【春・2『何を食べるかではない。誰と食べるかなのだ』】
生きとし生けるもの
その全ては 何時しか土中の脈へと還る
脈打つ円環に想いを馳せ 行く先に視線を傾ければ
自然と
何かに謝意を表する様に この頭は垂れ
首の重さを識る
其の度に
ぽとりと この首が落ちてしまえば どれだけ楽だろうかと
夢想せずには いられないけれども
眼が醒めた時
ぽたりと 落ちるのは
軽い、軽い、ひとしずく
乾いた塩を嘗め
苦を纏う 舌の薄さと
なくなってしまった 彼方の潤いに
また
夢を 見たくなる。
【春・2『何を食べるかではない。誰と食べるかなのだ』】
周囲と違う俺。
思春期にはよくある思考なのかもしれないが、俺の場合そこに優越感はなく、ただ存在していたのは焦りだった。どうして自分は周りと違うんだ。どうしてうちの家庭は、関係は、周囲とは違うんだ。どうして、どうして。おいどうしてくれんだコラ。
普通じゃないとはどういうことなのだろうと考え始めたのは小学二年生。早いなぁと自分で思う。能力か、環境か、運命か、ううむわからんとちいこき頭を捻り、紆余曲折の道をたどった結果、己が天才的頭脳で導き出したる結論の尺度は『幸福』だった。
幸福であること。人並みに。
結局そこなのだ! と絶望的に気づいた。
だから頑張った。
初期値がマイナスなのだから、どうにかしてゼロへと戻さねば不公平ではないか。そんな下らない原動力が在れば、面白くもない勉強も頑張れた。苦しいだけで意義のわからない運動も、理解不能な芸術も、全部全部頑張れた。
俺は優秀なフリをするのが上手かった。多分嘘を上手く吐くことと、誤魔化すことが得意だったのだろう(しかし厄介なことに、本当に上手な嘘吐きとは、自分が嘘を吐いていることすら忘れてしまう)。微妙な違和感が頭の底に、泥のように堆積しては汚さを増してゆくのである。
テストで百点取って、運動会で一等を取り、よくわからない賞も取った。きっと自慢の息子でしょうと周囲の大人は皆言った。真に受けた俺は、口角を持ち上げながらそんな成果物を親父に提出した。
しかし幸福は、そんな壁の向こうには存在していなかった。
静かで響かなくって、音も無ければ面白みも無い。宇宙の果てのような様である。親父に俺のニホンゴが通じなかったのは、ア奴が宇宙人だったからなのかもしれない。だったらその血を引いている俺は何者なのだろう、とかなんとか考え出すと雑な瀉血もまともな医療行為に思えてくるから面白い。腹が割れる程面白い。首がもげる程愉快である。
そうして荒んで、あらゆる成長の糧となるモノ全てを自ら隔絶し、殻に籠ってひたすらぐちゃぐちゃな中身を整えようとした小学生時代を終え、中学高校と何故か友人に恵まれた結果、俺は自分を人並み以上に幸福だと、思えてしまったのだ。
救われたことを、救ってくれた人たちに返したいけれども、彼らはとうに自分を認めながら生きていたので、違う誰かに捧げようと思った。
そんな原初の希望を思い出す。
しかし、納得ができれば嘘でもいいし、救われるならば虚像でも偶像でも良いのだ。
だって人は、ロウの翼で浮けるのだから。
それだったら俺でも出来そうだから。
俺は昔から、嘘を吐くことと、誤魔化すことが上手かったのだから──
青とオレンジのぶ厚いファイルの海から、手だけをズボリと突き出し、目覚める。気分と光景と雰囲気はゾンビ映画のようだった。じゃあだいたいゾンビだよなとか考えながら今日も気張って生きていこう。白衣の埃を払って資料保管庫から出た。
「おはざいまーす」
「励一」
同じく白衣を身に着けた松木真月が、すれ違いざまに怪訝な視線で刺してくる。
「また資料室で寝泊まりしてたのか、君は」
「うん寝落ちた。ここ二か月くらいこんなんばっかだけど大丈夫なのかな俺」
「知るか不養生。医者だろ君も」
「見習いだけどな。俺もお前も」
腑抜けた笑い声で誤魔化して、南向きの窓に向かって大きく伸びをする。やあ真っ暗だ、随分と暖かくなったが、それでもこの時間帯は日の出とは程遠い。
上半身を捻る。あばらの隙間にバキバキと新鮮な空気が染みてゆく。痛みが心地よい。
「不養生とか言うけどさぁ。お前もその隈見るに徹夜だろうが、今四時半だぞ」
「今から寝に行くところだ。君はいつも朝早くて尊敬する」
「お前の夜が長すぎるんだよ。早死にするぞマジで」
「グッドラックだよどいつもこいつも。まったくもって……」
一片の雪よりもゆっくりひらひら手を振った真月は、そのまま仮眠室に直行するように思われた。だが奴は数歩進んで足を止め、頭だけをこちらに捻った。
「そういえば励一、君は例の悪巧みの手助けを最近やめたようだな」
「……ああー」
真月が気にするのも、もっともだった。家出娘の資金援助という、字面だけ見れば相当に危ないことをしていた訳だが、実際危ない橋は渡っている。
具体例を挙げると電気とガスが止まった。
きっぱり金は要らないですと格好つけたのだから、今更すみませぇんお金返してくださぁいとは言えないし、そもそも言えるほどのことをしていないのは、自覚して諦めているので問題は無い、
と思う。
俺が納得していれば、正直金銭面での損失はどうでもいい。それ以上のものを、あの子に与えられなかったのだから、あの消えていった数多の紙幣は俺からの御出産祝いということにしておく。
しておく。
「あれはもう必要がなくなった」
きっぱりとこの言葉を吐けた自分にほっとする。
「その調子で謎のボランティア行為もやめれば幾らか体調も良くなるんじゃないかね」
「それはそれ。これはこれ。やる必要がなくてもやらなきゃならん理由があるのだ」
真月のレンズ越しの鋭い目元が、阿保を見るようにキュッと細くなる。
「……どうしてもやらなきゃならないなら、手伝うから言え」
それだけ言い残して、側頭部を壁にゴリゴリと擦り付けながら去って行った。
ああいうところが、患者からも教授からもモテるのだろう。羨ましい。
だが指をくわえて、その大きな背中を眺めていることが許されるのはガキまでだった。
大人でございと自己紹介したいならば、やはり働くしかない。
「今日も一日、小間使い頑張るか」
朝四時。医院の周囲の掃除。
つい数週間ほど前に春が到来した。彼が運んできた柔らかな温度に包まれてのお掃除は、身も心も爽やかに磨かれるようで気持ちがいい。
と真月に話したら、寝不足だバカがと罵られた。最後の一言絶対要らねえだろ。今度一緒にやらせようそうしよう。
掃除が終わったら次の作業に移る。二百十四号室の壊れたドアの修繕。
「また壊れたのかよこれぇ」
情けない声を挙げてしゃがみ込む。あのクソガキどもマジに一度シメた方がいいかも知らん。
もうお父さんは退院したというのに未だに遊びに来るのは、まあ嬉しいような、鬱陶しいような複雑な気分だった。来るたびにお菓子を用意するのも地味に懐に涼しいのだ。
そんな夢想に耽りながらぼんやりトンテンカンとしていると、修理の過程で二ケ所体を切った。指先で血の玉が痛々しく膨らむ。あいつに倣って包帯を巻いてみたが、どうにも動かしづらい。絆創膏の方が明らかに使い勝手がよかった。
続いて体の悪い患者の代わりに配達物を運ぶ。成人男性ほどはあろうかという重さの、パンッパンに中身の詰まった段ボール箱をド根性で運ぶ。肺の中の空気を一度全て吐ききってから、持ち上げるタイミングに合わせて大きく息を吸い込む。
瞬間 落雷が腰と首に直撃して俺は死んだ。
いくら丼。
なんだ今の思考のノイズは。
きっと幾億もの細胞が同時にぷちっと逝ったのだろう。刹那確かに幻視した死のイメージは、無残にも挽き潰された大盛の細胞たちの断末魔だったのかもしれない。
腰が無くなった気がしたので触ってみたらまだちゃんとあった。じゃあ竹割になったかなと思ったらヒビすら入っていなかった。人体の強度に感服しつつ床に寝そべり、くの字になって背中を激しく擦る。限界動作に涙が出そうだ。
尺取り虫のような独特の動きで、仮眠室のベッドにどうにか辿り着き、死んだように横たわりながら現状を顧みて、独り言ちる。
「ギックリやらなくてよかったぁ……」
そう安堵すると同時に、かずのこすじのこめんたいこ丼ブチィッッレベルの衝撃を伴うであろう魔女の一撃への恐怖に天の上の国を見る。
腰へのダメージが膝にも伝播して、歩くときに内股になっていたら、ちょろちょろしていた件のクソガキたちに短く簡潔にどんなバカでもわかるような語彙のレベルで「きも」と言われた。何か反論しようとしたが客観的に見ても気色悪かったので言葉と涙を吞み込んだ。
これで朝のボランティア活動は終了だが、ここで終わってはいけないところが苦しいところだった。めげずしょげずに院内で困っている人を探す。
すると先ほど俺に辛辣な言葉を投げかけた少年少女が助けを求めて来た。よし来たと腕まくりをして、案内してくれる子供たちを内股のまま追いかける。絵面がヤバいあまりにも。膝の震えが止まらねえ。
行きついた先には、困っている人はいなかったが困っている鳥がいた。
「また落ちたのかお前はよぉ……」
焼き鳥にして食ってやろうか、そんな邪悪な思考が一瞬頭を過る。『血の通った翼がせっかくあるのだから飛んでみせろ』『親鳥にでも引っ張り上げてもらえ』
などと言いそうになって、意味が無いので止めにした。
巣から落ちた小鳥の救出。
木によじ登って巣に小鳥を返してやると、子ども達から賞賛の言葉とよくわからない謎の二つ名を賜った。二号と呼ばれたので先輩がいるらしい。なんだかよくわからなかったが褒められたようなので、調子に乗ってナマケモノの物真似をしてやったら枝から落ちた。当たり前だバカ。二か所打撲。めちゃ痛い。腰と首をかばったら両肘をやった。
早朝から満身創痍である。問題があるとすれば加害者がいないことだった。バカが一匹いるのみで、世界はどうにも平和である。
「医者のやることじゃねえ……マジで」
日々の見習いとしての仕事に加えて、休憩時間返上のボランティア行為は体にも心にも不健康だった。こんな生活をひーこらひーこら言いながらなんとか続けて、唯一手に入れたものは血と汗の結晶たる、とある教養だった。そしてその叡智は、常識と言い換えることもできた。
人体の真理として、自分の限界を見誤ると白目を剥いてぶっ倒れることになる。
こんな風に
大きく痙攣した体に揺さぶられる形で目を覚ます。待合室のソファに、もたれかかる姿勢で眠ってしまっていた。
慌てて立ち上がろうとすると、筋肉よりも骨の部分が大きく軋んで視界が揺れた。
「おはようございます」
「あ、おはようございます、えっ」
反射的に答えてから、だるま落としみたいにスコンと眠気が吹っ飛んだ。
初芽さんは陽だまりをあやすように座っていた。
超小規模地獄的閉和世開W,そしてIの為の効用値考察 固定標識 @Oyafuco
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