第五話 『アリスとの長旅』

 アリスと出会って1ヶ月が経つ。


 私の政務のない日はアリスと一緒に辺境伯領内の農村を巡り、畑にマナを蒔き続けていた。


 一方、第二近衛騎士の面々は聖女を連れ帰ることをリーダーのトール自らが諦めたので、建前だったはずの治安維持活動をしてくれている。


「ウィリアム様。今年の収穫高の集計と、それに伴い財務省へ納める金額の算出が終わりました」


「ありがとう、クリフ」


 クリフは当然だが農務をクビになったりはしていない。むしろ今年は過去最高レベルの収穫量だったので、クリフの計算力がなければ到底集計作業は追いついていなかっただろう。


 にしても......収穫高前年比97倍。戦乱後で元が低かったとはいっても突飛な数値に思える。これが聖女様のお力添えの効果か。


「なあクリフ。計算に間違いはないよな? 桁の読み間違えとか」


「ではウィリアム様が直々に、最初から数えてみますか?」


「はは......勘弁してくれ」


 クリフの目がまったく笑っていない。さすがに仕事の疲れが心配だったので、数日間の休息を与えた。


 クリフは大丈夫だと言っていたが、あとは王都に税を納めるだけ。その程度なら他の子爵でことたりるしクリフの手を借りるまでもない。


 荷馬車の護衛も王都へ帰還する第二近衛騎士団に任せれば問題ないだろうし。


 お疲れ様、クリフ。



「ウィリアム様、王宮より封筒が届いております」


 税を納めるために使者を遣わせてから半月ほど、王宮からの文書は当然税のことだろうと思った。


 中には税の徴収が完了したことを証明する証書ともう一枚。


『此度の収穫高に関して、財務卿のケーメル公爵がヴェトレール辺境伯殿と直々に対談したいと申しております。つきましては来月初めに王宮を訪れていただきたいのです。辺境伯殿をもてなす社交パーティも開催予定ですので、何卒出席いただくようよろしくお願いいたします』


 送り主は財務卿補佐。


 これは困ったな。正直王都へ行くのも嫌なのになぜパーティに出席せねばいけないのだ。それにケーメル卿とはお話ししたことがない。どうにか回避する方法はないか。


 そうか! ハンスを私の代理で行かせれば良いのか。


 善は急げ。私は中庭で剣術の練習をしているハンスのもとへと走った。



「ケーメル公爵がお話をしたいのは私ではなく兄様でしょう? 辺境伯の爵位を一旦譲るとかもないですから。ウィリアム兄様が出席してください」


 こっぴどく叱られた。


 ぐぬぬ......ブレントは若すぎるし。あ、父上なら公爵様とも会いたいに違いない!



「なあウィリアム、どうしてお前はそうも貴族と会うことを嫌うのだ。社交界に出ねば出世の道はないのだぞ。呼ばれたのなら素直に行きなさい」


「...」


 口を閉ざした私に、父上はため息をついた。私はそもそも出世に興味がない。ここでゆっくり暮らしていければそれで良いのに。


「ケーメル公爵に手紙を出す。来月のはじめにウィルが届けてくれ。返事は?」


「はい」


 やられたな。


 断れない。父上の命令に背くことは私にはできない。


 また王都に行かなければいけないのか。考えただけで気が滅入る。自分でもわかるくらいに肩が落ちていた。


 自室へ帰ろう。




「あの! ウィリアム様、元気がないようですがどうされたのですか?」


 急に話しかけられて振り返ると、美しい紺色のドレスに身を包んだアリスといつものドレスを着たエリノアがいる。


「公爵にお呼ばれして王都に行くこととなってな。回避しようとしたが無理だった」


 エリノアはやれやれといった顔をしているが、アリスはなんだか不思議そうにこちらを覗き込んだ。


「ウィリアム様はどうして王都に行きたくないのですか? エリノアちゃんやメイドのみなさんは行きたがってましたのに」


 まったくだな。


 幼い頃から私はよく王都へ行っていた。しかし貴族どもの話は実につまらない。そしていつのまにか、私は王宮のみならず王都そのものを嫌厭けんえんしていたのだ。


「アリス、君の言う通りだな」


 ニヤケ顔のエリノアと優しく微笑むアリス。


「私が何かおかしなことを言ったか?」


「いえいえ。兄様は本当にアリスちゃんには素直だなって思いまして。そうだ! おふたりで王都に行ってみてはいかがですか?」



 アリスと王都に......確かにそれは楽しそうだな。いや待て、そんな大胆な行動をしてもし誰かに察知されでもしたら面目が立たない。


「待て待てエリノア。それはさすがに――」


「あの!! ウィリアム様が嫌でなければぜひご一緒させてください!」


「......ああ。アリスが行きたいのなら私は構わんよ」


 言ってしまった。取り返しのつかないことになるかもしれない。でも、なんだか初めて王都に行くのが楽しみになった気がしたのだ。





 父上から手紙を受け取り、アリスと共に王都へ向かい始めて1週間。第一王侯公爵領の中心都市リボルスでしばし休憩となった。


 王都ハルセイルが政治・経済の中心と言うのならここは文化の中心地。街には多くの芸術品や書籍が売られており、王都にも負けない絢爛豪華けんらんごうかなロハイロ宮殿が街の北部に鎮座している。


 アリスの関心は絵に向けられていた。馬車の窓から見える絵画に惚れ惚れとしたような表情で見入っている。


「欲しいものが有れば遠慮なく言ってくれ。アリスには貰ってばかりで返しきれていないからな」


「本当ですか! 吟味させてください......」


 真剣な顔で眺めているアリスは美しい。


「あれ! 気になります」


 アリスが指をさしたので馬車を停めると、アリスは私を置いてさささっと降りて絵を近くに見に行く。


 遅れて行くと、アリスが眺めていたのは両手サイズの小さな絵で、水平線に太陽が半分ほど沈んだ風景が描かれていた。


「美しい絵だな。他に欲しいものはあるか?」


「ウィリアム様もそう思いますか? 私はこの絵だけで満足です!」


 アリスの真意はよくわからない。だが、アリスが笑顔でこれだけでいいと言うのならそうなのだろう。



 その後も馬車を走らせ今日の宿泊地へと到着した。第一王侯公爵のダリアン卿の屋敷である。まあ、公爵殿下や婦人、御令嬢は王宮に住んでいるためここには御令息とその家臣しかいないのだが。


「ヴェトレール辺境伯様申し訳ありません。公爵令息のリューク様は今晩社交会に出席しておりまして、帰っては来られません」


「構わんよ」


 正直に言えばホッとした。王侯公爵令息ともなればアリスの正体に気づきかねないし、何よりリューク様の自慢話を聞きたくはない。


 アリスとゆっくり食事を楽しんだのち、今回はちゃんと二人分の部屋用意してもらえたため別々で寝床へついた。


 明日出発して1週間後には王都に着く。


 今夜はしっかり寝なければ、明日以降もアリスの質問攻めにしっかりと答えられるように。





「ウィリアム様、あの高い時計台は何ですか?」


「あれは王宮前広場の時計台だよ。あれが見えるということはもうすぐで王都へ着くな」


 長かった。辺境伯邸から2週間、ようやく王都ハルセイルが見えてくる。


 王都についたら今日はゆっくり休息を取ってから明日財務卿に会いに行くこととなっている。その後はさっさと辺境伯邸へ帰ろう。


 小高い丘を通る主街道からは王都が一望できる。辺境伯領都の数倍の規模。リボルスとであってもその差は歴然。


 街の近くは朝早くから活気に溢れ、市場は多くの人々でごった返していた。


「ウィリアム様さえよければ、王都を案内してくださいませんか?」


「ああ。いいとも」


 せめて今日くらい、私はアリスと王都を満喫しようと思うよ。最小限の従者を連れて、私とアリスの王都散策が始まった。

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