第三話 『短い旅』

 辺境伯邸を出て数時間、日は落ちてきたが車列はソニアを走っていた。こんな時間でも多数の商人が行き交い、町人が忙しなく働いているのはこの町が国境沿いの港町だからだろう。


 町人や商人に紛れて辺境伯騎士団や王国軍の軍人もちらほらと見える。確か今ちょうど大きな艦隊が寄港しているとかで町は大繁盛だと聞いていた。


「ウィリアム様、今日泊まるレドル伯爵はどのようなお方なのですか?」


 アリスは軍隊に特段興味はないらしく、私の話をそこそこに外を眺めながら聞く。


「現当主は父上と同い年で、すごく腰の低い優しいお方だよ」


「それならよかったです。エリノアちゃんから貴族は獣しかいないから気をつけてねって言われたんです」


 エリノア...ちゃん? いつのまに仲良くなっているんだ。しかも『貴族は獣しかいない』とか社交の場で言えば公爵でも首がとびかねない失言だぞ。


「そ、そうか」


 思うことは色々あったがアリスは貴族でない上に社交に出す予定も永劫ないので口にするのをやめた。


 しばしの無言の中、港の方に巨大な軍艦が複数見えてくる。


「......あれ、全部戦うための船なんですよね」


「そうだな」


 やっぱりこの町に入ってからアリスの様子がおかしい。


 もしかして『聖女伝説』が遠因なのか。


 それとも興味がないだけ? はたまた私の話がつまらなかった可能性も否めない。


 そんな思考を巡らせているうちにレドル伯爵邸の門前に車列が到着していた。


「ヴェトレール辺境伯様お待ちしておりました。中でレドル卿が待っております」


「わかった。すぐに降りる」


 伯爵の執事はこちらに小さく礼をしてそそくさと屋敷の中へ入って行く。アリスと一緒に馬車を降りて屋敷の中へ入るとさっそく大広間へと案内された。


「辺境伯様、ご無沙汰しております。本日はその......旅行でしょうか?」


 レドル伯爵は私とアリスを交互に見ながら不思議そうにしている。恋人だと思われるのはアリスによくないよな。ただ、伯爵にアリスをどのように説明すればいいのかよくわからない。


「説明が遅れてすまない。彼女は辺境伯領の農務を任せようと思っているアリスだ。そこで今日から辺境伯領をまわっている」


「農務はクリフ卿のお仕事ではなかったですか?」


「あ...そうだな。あいつは解任した」


 すまないクリフ。


 レドル伯爵は訝しげな表情をしていたが、何やら自己解決したようにうんうんと頷く。


「承知しました。狭い屋敷ではございますが、ごゆるりとお過ごしください」


「ありがとう」

「ありがとうございます」



 部屋のあまりがないらしく、私は今アリスと同じ部屋にいる。部屋を紹介した後の伯爵の満足そうな表情が脳裏によぎった。はめられたか。


「お部屋、広くてよかったです」


「そ、そうだな」


 アリスとの会話はどこかぎこちない。それに、最大級の問題はこの部屋にベッドはひとつしかないということだ。


「私はソファーで寝る。アリスがベッドを使ってくれ」


「いえいえ、そんなことをされれば従者の皆さまがよく思いません。ウィリアム様がベッドで寝てください」


「アリスは明日からマナを大量に消費するだろ? しっかり休息を取るべきだ」


「ウィリアム様だって重たい防具をつけて剣まで持っているじゃないですか。肩こりを癒すにはふかふかのベッドで寝るべきです!」


 頬を膨らませているアリスは一歩も譲らない。だが女性を、引いては聖女様をソファーで寝させるなどあっていいはずもないのだ。


 パン!


「ではこうしませんか? 私が右半分を使うので、ウィリアム様は左半分を使うのです!」


 名案を思いついたと言わんばかりにアリスは手を叩き、キラキラとした目で私に訴えかけてきている。


 しかし、その発想はすでに私の中で却下している。聖女様の隣で私が寝ていいはずもない。


「アリス、いや聖女様。あなたは私とは比べものにならないほど高貴なお方なのでs...」


「ではウィリアム様は私と隣で寝るのが嫌なのですか?」


 首を傾げるアリスと目が合う。そんなの寝たいに決まっている。でも、それは結婚していない男女の一線を越えることになってしまうのだ。


「嫌ではない。だが・・・・・・」


「じゃあ決まりですね!」


 ニッと笑うアリスの笑顔に私は負けた。



 ランプを消して、ふたりで同じベッドに横たわる。まあまあ広いベッドではあるのだが、ふたりで使うとそこまで隙間はない。


 意識したくなくてもアリスの優しい匂いが私の頭をかき乱す。私がこんなにも苦悩しているというのに、当の本人はスースーと寝息をかいていた。


 横を向けばすぐにアリスがいる。


 月明かりに照らされた横顔は美しい。その横顔を眺めていると、だんだん気が遠く......。



「ウィリアム様、起きてください」


 アリスの優しい声に誘われて目を開けると、真上にアリスの顔があった。


「うぉ! ア、アリス近いぞ」


「すすすみません。なかなか起きないので」


 顔を赤らめるアリスから、昨日のぎこちなさは完全に消えていた。


 顔を洗い身なりを整えて大広間に行くと豪勢な朝食が並べられている。


「辺境伯様、昨晩はお楽しみいただけましたかな? お若いとは良いことですねえ」


「旦那様、ウィリアム様が困っておいでですよ。ほどほどにしてくださいな」


 レドル伯爵の隣に座っている伯爵夫人が笑いながらフォローしてくれた。


「お気遣いありがとうございます」


 食事が始まる。港町というだけあって魚が本当に美味しい。それに隣国由来のハーブやスパイスの香る料理は、王国内でも中々味わうことができない。


 アリスがマナーを知っているかは相当不安だったのだが、杞憂だった。王宮で見るような所作の美しさだけでなく、料理を味わう表情までもが美しい。


「辺境伯様、いいお方を見つけましたね。どちらの御家の出身かしら?」


 伯爵夫人の言葉で私もアリスも固まる。


「おいマリア、辺境伯様がお困りだろう。また婚約式の時にゆっくり聞こうではないか」


「そうね。困らせてごめんなさい」


「「いえいえ」」


 私とアリスのタイミングが完璧に合った。それを見て笑う伯爵夫妻。


 この勘違いを晴らせる日は来るのだろうか。




 無事に(?)食事を終え、馬車を走らせて農村へと急ぐ。ソニアの中心街を抜けてしまうとすれ違う人々も少なく、農村に着く頃には誰ともすれ違わないようになっていた。


 村に着くとさっそく村長を呼んだ。


「貴族の方々がこんな村に何のご用でしょうか」


「大地にマナを補給したいのだが、種まきはしているのだよな?」


 不思議そうにえぇと頷く村長。


「でも、マナを補給するったってこの村が特別ならやめていただけませんか」


「なぜこの村だけだと嫌なんだ?」


 バツが悪そうに村長が話した内容はこうだ。


 最近、山賊や盗みが増えているのだと。貴族であれば護衛を雇い対処できるが、我々貧しい農民にはできない。


 そんな状況で村に麦が溢れればきっとヤツらの標的となるだけだ。


 なるほどと思ったが、同時にその心配はないとも考えられる。どうせすべての村でするのだから。


「何もこの村だけではないから安心してくれ」


 やはりまだ訝しげな表情をしている村長だったが、そこにマナをく範囲を確認していたアリスが到着した。


「ウィリアム様、準備ができましたよ」


「ありがとう。すぐに向かう」


「この村の警備回数も増やすからどうか認めてほしい。それでもダメか?」


 渋々と言った感じではあったが、村長は同意してくれた。


 畑の方に向かうともの凄い人だかりができている。その中心には、初めて見た時同様アリスがいた。


「あんた若いのにしっかりしてるねぇ」

「うちのバカ息子のお嫁さんにならないかい」


「アリス、始めようか」


「はい! ウィリアム様」


 従者たちに群がる農民を下がらせる。効果範囲にほぼマナを蓄えられない人がいると、最悪半ば強制的に魔術を発動させて怪我する可能性があるのだ。


それと単純に土より人の方がマナを蓄えられるので、必要なマナの量が増えるというのもある。


『大地の神よ、その溢れんばかりの生命の力で迷える民を救い賜え』


 祈りを捧げるアリスの体が薄緑の光にはっきりと包まれ、茶色い畑からすくすくと苗が出てあっという間に腰下くらいの高さにまで成長した。


 以前父上が城内の畑にマナを入れた時には一面に芽を出させただけで二日寝込んだというのに、アリスはその数十倍の量を一度に、しかも収穫数日前くらいの大きさへと成長させる。


 これが聖女様のお力。


 民衆が沸く。私とアリスを中心に大きな円を形成してしまった。


 確かにこれは『奇跡』だしアリスは『天使』と言えると、ようやく最初の村の人々が言いたかったことがわかる。



 次の農村へと移動中、アリスは寝息をたててぐっすりと寝ている。ソニアの周辺は大規模な農地が多いため、その疲労感は想像できない。


 念の為にと用意していたブランケットをアリスにかけ、しばらく窓の外を眺めていると馬車が急停車した。


「何事だ」


 小窓を開けて運転手に尋ねる。


「どうやら車列の前方で荷馬車が横転しているみたいです。それで小道が塞がれています」


 少し不自然だな。別に今日は風も強くないしここは特別急なカーブでもない。荷馬車の運転手が超がつくほどの運転下手だったのだろうか。


 とりあえず、アリスが起きないよう静かに馬車の扉を開ける。


「おい、大丈夫か......⁈」


 小道の両脇、横転した荷馬車の裏側、後ろで渋滞していた馬車、全方向から武器を持った山賊たちが湧き出てきていた。


「こんな辺鄙へんぴな土地に少人数の護衛で大貴族が来ていると聞いた時は耳を疑ったが、まさか本当だったとはな」


 リーダーであろうガタイのいい男が私の前へ寄ってくる。


「お前たちの要求はなんだ。金か? 食料か?」


「ちげぇな。俺たちが欲しいのは、お前の身代金だけだ」


 ヒャッヒャッヒャ!


 山賊の下品な笑い声は私たちをバカにしているようだ。


「戦いたくはない。手持ちのお金を払うからここを通してくれないか」


「戦いたくない? そりゃ戦っても勝ち目がねえもんな! ハッハッハ」


 いっそう大きくなる笑い声。


 交渉決裂か...仕方ない。私は剣に手をかける。


「おっと、その剣を抜くんじゃねぇ。抜いたらこの女をぶっ殺すぜ」


 不覚だった。車列最後尾の馬車に乗せていたメイド3人を人質に取られている。


 一瞬で片付けなければ彼女たちが危ない。


「忠告する。人質を解放して立ち去れ。さもなくば容赦はしない」


「この状況でまだそんなこと言えんのか。大貴族のお坊ちゃん、それは夢見すぎだぜ」


 リーダーの男が剣を抜く。


『氷の精霊に告ぐ。我に逆らわんとする者どもを一掃せよ』


「お前ら、やっちまえ!」 うおー!!!


『アイス・フィールド』


私の抜刀と同時に山賊たちがてつく。


 全身凍りついた者もいれば首までで済んだ者もいる。


「お前...才能ギフト持ちかよ」


 山賊たちにさっきまでの威勢はもうない。


「忠告したはずだ、容赦はしないと。なぜ山賊をしているのか教えてくれれば命は奪うまい」


 リーダーの男はしばらく黙り込む。


「お前ら貴族が争うせいで、俺たちは土地も家族も全部失った。そのくせお前らは悠々と暮らしやがって...そんなの許されるはずがねぇ」


 男の事情には同情する。だが、それが賊になり下がることを正当化することはない。


「道を踏み外せば己のみで道に戻ること能わず。方向を間違えた貴様に酌量しゃくりょうの余地はない」


 崩れ落ちた男は唇を噛み締めている。


 私は、このような者を救わなければいけない。



 山賊たちをレドル伯爵の騎士団に預けてから村をさらに3つまわり、ただ村長に説明してまわっただけの私ですら相当疲れていた。


 言わずもがなアリスは私のかけたブランケットに身を包んでぐっすりである。


「アリス、伯爵邸に着きましたよ。起きてください」


 肩をとんとん叩いてみたり、さすってみたりしたが一向に起きる気配はない。


 ここで寝れば風邪をひきかねないし......仕方がない。起きないのならそのまま移動させるしか方法はないのだ。


 自分自身に言い聞かせ、アリスの膝下と脇腹に手を伸ばす。


 布越しとはいえ脇腹を持つとアリスの柔肌とサラサラな髪の感触がわかるし、薄い素材のワンピースは太ももの柔らかさと関節の硬さを同時に伝えた。


 持ち上げてしまえばなおさら。


 深くは考えないようにし、急いで屋敷の中に入ると伯爵夫人と鉢合わせてしまった。


「まっ! お若いですねぇ辺境伯様」


「すみません。見なかったことにしてください」


 どれほど自分の顔が赤かっただろうか......考えたくもない。部屋に入りアリスをベッドにそっと下ろす。


 アリスが起きなかったのが唯一の救いかもしれないな。従者に紅茶を淹れるよう頼み、ソファーに腰をかけた。


 コンコンコンコン


「辺境伯様、弟君より伝書が届いております」


 伯爵の執事が持ってきたのは略式の手紙で、送り主はハンスだった。ハンスの書く手紙はいつも格式ばったものなのだが、どういう要件だろう。



 要約すると、王都から第二近衛騎士団の部隊が辺境伯領に“治安維持”の名目で派遣されて来ているとのことだった。主街道の各所に検問まで置くとも。


 国王陛下は我々を信頼していないらしいな。


 建前では包み隠せないほど本音が見え見え。聖女様を隠す不届者を炙り出す算段なのだろう。


 となれば検問が展開される前に帰らなければならない。明日、日の出より前に出立し辺境伯邸に帰るのが得策か。




 翌早朝、起こしたアリスが赤面してかたまっていたのは言うまでもあるまい。

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