第二章 『農賀祭編』

第九話 『気の抜けない準備時間』

 農賀祭開幕まで、あと二ヶ月となった。


 辺境伯領都トリノと周辺の宿場町では急ピッチで来客の受け入れ準備が進められている。


 動員しているのは主に奴隷や隷属市民らではあるが、あまりに人手が足りないため自由市民、従騎士まで投入している。


 当然管理側の私たちの仕事も多く、物資の買い付けや円滑な輸送のための事務作業が明かりのある限り朝から晩まで続いていた。


 私がアリスの相手をできない日々が数日間続いたところで、アリスから疲労回復のポーションを作りたいと言われて薬草の発注や製作所の手配で私の仕事量が倍増したのは内緒である。


 しかしアリスの作ったポーションは効果覿面。疲れ切った労働者が飲むだけで次の日には体力全開だったり、良薬は口に苦しとは言うものの甘い香りと味わいで結構な人気である。


 これを無償で提供すると言うのだから、アリスが聖女であるということを改めて見せつけられた気がする。


「ウィリアム、農賀祭期間中の第二近衛騎士団の配置図について確認して欲しいんだが」


「ああ。トリノに配備してくれれば残りは辺境伯騎士団で警備できると思う」



 第二近衛騎士団のトールがくれた図案を見ながら適度に意見をいい合った。正直、これまで過去三十年にわたって農賀祭中に重要事件が起きた試しはない。


 だからこそ警戒すべきは祭の中心たるトリノであって、近衛騎士ほどの精鋭はすべて重要地点に配置すべきだろう。


「なあウィリアム、アリス様とはちゃんとふたりの時間を取れているのか? 最近貴様は執務室に籠りすぎだと思うのだ」


「トール、私が今一番重視すべきことは農賀祭だ。アリスとは工事現場へ労働者の激励にも行ってるし、第一に私とアリスはそういう間柄じゃない」


 呆れたような表情のトール。


「堅物辺境伯様はアクアマリンのネックレスをあげれば女性をキープできるとお思いかも知れないが、そんなのはただの気休めだぞ」


「トール、アクアマリンのネックレスに何か意味があるのか?」


「はああ?! 貴様まさか、アクアマリンの石言葉を知らないのか」


 トールの声が執務室中に響き渡り、血相を変えて私の目の前に立つ。


「あのな、アクアマリンの石言葉は“誠実な愛”や“家庭円満”で王都では婚約の際に渡すのが流行りなのだぞ。あぁ...アリス様が気の毒でならない」


 では私は、王都でアリスより先に自らの思いを伝えていたということか。何とも間抜けな話だ。それに、アリスには悪いことをしてしまったな。


「トール、教えてくれてありがとう。農賀祭が終わったらしっかりと話し合おうと思う」


「頑張れよ。あ、ひとつ伝え忘れていた。第一近衛騎士団の副団長と配下の騎士が進捗視察に来るそうだ」


 そう言いながらトールは部屋を去っていく。また来客か。面倒なことにならなければいいのだが。



 辺境伯邸のロータリーで、私は第一近衛騎士団の到着を待っていた。


 来たか。


 立派な馬車を先頭に幌馬車が数台と、完全武装の騎士が乗った馬が次々とロータリーへ入ってくる。



「副団長殿、このような辺境の地までわざわざお越しくださりありがとうございます」


 第一近衛騎士団副団長カイ・フロンタル。役職の通り近衛騎士団のNo.2で、表舞台に出たがらない団長の代わりに民衆の憧れを一身に背負っている。


「いやいや、辺境伯領にはぜひ訪れたいと思っていたからな。それにウィリアムに会えるのを楽しみにしておったのだ。元気な様で何より」


 そして、私が第一近衛騎士団を辞めると言った時に一番私の話を親身になって聞いてくれたのもこの方である。


 相変わらずお優しいな。


 副団長の後ろには第一近衛騎士団の面々、そのさらに後方、見慣れない紋章があしらわれた旗を掲げる馬車がいた。


 公爵以上の地位の家だけが使えるユニコーン、ハプロフ王室との深い関係を示す『解放の鎖』。


 馬車の扉が開く。


 中から出て来たのは黒いマントに高身を包み、右手にはいかにもな杖を持った魔導士―――ハイウェニスト・クロウリーだった。


 なぜ......あの方がここに。


 部下であろう者どもを引き連れて私の方へと足早にやってくる。


「ヴェトレール辺境伯殿こんにちは。話すのはこれが初めてだよね、ぜひ仲良くしてくれ」


「クロウリー卿、はじめまして。今回は何用でしょうか」


 な、何だ......こんな話し方の人だったのか。魔導士には変人が多いと聞くが、案外話しやすい人なのかもしれない。


「卿とか堅苦しいのはやめにしよう。にしても君、マナの保有量がすごいね...そもそも辺境伯領は浮遊マナの量もすごい。フフフフフ......これは研究が捗りそう――」


 前言撤回。変人だ。


 クロウリー卿が言葉を続けようとしたところで副団長の咳払いがすべてを遮った。


「クロウリー卿、陛下に土下座をしてまでついて来たのは“あれ”の為なのでしょう。我々にも役目がありますので本題に入れください」


 陛下に土下座をしてまでついて来た? 

 それに“あれ”とは何だ?


「そうだそうだ。辺境伯領で新手のポーションを出しているそうだね。魔導書研究所で作っているポーションの数十倍の効力、そして量産性の高さ...フフ......フフフ。どんな技術と薬草が使われてるのかな? 製作所はどこに? 誰がこの調合を発見し...グヘッ?!」


 ヒートアップして私ににじり寄ってきたクロウリー卿が、副団長の鳩尾みぞおちチョップで伸びてしまった。



「ウィリアムを困らせないでいただきたい」


「痛いなぁフロンタル。わざわざマントをめくってまで鳩尾を打たなくとも」


「そのマント、攻撃を反射するって自信満々に仰ってましたよね」


 何事もなかったかのように起き上がるクロウリー卿だが、副団長のチョップをくらってこの一瞬で立ち上がるなんて常人には不可能だ。


「改めて、ポーションの製作所に連れて行ってはくれないかな?」


「承知しました。辺境伯邸にありますので着いてきてください」


 この方にアリスを合わせるのはまずい。しかしそれ以上にこの方に何かを悟られるのがまずい。


 きっと製作所にはアリスがいる。どうにかして隠さなくては......。



 クロウリー卿からアリスを隠す時間を稼ぐのは案外簡単な話だった。


 副団長が来ているおかげで、父上が屋敷の大広間に来客を集めるよう指示してくださったのである。


 そのうちに、少し不自然ではあるが私は大広間を抜け出してポーション製作所へと足を運んだ。


「ウィリアム様! 来てくださったのですね。ちょうど今、明日お配りするポーションが作り終わりましたの!」


 そういえば最近、アリスの口調がエリノアに似てきた気がする。いや今は関係ないか。


「アリス、ちょっと着いてきてくれ」


 少々強引にアリスの手を取ると、少し気恥ずかしそうに私から顔を逸らして手を握り返してきた。



「ウィリアム様...今からどちらに?」


「面倒な魔導士が来た。アリスが聖女であることがバレるかも知れない......とにかく隠れて欲しいのだ」


 しかしどこで匿うべきか。アリスの自室に隠れてもらってもいいのだが、大広間から距離がないため少々怖い。それに今日はエリノアが出かけている。


 だったら、私の自室が確実か。



 後ろを黙って着いてくるアリスを連れて、自分の部屋へと入った。


 ......私の部屋に今、アリスがいる。


 アリスも落ち着かない様子でずっとソワソワとしていた。


「なあアリス」


「ひゃい!!!」


「紅茶でも飲むか?」


「い、いただきます」


 こういう時に、どういう会話をするのが正しいのだろうか。私にはこのぎこちない空気を解消する術がない。


『お困りのようだね』


 王都でアリスを助けた時に聞いた、少年のような声が頭に響いた。


「ウィリアム様...上に犬が」


 アリスが私の頭上を指差すのでゆっくり上を見てみると、そこには茶色の足が短く胴が長い犬が浮かんでいる。


『あれ...ウィリアムにしか見えないはずなんだけどな。どういうことだろう』


「見えてるし声も聞こえてます!」


『えぇ?! 声まで! こんな経験したの天界以来だよ』


「天界? なら私と同じですね」


『同じ?! じゃあ君もしかして...聖女?』


「はい!」


 私のことはそっちのけで理解不能な話が盛り上がっていった。私の頭上にいたはずの犬はいつの間にかアリスの膝の上にいる。



『とまあ要するに、僕はウィリアムと契約をした氷の精霊の代表なんだ』


「代表ってどういうことですか?」


『ウィリアムは精霊に好かれる体質にあるんだよ。それで、僕みたいに意識がある精霊以外にも意識がない精霊がウィリアムについてるってわけ』


 私にはまったく記憶にはないが、私はこの犬の精霊と契約を交わしているらしい。


 犬の精霊はアリスに撫でられてご満悦な表情をしている。一応、私と契約を交わした精霊なのだよな?




 ううぅぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!


 遠くから、何か得体の知れない騒音が近づいてくる。


「精霊は、ここかぁ!!!!!!」


 ものすごい轟音とともに私の部屋の扉が吹き飛び、目がキマっている男が飛び込んできた。


 咄嗟のことで抜刀してしまったが、よく見てみるとクロウリー卿が立っている。


「フフフフフ......ここに精霊が...捕獲のチャンスが来てしまっ......」


 ドサッ!


「急に走り出したかと思えば、何が貴様をそうさせるのだ」


 倒れたクロウリー卿の後ろに、副団長がいつの間にか立っていた。


「ってウィリアム? それに女性まで...なんかすまないな。このバカは回収しておく」


 副団長に引きずられていくクロウリー卿。なぜ急に倒れたかはわからない。それに、アリスの膝の上で丸まっていた犬の精霊もいつの間にか消えていた。





「では、お気をつけてお帰りください」


「ああ。ウィリアムも体調を崩さない程度に準備を頑張ってくれ」


 計二日間の第一近衛騎士団による視察がようやく終わりを迎える。本当に長かった。副団長はアリスを私の婚約者だと思って馴れ初めを聞いてくるし、クロウリー卿は暇さえあれば精霊を探しに辺境伯邸内を探し回っていた。


「辺境伯殿には色々とお世話になったよ。ポーションのことも詳しく教えてくれてありがとうね」


 クロウリー卿は、やはりスイッチが入らなければ普段はそこまで変人ではないらしい。


「それと......聖女を陛下から匿うなら、もう少ししっかりしないとバレちゃうよ」


 耳元で囁かれて戦慄が走った。


 クロウリー卿にはアリスのことがバレていたのだ。


「陛下への報告は...まあしないであげましょう。その方がお互いにとってwin-winだしね」


 クロウリー卿が何を考えているのかはわからない。だが、彼の行動ひとつでアリスとの生活に終止符を打たれるのだ。


 馬車に乗るクロウリー卿の後ろ姿を、私は唖然として見守ることしかできなかった。

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