怒りの表し方
「貴男って、本気で誰か対して怒った事があるのかしら?」
ある日のティータイムの最中、エステラ様が思い立ったかのように俺にそう尋ねてきた時があった。
当然俺は「もちろんありますよ」と返す。
実際の所以前エステラ様から自分の卑屈な部分、要はコンプレックスを指摘された際に、エステラ様に対してみっともなく逆切れしちゃったしね……うん、あの時事を思い出したら、なんか自分が無性に情けなく思えてくるね。
そんな少し前の出来事を思い出して若干凹み気味の俺を見ながら、エステラ様は涼しい顔をしたままティーカップに口を付け、優雅に紅茶を啜っている。
(人に嫌な事思い出させときながら、自分は涼しい顔して紅茶を嗜むとか、この人ホント良い性格してるな!)
「ふぅ……何か勝手に盛大に勘違いしてるみたいだけど、私が言っている『怒り』というのは、欠点を指摘された事に対する逆上や、自分の弱さを見抜かれた際に弱さを認めようとしないで怒りを顕にするような、負の側面から現れるネガティブかつ、私憤の一言で片づけられるような怒りとは違うわよ。
そうね、自分の大切にしている何かを侮辱されたり傷付けられた時や、明らかに周囲に悪影響を与えている者に対して見せる怒り、自分にとっては私憤だけど、他の者からすれば義憤とも公憤とも捉えらえる正当性のある怒り、とでも言えば良いのかしら?
要は多くの者が己が持った怒りをポジティブに捉えてくれる事で、私憤が公憤へと周囲によって変化する筋の通った正当な怒りを、貴男は誰かに対してその感情を顕にして誰かにぶつけた事はあるのか?
と聞いているよ」
「哲学的な話になってきましたね。
正直エステラ様が言うような怒りの感情を誰かに向けた事があるのかと言われると、正直俺は怒ったら熱くなって周囲が見えなくなるタイプなので、俺には分かりませんね」
哲学めいたエステラ様からの言葉の条件を頭に入れつつ、今まで自分が怒った時の状況を考えてみる。
・・・うん、俺が怒りの感情を見せた時って、大抵は誰かに何かを指摘された時や、自分の想い通りに事が進まなかった時、自分の言い分を否定された時だね。
自分だけじゃなく他人が怒った時の状況を思い返せば、一つぐらいはエステラ様の言う条件に当てはまるような怒りの状況を見た事があると思ったけど、案外エステラ様が言うような怒り方した人って思い浮かばない。
そう考えると、エステラ様の言うような条件が満たされる状況って案外少ないんじゃないんだろうか?
「そもそも怒りにポジティブな要素ってありましたっけ?
『怒りとは抑えるべき物だ』とか、『持てば身を亡ぼす物だ』、なんて言われてるぐらいなんで、そもそも怒りを持つこと自体が悪い事なんじゃないんですか?」
「確かに怒りの感情は悪と評される事が多いわね。
怒りに囚われれば、判断力を鈍らせる危険性がある以上、抑制できるなら抑制した方が良いという事は、私も認めるわ。
おまけに怒りが正当な理由になる事なんて滅多にないから、貴男の言った通り怒りに対してネガティブなイメージが強いのは間違いないわね。
でも己が持った怒りの正当性が認められ、私憤から公憤へと変化した場合は話、が大きく変わってくるのよ」
「そんなもんなんですかね?」
「例えばだけど、ベルナルディタ様が皇帝が目指した切っ掛けは、ベルナルディタ様の母上の命を奪った前皇帝に復讐するのが切っ掛けなのは、帝国民にとって周知の事実よね。
でも、実はコレって世間的には禁忌とされる親殺しという行為を、ベルナルディタ様は犯しているのと同じなのよね。
”なのにどうしてベルナルディタ様は、多くの人間から指示を得られているのか?”、その理由を考えた事はあるかしら?」
「え?
いや、だって前皇帝って圧政を強いて近隣国に不要な戦争を仕掛ける暴君だったとして、もの凄く有名な独裁者だった訳じゃないですか。
そんな人が自分の子供に打ち倒されたって、誰も咎めないんじゃないんですか?」
エステラ様の問いかけに対して、俺は当然のようにベルナルディタ皇帝陛下の行った親殺しは、正当性がある物だと答える。
だって皇帝陛下の母上は、ベルナルディタ様を守るために前皇帝の手で散ったのだから、母親の敵として前皇帝を打ち倒そうとするのは変な話じゃないと思う。
それにベルナルディタ陛下が行っている政策は、現に多くの帝国民から好意的に受け入れられているんだし、俺だってベルナルディタ様が皇帝に付いてからの方が、治安は間違いなく良くなっていると思う。
そんな善政を施しているベルナルディタ皇帝陛下が。帝国民に指示されるのは当たり前だと思うんだけど、そんな分かり切った事を何故エステラ様は聞いてくるのだろうか?
「つまり貴男も、ベルナルディタ様が行った事の正当性を認めているからこそ、ベルナルディタ様が行った禁忌の行為を批判はしない、と?」
「そうですけど?」
「それってつまり多くの人間が『ベルナルディタ様が母上を殺された事で生まれた私憤を、公憤として捉えているからこそ、ベルナルディタ様が多くの帝国民に支持されている要因であるという事に他ならないのじゃないのかしら?」
「そう言われると……そうなのかもしれませんね」
「あっ、勘違いしないでね。 私はそれが悪い事ではないと思っているわ。
なんせ私もベルナルディタ様の私憤を公憤として捉え、ベルナルディタ様と共に前皇帝を打ち倒す為に戦いを挑んだ同士の一人だしね。
ただ貴男が『怒り』と言う感情を悪いイメージでしか捉えていなかったみたいだから、怒りも多くの人間から”正当性を認められ支持を得られれば、良い側面に働くケースもある”っという事を知ってほしかっただけよ」
エステラ様は別にベルナルディタ陛下の行った事を
あくまで「怒りという感情も時と場合によっては、いい方向に働く」というモデルケースを、俺にとってイメージしやすい例えで伝えたくれただけだという事も。
「エステラ様のおっしゃりたい事は良く分かりましたけど、どうして今その話を俺に?」
「貴男とこの屋敷で生活していてふと感じたのよ。
貴男ってちょっと物事に対して見切りを付けるのが早すぎるというか、達観し過ぎてる部分があるから、もめ事が起きそうになったら直ぐに身を引くし、相手の言い分や立場をしっかり考えた上での発言や行動を心掛けているじゃない?
そんな貴方の姿を見ていると、貴男は『自分の感情を表に出して事を荒立てる可能性を減らして、出来るだけ物事を穏便に進めようとしているんだろうな』って。
だからそんな生き方をしている貴男が、『自分の感情を表に出して誰かに怒る事なんて早々ないんでしょうね』って」
エステラ様の言う通り、確かに俺は出来るだけ事を荒立てないよう動こうとしている「事なかれ主義」の傾向があるのは、自分でも分かっている。
なんせそうやって生きた方が、俺の人生は上手く行っていたからだ。
特にフローレス家に来る前に居たナルバエス家では、俺が何か口答えしようものなら義母親から飯を抜かれたり、体罰を受けたりと散々な仕打ちを受けており、その状況から上手く逃れる為の出世術こそ「l事なかれ主義」だったからね。
「俺が自分の感情を表に出して事を荒立てる事より、物事を穏便に進める事を優先してしまうのは、ナルバエス侯爵で生活している時に、
流石に10年近くそんな生き方してたら、この生き方がもう染みついて取れなくなった癖みたいなものなので、今さらその生き方を変えるつもりはありませんが、やはり俺のような生き方ってエステラ様や他の人の目から見ると、好ましくない生き方なんでしょうか?」
「そんなことないわよ。
むしろ物事を出来るだけ波風立てず穏便かつ冷静に物事を進めれるというのは、一種の優れた才能だと思うわ。
ただそんな生き方をしている貴男に一つだけ私が心配してるのは、貴男が本当に怒りを顕にすべき時、正当性を持った怒りを持っても、その怒りを面に出す方法が分からないんじゃないのか?って思ったのよ」
「正直に言ってさっきエステラ様の話してくれてモデルケースを踏まえても、怒りに正当性がある物もあるという感覚が、完全に理解出来ている訳じゃないんですが、エステラ様の言うようにいざ怒りを面に出す術が俺にあるのか?、と言われたら、『どうすれば周囲に自分の正当性を認識させつつ自分の怒りを相手に伝えられるのか』、全く思い浮かびませんね」
まさか誰かに指摘されるまで、自分が怒りを顕にする術をもっていない事に気が付いていなかったのは、自分でも意外だったね。
結局俺は自分の言い分に正当性があったとしても、事なかれ主義を貫き過ぎた所為で、正当性を持った怒りを表現した事がなかった事を要約自覚したのはいいんだけど、困った事に実際どうすれば怒りと言う物を、上手く表現できるのかイメージが全く湧かないんだよな。
「まさかそこまでハッキリ『分からない』と答えられるなんて思ってもいなかったわ……貴男本当に誰かに対して本気で怒りを顕にした経験がないのね」
「正直言って自分でも意外でした。
まぁ、この先もそうならないように生きて行けばいいだけの話なので、あまり問題ないと思ってはいますけど」
「……何気にとんでもない事を自信満々に言うのね、貴男!」
「そうですか?
要は事を荒立てないで目的を達成する手段を選べばいいだけですし、達成できないと判断したら早々に見切りを付ければいいだけの話ですので」
なんせ今までそうやって生きてきたので、これからもその事を続ければいいだけだと思うんだけどな?
「そうゆう所が達観し過ぎだと私が思った所よ!」
「褒め言葉として受け取っておきますね。
そしてエステラ様、もし良ければ正当性があると思った怒りを面に出す場合、エステラ様はどのような形で怒りを面に出すのか聞いても?」
「私の場合、気に食わない奴は『
そう言ってスラリと剣を抜き、俺に向ける。
「いや……そうゆう事じゃなくてですね」
「半分冗談だから気にしないで」
そう言いながら剣を仕舞うエステラ様だが、半分冗談って事は、残りの半分は、【気に食わない相手を愛剣で常に叩きのめしてきた!】、という事でしょうか?
なんかその話詳細が気にはなるけど、ちょっと詳細を知るのが怖いので聞くに聞けない靄が残る事を言わないでほしいんですけどね!
「そもそも私と貴男じゃ人間性があまりも違い過ぎるものね、だから私のやり方は参考にならないと思うわ」
「確かに俺は気に食わない相手を、剣で相手を叩きのめせませんからね」
「はいソコ!、人の冗談発現を何時までも引っ張らない!!
そうね……真面目に言えば貴男みたいな理知的なタイプは、怒っているからと言って声を荒げたり、顔を顰めたりしえ相手に怒りの感情を見せる必要はないと思うわ」
「ソレで怒りが伝わるもんですかね?」
「怒りって、表情を変え、大声を上げなくたって十分伝わる物よ。
むしろ貴方なら怒りの感情を持っても冷静に状況を把握してそうだから、只淡々と相手が言ってる事が筋が通ってない事を突き詰めてやりなさい。
それだけで周囲には、貴男が怒りの感情を顕にしている事が十分伝わるわ。
だからもし貴男が本当に相手に対して怒りを顕にしたいと思った時は、徹底的に相手の非を冷静に淡々と、道筋を立てて責め立てやればいいのよ!
むしろそうゆう冷静に見える怒りの表し方のほうが、周囲から自分の怒りに対して賛同を得られる事が多いわ」
「なるほど、参考にしますね。
やっぱりエステラ様もそうして怒りを顕にした事で、周囲から自分の怒りに賛同を得られた経験が?」
「私の場合は……相手を詰めるんじゃなくて、お父様や義姉様に詰められて恐怖を感じた経験の方が多いわね……」
「え? どうゆう事ですソレ!?」
「良いじゃないそんな事! それよりこの件を先に何とかするわよ。
貴方に言われた通り陛下にこの前領地で取れた茶葉を勧めたら、帝都からトンデモない量の注文が入ってるんだから!!」
そう言ってエステラ様は俺に書類の束を渡してくる。
先程自信が無さそうに答えた言葉の真相が気になるが、この様子だと一生おしえてくれなさそうだね。
・・・
・・
・
少し前にこんなやり取りをエステラ様をしていた日々がふと思い浮かんだんだけどさ、要は今この状況を作り出している
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます