第42話 修学旅行後編⑸

「うおー、海ー」


 春宮と俺は、レストランで昼食を済ませ、美ら海水族館から出て目の前にある海に来ていた。


 昨日怖い思いをしたと言うのに、春宮は浜辺を駆け抜け、靴と靴下を脱ぎ捨てて波打ち際ではしゃいでいる。


「あまりはしゃぎすぎるなよー」


「んー!」


 全く、着替えは朝のうちに業者に預けたと言うのに、脳天気なやつだ。


 しかし、10月になったというのに未だ肌をこがす外気。さすが沖縄だ。


 そんな空気の中、無邪気にはしゃいで、水しぶきを上げる彼女は、とても絵になった。


 俺はリュックを砂浜に腰掛ける。焼けた砂の匂いが、鼻腔をくすぐった。


 夏空を思わせる快晴に思いを馳せるこの時間は、まるで春宮とあまり一緒に過ごせなかった夏の延長期間の様に感じた。


 一秒ごとに、過ぎ行き過去になる時間を、惜しむように、噛み締めるように、夏の温度よりも暑い熱で、脳髄に焼き付ける。


 そうやってただただ眺めていると、春宮がこちらに手を振ってきた。こっちに来いと言うことだろうか。とりあえず、俺は小さく手を振り返す。


「士郎くんも!」


 あぁ、やっぱりそうなのね。お呼びとあれば仕方ない、俺も波打ち際の遊びに興じるとしよう。


「分かったよ」


 幸い、タオルはリュックの中にある。俺はリュックを下ろして春宮のリュックの隣に置き、裸足になって重い腰をあげる。


 焼けた砂が、ジリジリと俺の足跡を焦がしていく。やがて、その足跡は波にかき消された。そして春宮がギュッと俺の手を掴んだ。


「士郎くん、士郎くん。あれやろうよ」


「あれ?」


「恋人っぽいこと」


 波打ち際で手を繋ぐ、かなり恋人っぽいとは思うが。どうやら、春宮はもっと刺激的なのを求めているらしい。


「どんなの?」


「待て待てーってやつ」


「あんなの、普通やらなくないか?」


「んー、やりたいのに……」


 そう言うと、春宮はぶーっと口を尖らせた。まぁ、こいつの場合、恋自体どんなものか知らなかったわけだからな。


 理想の恋人像が少し歪んでいて然るべきと言うものだろう。少し付き合おうか。


「わかった。やるか」


「わーい。じゃあ、逃げるね?」


「おう」


 じゃあ、少し間を開けてスタートしようか……。そう思った瞬間、春宮がとんでもないスピードで駆け出した!

「あははー、捕まえてごらー……」


「ちょ、速!?」


 何か言いかけていた春宮が、全て言い終わる前に何も聞こえなくなる。


 くそ、あいつ裸足でも足の速さは健在ってことかよ!てか、普通あんなに早く走るか!?砂浜だぞ!上手く走れないはずだろ?


「ま、待て!待って!」


 俺の情けない声は、きっと春宮に聞こえていない。


 聞こえなくてよかった。聞かれてたら、馬鹿にされずとも消えてしまいたくなっていた。


「はぁ、はぁ……」


 5分後、俺は砂浜にダウンしていた。そんな俺に、未だ落ちない足の速さで春宮が駆け寄ってくる。


「大丈夫?」


「お前なぁ、あんなに全力疾走することないだろ……。どこかの部活の合宿のメニューかよ!」


「ごめん、士郎くんに合わせればよかった」


「まぁいいけどさ。で、次は?」


「これ」


 そう言いながら、春宮は長い木の枝を2本持ってくる。そのうち1本を突き立てて、春宮は何やら砂浜に何かを描きだした。


「第2ラウンド、砂浜に名前書いて消されるやつ。ほら、もうすぐ潮が満ちる」


「なるほどな。じゃあ、お互いの名前書こうぜ」


「おー、ナイスアイデア。それじゃ、私から」


 上機嫌で鼻歌を歌いながら、相合傘を描き始める。そして、右に士郎と書いた。


「じゃ、俺も」


「ちょっと待って。今、苗字で書いてない?」


「そうだけど?」


「うーん、恋人の名前書くのに、苗字ってのはねぇ……」


 春宮が、棒でとんとんと文字の下の砂浜を叩く。それでできた穴が、ハート型を描いていた。


 あぁ、なるほどね。少し恥ずかしいけど……。俺は、砂浜に佳奈と書いた。


「も、文字、分かったんだね」


「そりゃ分かるだろ。好きな人の名前だぞ?」


「……そっか」


 わざわざ自分で書くように仕向けながらも、自爆してしまう春宮。


 俺は高鳴る気持ちが抑えきれず、春宮の肩をぎゅっと握った。何かを察したように、春宮の顔が赤くなる。


「波に攫われるのが見たかったのに、ばか……」


「ごめんな、でも……」


 その続きの答えか、謝罪に対しての答えなのか、春宮は少し目を逸らし、そして「い、いいよ?」と口にした。


 その後、目を閉じて、口を尖らせる。了承も得たことだし……。俺は春宮の唇に、自らの唇を近付けようとする。


 その瞬間だ。遠くから、「おーい!」と声をかけられた。榎原たちだ。


 ハッとしたように、俺と春宮は少し距離をとる。


「ところで、二人は何をしてたのさ?」


「なにも……?」


「ただ、海にちょっと遊んでただけ……」


 春宮が、髪を弄る。これは、春宮の嘘をついた時の癖だ。


 なにか他のことをしようとしてたのはバレバレである。


 しかし、彼らは決して詮索はしてこなかった。ただ、ニヤけてるだけだ。いや、それだけでも嫌だけどな。


「あ、そうそう。そろそろ戻らないとやばいぞ」


「あ、もうこんな時間」


「わかるわかる、好きな人と一緒にいる時間って、すぐに流れちゃうよねー。もっと長引いて欲しいって思うのに」


「ほんと、不思議って言うか、理不尽……。時間が止まればいいのに」


『わぉ……』と思わず口に出す。案外、キザなこと言うんだな、春宮って。


 あ、でもかなり恥ずかしかったっぽい。顔が真っ赤だ。本日二度目の自爆である。


「ポエム娘のことはいいが、あと5分でバス来るぞ」


「やば!走るぞ!春宮!」


「お、おー!青春大爆走ー」


「私ら、移動はずっと走ってるわね!」


「たまにはそんなのも悪くないだろ!」


「よーし!共に輝く汗を流して青春を駆け抜けようじゃないか!」


「ま、まてー!」


 俺と春宮は寄り添い合うようにして支えてたリュックを手に取り、砂を落としてから背負う。そして、何とかバス停までたどり着き、その直後にバスが見えた。


 途中西川がへばったので、榎原が小脇に抱えて走った。そこからは終始、那月がゲラゲラと笑っており、西川がムスッとしていた。


「ま、間に合った……」


「ふぅ……、ねぇ、士郎くん。少しいいかな。一つお願い」


「何だよ?」


 息を整えながら、肩で呼吸する俺に対して、春宮は一回深呼吸するだけで平常運転に切り替わった。さすが陸上部顔負けの脚力を持つ少女。


「えっとね。その……、恋人っぽいことしたい……」


「まだ続くのか」


「続く。やることはひとつ。その……」


「その?」


「さっき、佳奈って書いたみたいに……、私の事、これからも佳奈って呼んで欲しい」


 なるほどな……、彼女のわがままだ、聞いてあげるか。少し恥ずかしいけれど……。


「わかったよ、……佳奈」


「ふへ……」


 ふわりと、春宮が俺の肩に寄りかかる。四人は前にいるため、気付かれることは無いが、恥ずかしいものだ。


 でも、そっか。こいつの言っていたことが、俺にもわかった。


 確かに、あと停留所を二つほど越したら俺たちはバスを降車する。短い、短い距離だ。


 しかし、いや、だからこそ、俺は、この一瞬がずっと続けばいいと思った。

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