盾の王子とセイレーン
近衛真魚
第1話
王子様は悪い失恋姫を打ち倒し、お姫様と結ばれてハッピーエンド。
あぁ、少なくともそれは、この世界の約束事ではあるんだろう。
もしも自然にこうなったというなら、世界と言うのはよほどの間抜けに違いない。
もしも神の意志でこう作られたというのなら、神と言うのはよほどの愚者に違いない。
世界を作る札は4つ
失恋姫と戦う力を持つ、
王子様と結ばれる、その為に存在する
王子様に恋心を受け入れてもらえず、人を襲うバケモノと化したお姫様、
そして、なんの役割も持たない、
あぁ、この理を作り出した世界は、神様は、きっと考えた事も無かったに違いない。
誰かが誰かに恋をする、その方向性を強制する事なんてできない、なんて事は。
狂ったように狂気に染まり、狂喜に狂う人々。
彼らが連れているのは、翼を折られ、羽を引きちぎられたセイレーン。
にやにやと笑みを浮かべて、仲睦まじく肩を寄せ合う王子様とお姫様。
恋に破れたお姫様は、セイレーンとなって人々を襲う。
では、思いを寄せるお姫様が、自分の目の前で失恋姫へと変貌してしまった王子様は、何になる?
青年は決して異性から好かれるような見た目はしていなかった。
運動するよりも、静かに本を読んでいる方が好きな、戦う力を重んじられる王子様とは思えない、穏やかな男性だった。
他の王子さまもお姫様も、役無しだって皆彼を見てはひそひそと馬鹿にして、くすくすと嘲笑を浮かべていた。
誰もが彼を指して、道化の王子と蔑んだ。17にして恋の一つもしたことのない、王子の恥さらし。
どんな程度の低いお姫様だって、あんなのと結ばれるくらいなら失恋姫になった方が遥かにマシだ、と笑い続けた。
青年はそんな声は聞き流す。もう慣れてしまった。
争う事は好きじゃない、対話で事が済むならそれが良い。
そんな彼が恋をしたのは、夏のさなかの時だった。
恋の相手は金の髪と青い目の少女。
遠い異国から来た、歌の上手な役なしの女の子。
見慣れた黒髪とはまるで違う、美しい金髪と、屈託のない笑顔に、王子たちは夢中になった。
青年が彼女に声をかける事は無い。話をする機会もないが、どうせすぐに嫌われる事だけは知っている。
だったら、初めから何も期待しない方がいい。
それでも、もしもの時にあの子を守るだけの力は欲しい。青年は初めて、何かが欲しいと心から思った。
恋を知らない王子様が恋を知ったら、なにになる?
伝わらないと知りながら、抱え続ける一途な思いは、なにになる?
少女は隔てなく、青年にも話しかけた。
楽し気に笑う声は涼やかな風の様。ころころと変わる表情は、もっと彼女を見ていたいと青年に思わせた。
やがて少女は恋をする。お相手は青年ではなく、クラスで一番の美男子ともてはやされる王子様。
「あぁ、やっぱりか」
青年はそれだけ言うと、視界の向こうで王子様と話す少女の姿を目に移す。
朱の刺した頬と、他の誰にも見せないであろう笑顔。それを見る事ができるのは、青年ではなく他の王子。
ならば、と青年は呟く。
ならば僕は、その笑顔を守る剣になろうと。
その日から青年は本を置いた。その代わりに手に取ったのは、彼自身の武器、方天戟。
戦わなければならない時は少しでも離れて、という臆病な心が選ばせた、長柄武器。
妥協と妥当の産物であったはずのそれが、苦も無く震えられるまで、青年は己を鍛え続けた。
何事も急には変わらない。本を読んでいた時のように黙々と努力する彼の姿を、他の王子様とお姫様、役無しが嘲笑う。
落ちこぼれが無駄な事をする、大人しく縮こまっていればいいものをと馬鹿にして笑い続ける。
青年はそんな声を聞き流す。そんなもので揺らぐようなら初めからしていない。
少女を襲おうとするセイレーンを切り捨てた時、彼は弱かった自分自身も切り捨てた。
彼は少女を、彼女の想い人を守り戦った。
傷を厭わず、誰かの前に立てば決して折れず、斃れず。
いつしか王子たちからは、「奴が前に立てば安心だ」と言われるようになり。
くちさがのないお姫様たちは、「醜い盾」と忌々しそうにつぶやいた。
あぁ、確かに彼の姿を見れば、お姫様たちの言う、醜い盾という言葉にも頷けただろう。背後に庇ったものを決して傷つけず、自らは傷だらけになって、勝つ。最早傷の無い場所を探す方が難しい、盾の様な王子様。
そして彼は、セイレーンたちを殺しはしなかった。どれだけ傷つけられたとしても、言葉の通じる、同じ人間だった女性を殺すような事は、彼にはできなかった。
その日は不意に訪れた。
思いを寄せる王子様に愛の告白をする少女。しかし肝心の王子様は、既に別のお姫様と契りを交わした後だった。
失恋の苦悩に少女は悲しみの涙を流す。その肩に触れようとした彼の手が止まった。
自らの手が、傷だらけだという事に、彼は今気づいてしまった。
傷と返り血に染まった手で、彼女の肩に触れて何をする気だと考えてしまった。
代わりとばかりに、自分が彼女に思いを告げるつもりででも居たのか?
この醜い手と、醜い顔と、誰かを守るための力しか持たない、道化の王子が?
いや、道化の王子などと言う、昔言われていた蔑称すら、今の自分には相応しくないだろうと、引いた手に重なって、自虐の笑みが浮かぶ。
誰もが自分を影でそう呼ぶように、「バケモノ」と呼ばれるのが自分には相応しい。
そしてついに、彼女の姿は変わる。
金髪の美しい少女から、金髪の有翼の怪物、失恋姫へと。
王子様が失恋姫を目の前にしたのなら、やる事は一つだ。
彼は、方天戟をかつての想い人に突き付ける。金の髪の少女の幻影が、失恋姫の姿に重なった。
周りの王子様やお姫様、役なしは皆一斉にその場を退いていく。化け物が居るのだ、アイツに任せようと。
優し気な、楽しい、弾む様な歌を歌っていた口が、嘆きと苦しみに満ちた歌を歌い続ける。
歌は力となって、彼に襲い掛かる。音に殴りつけられ、揺さぶられ、傷だらけの身体が揺らぐ。
突き出された穂先が羽根を散らし、いつしか彼女の靴から突き出した猛禽の爪が新たな傷を作り出す。
こんな風になるハズでは無かったはずだ。
悲痛な叫びが超音速の風となって彼を切りつける
彼女の声が、やさしく彼を呼ぶ
金切声に近い叫びが超常の力を生み出し、彼の腕を引きちぎる
伝えた想いにはいと答えて、彼女が彼の腕を抱きしめる
金の髪が暴風に逆巻く、純白だった翼は、既に濃い灰色に染まり始めている
彼の名を彼女が呼んで、呼んでみただけ、と笑いかける
すべては、もうどうにもならない。できる事は唯一つ、終わらせてやることだけだ
「君を、好きだった」
「
もう戻らない、戻れない。
暴風の中に、美しい金髪と灰色の羽根
そして深紅の血が舞った。
思いを寄せるお姫様が自分の目の前で失恋姫へと変貌してしまった王子様は、誰かを守る騎士となる。
恋を知らない王子様が恋を知ったら、その恋に準じる事が全てとなる。
そして
その先を知る者は、誰もいない
降りしきる雪の中、寄り添う二人分の影以外には。
盾の王子とセイレーン 近衛真魚 @shittoreus
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