第四話 『兄弟喧嘩と2人の未来』

 まだ朝日も上らない時間。我々は馬車を走らせ急ぎ辺境伯邸へと戻っていた。アリスを起こすのに大変手間取った以外は概ね順調だろう。


 辺境伯邸にさえ着いてしまえばアリスを隠すことなど容易い。


 あとは検問に捕まらないかだけなのだが......。


「ウィリアム様、下車の準備をお願いします」


 予想外に検問の開始時間が早いな。襟を正して剣を装着しているとホイッスルが鳴り、車列が停止する。





 検問は思っていた以上にしっかりとしていた。下請けの騎士はおらず、第二近衛騎士団の面々がいたのである。


 ただ、彼らは”治安維持“という名目の検問をしていたので、私が辺境伯であると確認が取れれば馬車の中で寝ているアリスを見ることはできない。


 所詮は第二近衛騎士団の実働隊、よくて伯爵の令息程度では私の言葉を無視できるわけもなかった。


 おかげで予定通り昼前には辺境伯邸に到着し、アリスをエリノアの元へ預けることに成功したのだが。


「朝から弟君のブレント様のお姿が見えなくて」


 ブレントの主任従者によれば今朝、礼拝堂に入ってから姿をくらませているらしい。


 昼過ぎには辺境伯領に派遣されている第二近衛騎士団の部隊長が面会しに来るというのに、なんとも問題は重なるものだ。


「訓練場は見たのか? 今日は訓練が休みだから人もいないだろう」


「はい、見に行かせましたがおりませんでした」


 無理もないか。


「訓練場に心当たりがある。私が行くから君たちは部隊長殿をもてなす準備をしてくれ」


「はっ!」


 短い返事と共に散らばる従者たち。


 私も行くとしようか。


 ブレントは小さい頃から父上や母上に叱られると必ず訓練場の中にある円形闘技場の端で泣いていた。


 ハンスすら知らない、私とブレントの秘密だ。



「ブレント、やはりここに居たか」


「ウィル兄様......ほっといてください」


 私と目を合わせることもなく、うずくまったままのブレント。


「何があった? 騎士学校で何かあったのか?」


「違います。兄上のせいです」


 耳を疑った。私はブレントに何かしたか? 思い当たる節が......まさか最近ろくに構ってあげられなかったからか?


「また今度一緒に剣術の練習をしよう。約束だ」


「......違います。もうそのような歳ではないです。わからないなら教えてあげましょう」


 立ち上がり、剣を抜くブレント。


「ウィル兄様もハンス兄様も、家族ですらない聖女のために危険な橋を渡るなど、そんなのは平穏を求める普段の兄様方ではない!」


 ドッッッッ!!


 炎を纏った刀身、最高速度のブレントが私に向かって一気に突っ込んでくる。


 本気か。



 まともにくらえば騎士の鎧ですら貫くその一撃は、私に届くことはなかった。


『アイス・ウォール』


「兄上、本気を出してください。その程度ではないはずです!」


「死んでも知らんぞ」


「望むところです!!」

『プロミネンス!』


 私とブレントの間にあった氷はすぐさま溶け、多量の水蒸気と砂埃が視界を遮る。


 初めて剣と剣とがぶつかった。


 だが、鍔迫り合いなど起こらない。

 私が剣を払うと簡単にブレントが吹き飛ぶ。


 ブレントは闘技場の壁にぶつかり、伸びてしまった。


「兄を少々なめすぎたようだな。鍛錬が足りんぞ、ブレント」


 別に怒るつもりもない。きっとこれはブレントなりの不器用な意見交換のつもりなのだろう。


 その程度の認識だった。

 

「......なぜ、トドメを刺さないのですか」


「バカ言え。兄弟を殺そうと誰が思う」


「そうですか」


 その程度の認識がまずかった。


 再び立ち上がったブレントの右手には、先ほどまでの剣と明らかに違うロングソードが握られている。


 焔の剣、ティソーナ。


 代々我が辺境伯家に伝わる伝説の霊装。


 刀身を彩る蒼炎は、人々の魂をも焼き尽くす。


「なぜ、お前が持っている。ブレントッ!」


 第一近衛騎士団団長時代の父上が制御できるかできないかの霊装を、未熟なブレントが持つなどあってはならない。


 私がブレントの間合いに入るまで、時間にして1秒もいらなかった。


 一刻も早く、ティソーナをその手から引き剥がす。


 ふたりの剣が交差した。


 嘘だろ......私の攻撃を受け止めただと⁈


 むしろ徐々に私が押されていく。


「兄上、何もかも得るなんて都合が良すぎます。私は魂を...売った、兄上は......何を!」


 ティソーナを縦に払われ、闘技場の中心まで飛ばされた。


「ブレント。それがお前なりの覚悟なのだな」

『氷の精霊よ、我が迷える弟を救いたまえ』


『アイシクル・スパーク』


 縦横無尽に次々と氷の斬撃を放つ。


 ブレントはティソーナを振るい、斬撃を打ち消した。しかし打ち消すごとに、ティソーナの青い炎が赤く変わっていく。


 このままティソーナの火を消し飛ばす!



「ウィリアム様〜いるんですか?」


 その声に私が反応した時には、ブレントが襲いかかっていた。


「逃げろ、アリス!!!」


 普通に間合いに入るのでは間に合わない。剣をブレントに投げればギリギリか。


 いや、私はブレントの覚悟に殉じよう。


 剣を払うブレント。目を丸くするアリスと斬撃との間に、間一髪で私が割り込んだ。


 その瞬間、私の左肩から血が吹き出す。


 想像を絶する痛みを感じる間もなく、燃え盛るティソーナの刀身を握り、力を込める。


 肩から入った刃が止まったのは私の左胸だった。


 そのままブレントを蹴り飛ばす。


「ぎざま...よぐも......よぐも我がよりしろを。力の対価はまだ支払われて...」


『鎮まれ。貴様に我が弟は分不相応だ』


「」


 赤熱していたティソーナの刀身が銀色に戻る。ブレントは意識を失っているようだ。


 にしても息が浅い。全身に力が入らない。だが私の心臓が強く鼓動するのは感じられた。


 その場に倒れこんだ私に、もう時間は残っていないらしい。


「アリス...無事ですか?」


「私は大丈夫ですから......喋らないで」


 アリスの涙が私の頬に落ちてくる。私は情けないな。生涯をかけて守ろうと宣言した相手に、今看取られようとしている。


 アリスは自らの服を破り、必死に布で私の傷口を押さえてくれていた。


 私が死んだらアリスはどうするか、全然考えていなかったな。無理もないが。ハンスやブレンドが反対している以上、辺境伯領に単独で居させるのはかえって危険か。ならば...。


「アリス、いや聖女様。ソニアの街から隣国のロートリア王国にお行きください。あの国の王様なら聖女様を保護してくれるはずです。クリフを護衛にt......⁈」


 柔らかい、しっとりとしたアリスの唇に私の声は遮られる。さっきまで考えていた言葉が全て飛ぶ。意識が朦朧としてきた。


 薄れゆく視線の奥で私から口を離したアリスがすごく光って見える。太陽が目と鼻の先まで来てるみたいだ。


 痛みはもう感じない。


 あぁ、死ぬとはこういうこと......か?


 左腕が動いた気がした。右手で裂かれたはずの左肩を触ると、確かに服は破れ血がついているのに痛くない。


 傷口が塞がっていたのだ。


 少し周囲を見回すと、砂地のはずの円形闘技場に草花が咲き誇っている。


「傷口、痛くないですか?」


「ああ。聖女様、ありがとうございます」


「また聖女様って......」


「すまない、アリス。ありがとう」


「どういたしまして!」



 なぜ回復魔術が使えたのか、アリスに聞いてもわからなかった。やはり聖女の力は不思議に満ちている。これを人は奇跡と呼ぶのだろう。


 泣きわめくブレントがアリスの目の前で私に抱きついてきた時は、さすがに恥ずかしかった。


 ブレントはアリスに何度も礼を言っていた。霊装に魂を売ったことについては、私に何度も謝ってきた。


 最初から怒る気なんてなかったが、泣きながら何度も謝るのでそれには怒ってしまったよ。




「もの凄い光が見えたが、これは⁈ 何事だ」


 白いマントに青い袖口。紺色のベルトには近衛騎士のみが使用できる剣、「王国守護の剣ロイヤル・ソード」を身につけている。


 第二近衛騎士団。


 ハプロフ王国が今なお世界で二番目の強国と言われる所以のひとつ。


「辺境伯殿は、この状況をどのように説明するつもりでしょうか?」


 数人の騎士の先頭に立って私に話しかけてきているのは金髪に赤い瞳のウィズダム公爵令息。名はトール。私と騎士団学校で同期だった男だ。


「弟と模擬戦をしていて少しマナが暴走しただけだ」


 怪訝な顔でこちらを見ている騎士たち。私の言い訳は見苦しいとでも言いたげだった。


「辺境伯殿は氷属性でしたよね? 弟君は炎属性だ。よってこの場に草花を生やす能力者はひとりしかいないのです」


「聖女、あなただ」


 アリスに向かって指を指す。バレていたのか。


 一瞬沈黙が訪れた。


「沈黙は肯定と捉えます。おい、連れて行け」


 後ろに控えていた騎士たちがこちらへ寄ってくる。選択肢は二つ。


 従うか、剣を抜くか。


 命を救ってもらったのだ。その恩に報いるのは今しかない。


 剣に手をかける。

 数人程度なら何の問題もない。あとのことは後から考えればいい!


 だが剣を引き抜こうとした私の手を止めたのは、アリスだった。


「私は大丈夫ですから。今動けば傷が痛みます」


「ダメだ、アリス。君が酷い目に遭いかねない」


「いいんです。ウィリアム様が大丈夫なら」


 アリスはすっと立ち上がり、騎士たちの元へと自ら歩いていく。その背中はどの物語に出てくる勇者よりもたくましかった。


「安心しろウィリアム。聖女は国賓として厚遇を受ける。それに発見者は君だと陛下には伝えよう。これで辺境伯殿の一族は安泰だな」


 軽く言うトールはさっさと闘技場を出て行こうとする。


 アリスを差し出して得た繁栄に、価値はあるのだろうか。アリスの言葉に嘘はないのだろうか。


 そして、私自身がこの結末を望むのか。


 いや違う! これではダメなのだ。アリスを守ると誓ったではないか。


「待て、トール!」


 迷わない。私はアリスを、誰にも渡さない。


「無理は承知だ。聖女様を......アリスを私のもとに置かせてはくれないか?」


 振り返ったトールはきっと、私の醜態しゅうたいを見て言葉を失ったのだろう。


 綺麗な草花の真ん中で、私は土下座した。



「ウィル、貴様は何を考えている⁈ 陛下に反逆するつもりか? 聖女を匿えば、いくら辺境伯とはいえ一族が滅ぶかも知れんのだぞ」


「それでも」


「貴様を...友を失いたくはないのだ。貴様と聖女がこれで今生の別れになるとは思えん。だから頼む。従ってくれ」


「嫌だ。お前だって国王の企みくらい気づいているのだろう? 私は伝説の二の舞にはさせない。世界のためにも、アリスのためにも」


 はぁ。トールの大きなため息が聞こえる。


「顔を上げてくれ。ウィルの覚悟はまあわかった。賛同はしかねるが、あの堅物辺境伯殿がそこまで言うのなら仕方がない」


 だが。トールはひと息おいて話を続けた。


「もし他の高級貴族や陛下に聖女隠匿がバレれば私では庇いきれない。それだけは避けるようにしてくれ」


 涙が頬を伝う。何といえばいいかわからない。


「おまっ......涙を拭け! みっともない。聖女さんもよかったですね、こんなお人好し滅多にいない。良物件ですよこいつは」


「はい!」


 私の元へ走ってきたアリスが、ハンカチで涙を拭ってくれた。


「ウィリアム様、ありがとうございます!」


 これからもアリスと一緒にいられる。険しい道のりではあるだろうが、そばにアリスがいてくれるだけでいい気がする。


「これからもよろしくな。アリス」


「はい!」

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