すみません...ちょっと眩しくて」


 無理もない。煌々こうこうと輝くシャンデリアはもちろん、内装だけでなく貴族の服装は華美なものばかりで目が痛くなる。


「飲み物でも取ってこよう。何がいい?」


「お水をお願いします」


 私はクリフにアリスを椅子に座らせるよう指示して飲み物を取りに急いだ。


 途中何度も知らない貴族から話しかけられたが「あとで話そう」とはぐらかして。


「アリス、水を持ってきたよ。クリフも水でよかったか」


「ありがとうございます...」

「俺まですみません」




 しばらくゆっくりして、アリスの顔色が少し良くなった。本当はアリスの近くから離れたくはないのだが、ケーメル公爵に挨拶をしにいくために一旦別れる。



「ケーメル公爵、今日はお呼びいただきありがとうございます」


「遠くからわざわざ、感謝するよ。それに今日は綺麗なお連れ様まで連れて...どちらの家のお方かな?」


 そういえばアリスはどこの家に属するんだ?

 レドル伯爵夫人に聞かれた時は話が流れたが、私も知らない。


 よし、こうなれば仕方がない。


「辺境伯分家の子爵家出身の者で、花嫁修行のために今は私に使えております」


「そうかそうか、ではこれ以上の詮索はやめておこう。ウィリアム殿はお酒はいける口かな?」


「え...あ、嗜む程度ですが」


 公爵閣下は急に話を逸らして、綺麗な赤紫色のワインが入ったグラスを私に手渡す。


 乾杯。


 少しだけ飲んでアリスが座っていた方を見ると、アリスが数人の貴族に囲まれていた。


 楽しそうに話しているアリスを見ると初めて会った村のことを思い出す。でもあの時とは違うのは、男性と話すアリスを見てモヤっとするのだ。


 ......私は今、嫉妬しているのか。


 みっともない。私はアリスの...婚約者ですらないのに、このような感情を抱くとは。


 何だか妙な気分で、あまり得意ではないワインもいつもより進む。



「辺境伯様、公爵様、お久しぶりでございます」


 私と閣下の間に、紫色のドレスを身に纏った金髪碧眼の女性がやってきた。


「これはこれはハイエル公爵令嬢殿、見ぬうちに一段と美しくなりましたなぁ」


「公爵様こそ、前にも増して貫禄が出ておりすよ」


 公爵閣下の高笑いとは対照的な微笑みのハイエル公爵令嬢。


「そういえば、父が公爵様とお話がしたいと言っておりました。よければあちらにいますのでぜひ」


「そうかそうか、では少し席を外そうかね」


 公爵閣下はそう言うと私に一瞥いちべつしてハイエル公爵の方へと歩いて行った。


 私もアリスのもとへ帰るとするかな。


「あの、辺境伯様。少し私とお話ししませんか?」


 了承するとメインホールに隣接する休憩用の小部屋へと案内された。


「辺境伯様が社交パーティーに参加なさるなんて珍しいですね」


 薄暗い部屋で、私とハイエル公爵令嬢の2人きり。部屋には本棚が複数と、中心には2人で座れるサイズのソファーが机を挟んで向かい合っている。


「ケーメル卿に呼ばれては欠席するわけにもいきません」


「そう...ですか」


 沈黙。


 公爵令嬢が何を考えて私をこの部屋に案内されたのか、よくわからない。


「立ち話もなんですし座りましょう」


 あまりに気まずかったので対面のソファーに座るよう促してしまった。アリスの時もそうだが、私は女性と話すのが得意ではないらしい。


 先に公爵令嬢に座ってもらい私が対面のソファーに座ろうとすると、袖を掴まれた。


「隣に...座ってください」


 上目遣いで私を見つめる公爵令嬢。


 理性を保て、理性を保て。私はきっと今揶揄からかわれているのだ。ここで座ってしまえばあちらの思う壺、絶対にダメだ。


「ハイエル公爵令嬢のお隣に座るなど、私には分不相応ですので」


「命令......です」


 公爵令嬢は私から目を逸らし、そう呟いた。


「承知しました」


 ソファーに腰を下ろすと、公爵令嬢と私との隙間はほぼ無い。彼女の温かさを感じてしまう。



 しばらく沈黙の時間が続いた。

 2人ともすでに手に持っているグラスは空になっている。


「辺境伯様、その......お名前でお呼びしてもいいですか」


 真意はわからない。だが、揶揄うような言い方ではなかった。


「光栄です」


「......ウィリアム様、ウィリアム様には...婚約者の方が...おられるのですか」


 途切れ途切れの言葉を紡ぐ公爵令嬢と、ソファーに座ってから初めて目が合う。


「そのような間柄の女性はおりませんよ」


 少し表情が柔らかくなった公爵令嬢。その表情は嬉しそうでもありどこか無理に笑顔をつくっているようにも感じる。


「安心しました。ウィリアム様、私と婚約してくださりませんか?」


 一瞬、何を言われたのかよくわからなかった。


 婚約、それは文字通り結婚の約束。法的な拘束力は無くとも男女が強い愛情で結ばれていることの何よりの証明となる。


 嬉しくない、と言ったら嘘になるだろう。


 しかし、私の手をハイエル公爵令嬢の手が握った瞬間にすべてがわかった。


 御令嬢の手が、震えている。


「無理をしないでください。ハイエル卿に何を吹き込まれたのですか?」


 事情は簡単に察せた。ハイエル公爵家は三大公爵家の中で唯一辺境伯の後ろ盾が無い。


 そして、私の家はどこの派閥にも属さない最後の辺境伯家だ。


 そう考えると今の状況もすべて説明がつく。


 私の言葉に、公爵令嬢は涙を流していた。


「そんなの関係ありません! 私は...私は父の役に立つと決めたのです! 父の役に......」


 公爵令嬢としっかりと目を合わせる。


「好きでもない男と結婚するなど、貴女にとって苦痛でしかありません。政治は政治、愛は愛なのです」


「でもそれでは...父の役に立てないのです」


 大粒の涙を流す公爵令嬢。


 父親の役に立ちたい一心なのはよく伝わってきた。素敵な方だと改めて思う。


 だからこそ、彼女が好きだと胸を張って言える人物と幸せになってほしいのだ。


「私がハイエル卿と直接話し合います。後ろ盾になるのに、貴女の犠牲は必要ありません」


 公爵令嬢は何度も鼻水をすすり、ハンカチで涙を拭う。


「でもそれでは、ウィリアム様に得がありません...そんなのはダメです」


「その駆け引きを行うのが政治なのです。それではまた今度、ハイエル公爵令嬢様」


 私は彼女を置いて立ち去ろうとした。あまりにカッコつけすぎて恥ずかしくなったのである。


「あ、あの! よければエミリとお呼びくださいな」


「それは命令ですか?」


「......はい」


「承知しました。エミリ様」


 エミリ様はさっきとはまた違う、綺麗な笑顔で私を送り出してくれた。



 部屋を出て、真っ先に鏡の前へと走る。自分でもびっくりするほどに饒舌じょうぜつで、最終的に私は公爵令嬢様を揶揄ったのだ。


 何をやっているのだ私は。

 きっと悪酔いしてしまったのだろう。



 身なりを整え、アリスを探しているとクリフが走ってきた。


「ウィリアム様、アリス様が大変です」


 アリスのもとへ急ぐと、ソファーにぐったりともたれかかっているアリスの姿。


「アリス大丈夫か?」


 返事がない。寝ているらしい。


「ウィリアム様申し訳ありません。水を注ぎにアリス様のそばを離れた隙に、水と間違えてスピリダスを飲んでしまったようで...」


 目の前の机には空のグラスがある。よりにもよって強い酒を飲むとは...災難だな。


「わかった。私が運ぶこととしよう」


「えっ?!」


 クリフの間抜けな声が、会場に響き渡った。





「ウィリアム様、ここは」


「大丈夫だよ。もうすぐ屋敷に着くからゆっくりしておいてくれ」


 アリスはまだ酔いが覚めていないのかふわふわとした表情で私を見つめてくる。


「ウィリアム様、アリスをおいてどこにいたのですか? さみしかったですよ...」


 私に寄りかかってくるアリス。


 一人称が変わっている。アリスの酔っている姿はなんとも可憐で、きっとこの表情を見れば誰でも放って置けなくなるだろう。


「あれ、ウィリアム様から知らない女性の匂いが......アリスがいながら別の女性と居たのですね」


 な、何だこの可愛いアリスは。嫉妬しているのか?


「確かに女性と話していたが、別にやましいことは何もない」


 そっぽを向いてしまったアリスの横顔が、月明かりに照らされていつも以上に妖艶ようえんに感じた。


「アリスは...ウィリアム様のことが大好きなのに......ウィリアム様は別の女性を選ぶのですね」


「アリス、今なんて―――」


 急にこちらを振り返ったアリスは、何も言うことなく私の唇を塞ぐ。



 アリスとの2度目の口付けは、私の理性を、アリスを好きだという感情を爆発させるには十分すぎた。


「これが、アリスの気持ちです......」


「アリス、私も貴女が好きだ」


 真っ赤に染まるアリスの顔。


 私はとうとう思いを晒してしまった。アリスに対する思いが“愛”であるなど、とうの昔にわかっていたのに。


 この思いを曝け出せば、アリスとの関係が壊れるかもしれないと怖がっていた。


 でも今、アリスが私に『大好き』と言ってくれている。ならば私が怖がっている場合ではないのだろう。


「ウィリアム様、嬉しいです!」



「お、おはようございます。ウィリアム様」


「ああ。アリスおはよう」


 馬車の中での会話の後を私は何故かまったく覚えていないが、私とアリスは同じ部屋で寝ていたらしい。


 アリスは顔を真っ赤にして何だか気まずそうにソワソワしている。


「ウィ...ウィリアム様。私、昨日、その、たくさんご迷惑をおかけしたみたいで、でも私全然記憶がなくて......」


 そうか。

 では昨日のことは何も覚えていないのか。


 あの告白が本心だと私は信じたい。でも、何も焦る必要はないのだ。


 またいつか、今度は私からアリスに気持ちを伝えてみせる。


 アリスを好きだというこの気持ちは、もう少しだけ心の中にとどめておこう。

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