芽生えてしまった邪な思い

 「……もう朝なのね」

 私は昨日芽生えた己の邪な感情がずっと己の中で蠢き続けてくれるお陰で、目を閉じて眠りに入ったと思えば何故か眠る事を拒否するかの如く”ハッ”と目を覚ます事を繰り返していた。

 そしてその事を繰り返し、何度目のかの覚醒か分からない覚醒で目を開いた時には、既に何時の部屋の中には朝日が差し込んでいた。

 もはや自分でも眠った時間と起きていた時間、どちらかが多かったのも良く分からなければ、そもそも本当に眠った瞬間が僅かにでもあったのかさえ自分でも良く分からない。


 どうして一夜明けても私の心は、何故こんなにも心苦さ未だに感じているのか?

 なぜあんな醜い感情を抱いた?

 それも己に誠心誠意仕えてくれていて、何の罪も犯していない使用人に向けて?

 このような事、フローレス家の当主としてあるまじき行為ではないのか?

 何故それが分かっていながら、何故未だに自分の中で処理出来ない? 

 考えれば考えるほど様々な疑問と葛藤が己の中で渦巻き、私は益々自分の感情を、どのように処理すればこの感情が晴れるのか? その答えはどれだけ考えても一向に思い浮かばない。

(このまま考え込んでも埒が明かないわね)

 そう思った私はベッドから起き上がると、少しは気分転換になると思い、日課である早朝トレーニングを始めるために鍛錬上に向かう。



(ふぅ……少しは体を動かせば気分が変わるかと思ったけど、あまり変わった気がしないわね)

 それどころか睡眠不足が祟ってトレーニングにも身が入らないので、逆に益々イライラが増してしまった気さえする。

 おまけに昨日の夕食も食欲が湧かず断ってしまったので、力も入らない。

 相変わらず昨晩から食欲は一向に湧かないが、いい加減何か口にしとかないと、自分の体がもたないのは分かっているので、あまり気は進まないが私は食堂に向かった。


「おはようございます。エステラ様」

「おはよう、ミゲル」

「昨晩はあまり体調が優れないと言っておられましたが、今の体調はどうでしょうか?」

「……あまり良いとは言えないわね。だから今日の朝食は軽めにして」

「かしこまりました」

 食堂に辿り着くまでは、使用人達にどんな顔をすれば良いのだろう……などと思い悩んでいたが、いざ食堂でミゲルや使用人たちと言葉を交わしてみると、いつも通り接する事が出来たのは、私自身も以外だった。

 昨日あんなにも不条理かつ邪な感情を向けてしまった相手だというのに。


 どうやら私の心は、一晩で思った以上に整理が付いていた。もしくは昨晩あんな態度をとった主人であっても、普段通り接してくれる使用人達の姿に心が洗われた?

 とにかく理由は私の中でハッキリ良く分かってないが、明らかにさっきと比べると落ち気味だった私の気持ちは、使用人の皆と顔を合わせた事で普段の安定した状態に近づいている。

 その事に気が付けば、不思議と先程まで失せていた食欲も戻ってきたので、「軽めにと頼んだが、今日は食べきれなさそう」と踏んでいた朝食もちゃんと完食し、まだ胃の中に余裕を感じたので、「食後のティータイムで普段は食べない菓子か果物でも用意してもらってもいいかもしれない」、と珍しく考えていると、食堂の扉が開く音がして誰かが食堂に入ってきた事に気が付き、私は食堂の扉に目をやると、先程まで鳴りを潜めていた邪な感情が、再び湧きあがってきた。


「おはようございます、エステラ様。

 昨日は気分が優れなかったと聞いていますが、今朝の気分はいかがですか?」

 食堂のドアから姿を見せ、挨拶をしつつ私の心配するリカルドの姿を見た瞬間、私の中でまたが、再び己の中を蠢き出したのだ。


「ああ…心配かけたわね、もう大丈夫だから」

 そう言った直後私は、席を立つと、リカルドの横をすり抜けるようにして、食堂から出て行った。

 そんな私の姿を見たリカルドは、どことなく私の事を心配そうに見ている。

 だが、そんなリカルドに対して私は、昨日から私の中に巣食い続ける感情をリカルドに向けてしまうのと同時に、リカルドに対してそう思ってしまっている事をという気持ちも同時に生まれたので、そんな今の己の心境をどうしてもリカルドには決して知られたくないと強く思ったので、私はリカルドとロクに顔を合わせもしないでその場を去った。


「一体何をやっているのよ……私は」

 何故自分はリカルドを避ける行動を取ってしまっているのか、自分でその理由を理解出来ない私は、自傷気味に己が取った不可解な行動を嘆いた。



 キーン、キン、ガッ、ガン

「……参りました」

「まだまだ踏み込みが甘いぞ!次!!」

「はっはい」

(訓練で部下と剣を打ち合っている時は、余計な事を考えないで済むから助かるわ)

 私は己の中に巣食うドロドロとしてこの邪な感情といくら向き合っても、どうすればこの邪な感情が少しは鎮まるのか、その答えは未だに見出せない。

 それにどうして私が、何時までもこんな感情もずっと引きずりまわされなくてはいけないか? そう思うと無性に腹が立ってくる。

(全く、帝国最強の騎士と呼ばれた人間が、突如現れた黒い邪な感情一つロクに制御できないで、ソレに振り回されてるなんて、呆れて物も言えないわね)

 自傷気味に心の中でそう嘆くが、剣で撃ち合っている時はその事をほとんど考えなくて済むので、正直助かっている。

 だが己の心に乱れが生じていれば、ソレが態度や動きに素直に出てしまう為、今日の私の剣は大いに荒れているのが自分でも良く分かった。

 その所為でいつもより力を込めて打ち合ってしまうから、今日は部下から一本取る際はどうしても派手になりがちなのよね。

 ガキーン!!! ……またつい必要以上に力を入れて、相手の剣を不必要に大きく弾き飛ばしてしまう。


「訓練と言えどそんな簡単に隙を晒すな! おまけにどいつもこいつも剣を簡単に手放すとは情けない!!

 コレが実戦ならお前達全員とっくに死んでいるぞ!」

 私は隙を見せた部下の剣を大きく弾き飛ばした後、喉元に剣を突き立てながら叫ぶ。

 どうやら己の精神があまり良い調子じゃないせいか、普段ならここまで強く言う必要のない些細な事でさえ気にしてしまうぐらいナーバスになっているようで、今日の私は部下達が模擬戦で見せる僅かな欠点を、いちいち全て大声で指摘してしまう。

 傍から見ると、まるで部下に八つ当たりしているように見えてしまうかもしれないが、実戦において僅かな隙が命取りになるというのは、今も昔も変わらぬ事である以上、この指摘だけは疎かにしてはいけない事なので、やっている事が間違いだとは思わない。

 だけど「方法として正しいのか?」、と言われると、そうではない気がする。そんな自問自答をしていると、ふとある事に気か付く。


(そういえばここ最近は戦の機会も減ったせいかしら? こんなに厳しく物事を指摘していなかったわね)

 そう感じたのは、今日の私の姿に団員たちが困惑している様子から分かるのだが、前皇帝が無計画に戦争ばかり仕掛けていた頃の騎士団の訓練なら、私がやっていた事など日常茶飯事で、そう考えると今は「かなり優しめに物事を言うようになったな」、なんて思うわね。

 なんせベル姉様が帝国を統治するようになってから、帝国の騎士達が戦闘に参加する機会は年々大いに減っている。

 その結果私も常、に死が隣り合わせである実戦の緊張感と緊迫感という物を忘れ初め、自然と少し甘くなっていた部分もあるのかもしれないわね。

 そんな事を考えながら一通り団員達と模擬戦を終えると、団員達は全員息を切らして蹲っている中、目に付きにくい場所でこそこそと何かを話している団員が二人が居る事に気が付いた私は、あえて気配を殺して二人に近付いてみる。


「ハァ、ハァ……お、おいニール!

 やり合う度に本気でこっちを殺すような気迫で迫りつつ打ち込んでくる団長の何処をどう見たら、『今日の団長は恐らくご機嫌だろうから、訓練も比較的マシな方で終わりそう』なんて発想が出て来るんだよ?

 むしろ俺は、下手な実戦より命を危機を感じてるぞ!」

「可笑しいな?

 昨日の帰りはめちゃくちゃ機嫌良かったから、今日の訓練は比較的マシな方になると思ってたんだけどな。

 まぁ、最近大きな戦もないせいか、なんか鍛錬しててもイマイチ身に入ってない感じだったら、いきなりペース上げれるはちっとキツイよな」

「ほう、私と散々打ち合った後でも、まだそれだけお喋りを楽しめる余裕があるのは流石だと褒める所かしら? つまりそれは、まだまだお前達にも私同様余力が残っているって事よね?

 だったら丁度いいわ。昨日己の新たな弱さに気が付き、その弱さを克服するためにも、より一層強くなりたいと考えいたから、今一度自分を極限まで追い込もうと考えていた所だったのよ。

 ついでにお前達も極限まで追い込んで、己の限界を引き上げる手伝いをしてあげるから、もう少し私に付き合ってもらおうかしら?」

「「いや、俺達としては自分を限界まで追い込む前に、もう少し休憩させて頂けると嬉しいんですが……」」

「フッ、そう遠慮しないで。

 共に己の弱さを克服し、最強の騎士団の名に恥じぬ高みを共に目指そうじゃない」

 私がの言葉を聞いたニールとアリーの二人は、顔面を蒼白させ必死に「遠慮しときます」っと私に訴えかけてくるのが分かる。


「ハァ……この程度の事でそんな顔を見せるようになったとは、どうやら最近大きな戦もなかった所為で、二人ともすっかり気が弛んでしまっているようだな。

 帝国最強であり、多くの騎士が目指す頂でもあるインパクトナイツのNo2とNo3を務めるお前達二人が、そんな軟な根性でその座についていると知れば、他の騎士達はさぞガッカリするんじゃないのか?

 丁度さっき、『ここ最近めっきり戦が減ったせいで自他共に甘さが出てしまっている』なんて思っていた所だ!

 この際だから丁度いい! 戦場で常に付きまとっていた死と隣り合わせのあの緊張を、この場で再び思い出させてやろう!」

 そう言った私の顔は、「我ながらとても良い笑顔をしているんだろうな」、と己の顔を見なくても分かった。 

 私はその素晴らしい笑顔のまま、有無を言わせる間も無く二人の制服の襟を掴むと、ズルズルと二人を引き摺って強制的に鍛錬の場に引き戻した。


 その様子を他の騎士団員が、恐れ戦きながら見ているが、「ちゃんとお前たちの番も回してあげるから心配しないで」という意味合いを含めて笑みを送ってやると、騎士団員達の顔が引きつる様子を見せるが、どうやらこの程度こんな表情を見せるとは、本当に最近少し自他共に甘さが出てしまっていたのかもしれないわね。

・・・

・・

「ふぅ、少しやり過ぎたかしら?」

 今日の騎士団の訓練が終わると私と騎士団員共にボロボロになっていて、お互いフラフラになりながら体を休める場所に戻りだした。


 命をやり取りをやる以上、騎士にとっては限界以上の力を常に引き出せるように、己が限界!と思う先を超えて己を追い込む必要もある!

 という教えが帝国騎士団にはあるが、それにしたって今回は私情が入ってしまった事もあって、全員明日またも動けるか不安になるぐらい徹底的に追い込んだのは、”少々やり過ぎだった”、と我ながら思うわね。

 明日の訓練は、もう少し軽めに組むべきかしら?

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