第5話「西山明憲」

 今日はこの店に通う書生、啓二の噂を聞きつけ、彼を手駒にできれば大きな戦力になるだろうと、目論んで訪れた。


 だが、彼が角山会長の息子とは知らなかったのが、裏目に出てしまった。


 罪とは言えど、業界を支えてきた兵頭。今までは黙認していたが、今回はついに業界のドンの逆鱗に触れてしまったようだ。


「偽物とはいえ、今の業界には天才…スター作家が必要でした」


 角山会長の視線は思いのほか鋭い。


「ですが、私の息子まで毒牙にかけるというなら話は別です」


 角山会長は兵頭と心中する覚悟だ。


「貴方の脱税、収賄の証拠を全て、東京地検特捜部に提出しました」


 これは文壇の歴史を大きく狂わせる。だが、覚悟は固い。


「業界も共倒れですが、それも致し方ないでしょう」


「…なんだかよく分かんないけど、悪人なんですか?この人」


「おいおい、野放しにしとくなよ。そんなんだから、若手が育ってないんじゃないか?」


 状況が意味不明な孫娘と呆れる祖父。


 だが、


「貴方のせいですよ、西山先生。貴方が業界に残っていれば、こんな事態にはならなかった」


「西山?お爺ちゃんは鏑木ですよ…え?」


「こちらは西山明憲先生。伝説の世界一の大文豪です」


 鏑木秋耕、その昔使っていたペンネームは西山明憲。かの伝説の「多重人格作家」だった。


『えええええーーーーーーーッ!?』


「お爺ちゃんが…西山明憲!?」

「あの…多重人格作家の!?都市伝説じゃないの!?」


「何だ、お孫さんにも伝えてなかったのですか?先生」


「いやー、なんかめんどくさくてな。いや、すまんすまん」


 その事実に平然としているのは倫太郎だけ。啓二は腰が抜け、春香はどこか嬉しそう。模範としていた兵頭は魂が抜けて、聞こえていなかった。


「あなたがいない業界が、どれだけの損害を被ったかわかりますか?」


 角山会長の目線がいばらの様に痛い秋耕。


「…どれだけ多くの読者があなたの復帰を待ち望んだか…」


 そう、西山明憲が失脚してこの国の文学は、間違いなく100年遅れを取ったのは確かだった。


 真の天才西山を失った業界は、第二の西山として、悲しいが兵頭のシステムに頼る他無かった。


「あー、申し訳ないとは思ってるよ。その分遺作は残してあるからよ。そんなもんで良けりゃ、好きにしていいぜ」


 あの西山明憲の新作にして遺作。そんなものが見つかれば、業界は震撼すること間違いなしだ。


「遺作?そんなものどこに…」


 見渡す倫太郎。だがそんなものは見つからない。あるのはたくさんの古書があるだけだが…。


「お爺ちゃんの作品?」

「それって…」


 啓二と春香はそのありかを知っていた。それはあまりにも雑然と置かれている。よほどの者でなければ、気づく者はいないだろう。


 なにしろ、それを「一人」で書いたとは思えないからだ。


「この店の本…全部だよ…ね?」

「ですよ…ね?」


「お、気づいてたか。作者名は全部変えといたんだけどな」


「全部って…これ、1500作は軽くありますよ!?」


 純文学にライトノベル、推理小説に、SF、恋愛もの、ホラー、政治風刺。ジャンルも作家名も全てバラバラ。


 しかし全て彼一人で40年かけて紡がれていた。まさに「多重人格作家」だ。


「独占はすんなよ、倫太郎。納品先の出版社はまとめてあるから、仲良く分けるこった」


 天才のあまりの自由奔放さに皆、固まる。


「そうだな…作者名は変えない方が面白いかもな。どーだ?んー?」


 啓二と春香は店の本をすべて読んでいた。どれも面白くて、秋耕の言っていた、本能を揺さぶる要素が、全てに当てはまっていた。


 おかしいとは思っていたのだ。どれも違う文体なのにクオリティは全部、ずば抜けている。


 しかし、この1500冊の作者名は全て聞いたことが無い。こんなに面白いなら、誰かしら有名になっていなければ嘘というものである。

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