第19話 いい感じの二人⑵

「沖縄だって」

「あぁ」

「行ったことある?」

「いや、ないな」

 ふーん、と、コロコロとアイスティーを混ぜながら陽菜が呟く。俺たちは、帰路を少し外れたところにある隠れ家喫茶、森崎喫茶までやってきた。と言っても、俺は那月に着いてきただけだが。

「勝った」

「そんな計画通りみたいな顔しなくてもいい。というか、何が勝ったんだ」

「私、撮影で南は沖縄から北は北海道まで行ってるから」

「さながら俳優だな」

「もしくは渡り鳥?」

 にや、と陽菜は笑う。今どき撮影などスタジオで済ませるのでは無いのか。すると、何やら不機嫌そうに陽菜が頬杖を着いた。

「てかさー、私たち、付き合ったのに恋人っぽいことしてなくない?」

「毎日、手を繋いで帰ってるだろ?」

「それだけじゃないでしょ、恋人って!」

「そうだな…」

 いや、俺だってラブコメを書いてるのだから、恋人っぽいこと位は知ってる。しかし、それはファンタジーであって、ヒロインは主人公の些細な行動であろうとも飛び上がって喜ぶのだ。

 しかし、こいつは小説の登場人物ではない。故に、こいつが喜ばせるにはどうしたらいいか、俺には分からないのだ。

 まぁ、まずは軽いものから…。俺は注文したプリンをスプーンで掬い、陽菜に差し出した。

「ほれ」

「…?」

「やる」

 …まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする陽菜。変装用のマスク越しで見えないが、きっと口も半開きだろう。全く、自分で要求しておきながらこれとは。

「やると言ってるんだ。腕が疲れる、早く食べてくれ」

「うん、分かった…」

 陽菜はそう言うと、マスクをずらし、口を開けた。俺は、その中にスプーンを入れ、舌にプリンを乗せた。そして、そのまま陽菜の口が閉じる。俺は驚きつつも、ゆっくりとスプーンを引き抜いた。

「ちょ!お前…!」

「お返し。あー、プリン甘いなー」

 そう言いながら、にひひと陽菜が笑顔を見せる。俺はその笑顔を見ながら、あぁ、これは絵になるなと思った。そして、残っているプリンに手をつける。

「関節キスなんて、えっちね」

「お前が先にやったんだろ!」

「確かに、それもそうだわ…、て、あれ?」

 そう、何やら先程から店内が騒がしいのだ。ここは隠れ家喫茶と言っても、常連客はいるようで、半分くらいは席も埋まっているようだ。その客たちが、一斉にザワザワとし出す。

「何あの子、ちょー可愛い!」

「ねぇ、もしかして読モの…!」

「え!でもあの子、男の子と一緒にいるよ?」

「うっそー、スキャンダル!?」

 どうやら、陽菜も異様な雰囲気を察したのか、不安そうにキョロキョロとした。

 ま、不味い、このままでは個人情報が流出し、拡散され、またあのような事態に…、そうなると、こいつも転校…!そんなのは嫌だ!守らなければ!だって俺は、こいつの彼氏なんだから!

「全く、日和は仕方ないな、ほら、頬にプリンが…」

「え…?」

 俺はサッと頬を拭く振りをして客側に手で蓋をし、もう一方の手で陽菜のマスクを上げる。そして、顔を近づけて囁いた。

「演じろ、得意なんだろ」

「え、えぇ…、ありがとう、お兄ちゃん…」

 こうして、陽菜は日和という別人であり、そして俺たちは兄妹で断じて二人で店に来ることは不思議ではない、という設定を客たちに見せびらかした。聞こえは悪いが、この場合大々的にアピールした方がいいだろう。

「なーんだ、人違いかー」

「てかお兄ちゃんも可愛くね?」

「兄が兄なら妹も妹かー。それに仲良さそうで羨ましー」

 ふう、客たちも信じてくれたようだ。俺はほっと胸を撫で下ろした。

「ごめん、気が緩んでた。ほら、あんたどころか、他人とこうやって学校帰りにお店とか来るの初めてだし…」

 申し訳なさそうに、俯き気味に陽菜が言い訳を並べた。しかし意外だな、こいつの事だから、クラスの女子を誘ってこのようなところでお茶会でも開いているもんだと思っていたが。

「言い訳なんていい。それより、今度から気をつけ…て!?」

「なに…は!」

 客の方を気にせずとも良くなったから、少し外の様子を見たくなったのだ。そして、空を見上げ、まぁ大体の時間を知ろうとした。

 その時だ。俺たちを凝視する少女と、それを引き離そうとする少年が見えた。他の誰でもない、春宮と不知火だ…。不味い!客は騙せても、こいつらは騙せない!

 なんなら春宮の態度を見る限り、関節キス辺り、いや下手をしたらその前からずっと見ていたかもしれない!

「き、気になさらず…、おい春宮!行くぞ!お前は犬か!散歩に行きたがらない飼い犬かー!」

「犬は士郎くんの方。それよりおふたりの関係は…!」

 ガラス越しでも声が聞こえるのを見るに、おそらく俺たちの会話も筒抜けだったのだろう。だとしたら、俺と陽菜が付き合っていることもバレたか…!?

「す、少し待ってろ!」

 何とか2人に弁解しなければ!俺は伝票をレジまで持っていき、2000円をトレイに置いた。

「560円のお返しになります」

「ども」

「わ、私のは?」

「いいから、行くぞ」

 俺は財布を取り出そうとする陽菜の手を引き、喫茶から退店した。そしてとりあえず俺は表で待っている二人に訂正する。

「ち、違うからな!」

「違うって何が?」

 え?何か変…、ってなんか増えてる!?檜山と確か…、檜山の妹か!

「それは…」

「せ、説明するな!恥ずかしい!」

「え、恥ずかしいことしてたの!?」

「お兄ちゃんやめなよ…、あ、気にしないでください!」

「おいおい、気にしないなんて無理よ?だってこの子、天下の読モ、那月…もぐ!?」

 ちょ、何言い出すんだ、こんな往来で!そこまで言いかけたところで不知火と春宮が檜山の口を塞ぐ。危なかった、このままじゃ大騒ぎになるとこだった。

「とりあえず檜山さん、檜山のこと頼んだ!」

「はい。よくわからないですけど。帰ろう、お兄ちゃん」

「あぁ、わかったよー、じゃなー」

「家でゆっくり教えてもらいなー」

 二人は手を振りながら、人波に消えていく。

「で、それはともかく…」

「ふたりはどういうご関係!?」

 今度は不知火まで…、って、なんか二人の視線が下に…、あぁ、手を繋いだままだったか!俺はパッと手を離すと、陽菜がその手を握り返した。

「私たち、付き合ったの」

『え!?』

「仕方ないでしょ、その事が前提にないと、この件は説明しにくいんだから!とにかく、喫茶店で私がモデルだってバレそうになって、それから蓮が身を呈して護ってくれたってわけ」

「他言無用だからな!」

 二人は、ぽかんと口を開けたまま「は、はひ…」と返した。なんとも信用ならない返事だが、不知火は口が堅いし、春宮は口数が少ない。なら、大丈夫だろう。

 ここから更に言及されても面倒なので、放心状態の彼らに「じゃあ」と言い、俺たちは二人を路上に置き去りにした。まぁ、歩道だし大丈夫だろう。

 しばらく歩き、俺たちはアパートに帰ってきた。そして、俺が陽菜に一言「また明日な」と声をかけるが、それに返された答えは、「待って!」だった。何を待って欲しいんだろうか、俺が振り返ると、そこには急接近した陽菜がいた。俺は驚き、ドアに背をぶつける。

 そして陽菜はマスクを顎にかけ…、そのまま、自分の唇と俺の唇を重ねた。

「520円分、お返しね」

「…ほへ」

「ほへ、だって!ふふ、可愛い。じゃあまた明日ね、彼氏さん」

 そう言うと、不敵な笑みを浮かべた陽菜は自室に帰って行った。それからしばらく、俺は陽菜の唇の感覚に浸っていた。そして一言、

「プライスレスだろ…」

 と、呟いた。

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