管理人の日常 


 フローレス家に来て一カ月半。

 思った以上に早く屋敷の管理に関する業務を、滞りなく熟せるようになった俺は、自由に動ける時間が増えたので、その時間を好きなように使って、やりたいと考えている事をやっていても、エステラ様やフローレス家で働く人々から一切文句を言われない程度には、俺の仕事は評価されてるようで、その事は素直に嬉しいと思えた。

 ちなみにそれが出来るようなった理由の一つとして、まさかナルバエス侯爵家で、掃除、洗濯、料理に裁縫と言った家事全般から、帳簿管理に領地経営の補助、要はナルバエス侯爵家内でやれるありとあらゆる業務に精通してしまった事。尚且つそれらの業務を少ない使用人でこなす必要がある中で、俺には最も多くの業務が回っていた事(というよりは、俺にあえて多くの仕事を回すようにナルバエス侯爵夫人が手をまわしていただけなんだけどね)


 要は常に複数の仕事を平行かつ効率良くするための業務方法(俗にいうマルチタスクというヤツらしい)を嫌が応もなく俺は考える羽目になったのだが、そんな無茶ぶりを熟せないとなると、侯爵夫人やニコラスから散々ボロクソに文句を言われ、酷い時は体罰も与えられていた環境から、俺は少しでも離れたいが一心で、常に業務効率上げる方法を試行錯誤しつつ、なおかつミスを極力少なくする方法という物を常に考えながら侯爵家で10年近く働き続けていた。

 その結果、実際はあまり効率が良くないとされるマルチタスクにおいても、それなりに仕事を進める能力が身についてしまった事で、この屋敷にの業務においても過去の経験の応用が大いに活きたのだ。

 それはつまり使用人のほとんど仕事のサポート役も出来れば、使用人一人一人の仕事内容を少し見ただけで大まかに把握出来る。

 それによって各使用人のスケジュールび中身まである程度想像しつつ、把握出来てしまうので、結果として俺はこの屋敷の管理業務という仕事に、大きく貢献出来てしまったのは、本当に意外だった。


 偉人は「経験はいつどこで役に立つか分からないから無駄にはならない」、なんて言った内容の言葉を良く口にするけど、その言葉の神髄を自分が体験する時がくるなんて、ホントこの世の中いつ何が起きるか分からならないもんだね。


 って言っても、俺が自由な時間を作れるようになった最大の理由は、なんといっても使用人の皆が適役に役割を熟してくれているからであって、俺はその役割が正しく機能しているか確認しつつ、何か承認が必要な事態があった時は、俺の権限で出せる承認なら承認を出すかどうか俺が判断し、エステラ様の承認が必要な物だと判断したら、エステラ様に承認を任すべく報告に行くだけ。

 っという判断が簡単に出来る状態まで、使用人の皆が仕事進めて俺にバトンを渡してくれるから、スムーズに仕事が済んじゃってるからなんだけどね。

 いやー、ホント上手く回ってる組織の手本だよね。フローレス家の職場環境って!


 それに対してナルバエス家の環境は……思い出したら悲惨な状況しか思い出せなかったね。それも全部ニコラスの金遣いが荒いのと、ニコラスが招いた男女のもつれを解決するために大量の金が侯爵家から飛んだ事によって、そのシワ寄せで使用人をどんどん切っていったからなんだけどな

 今考えると、俺一人でよくあんな数の業務量を熟そうとしたな……今になって自分の命が尽きる前にあの家から出れて良かったって、本当に思えてきたよ。

 俺の命が尽きてない事に感謝! 頼もしい仲間達が居る事にはもっと感謝!! そしてこんな職場を与えてくれた雇用主には最大限に感謝しないとね。


 そんな感謝の意を示す訳じゃないんだけど、割と自由に動ける時間が増えてから、この屋敷に出入りしている業者さんや商人さんとそれなりに話す機会が増え、噂話から、まだあまり世に出回ってない話まで教えてもらえる程度には仲良くなった頃

 「実はまだあまり知られていない話なんですが、最近フローレス辺境伯内に並ぶ山脈で茶の木の群生地が見つかったらしんですよ。

 そんで試しにその茶の木で茶葉を作ってみたら、なんと絶品の紅茶が出来た!って話ですよ」

 という噂話を複数人から聞いたので、ふと気になって紅茶をよく嗜むエステラ様に話してみると、エステラ様もまだ知らない情報かつ、紅茶好きのエステラ様としては、気になっていた様子だったので、試しに商人伝手に取り寄せ、早速執務室でエステラ様に試飲してもらっているんだけど


「……いいわ、これ!

 芳醇な香りに、甘味と渋みのバランスも絶妙。この茶葉、相当上質なマスカテルフレーバーよ」

「お気に召して何よりです」

「まさか領地で、こんな上質な茶葉が出来てるなんて、思ってもいなかったわ!」

 俺が試しに取り寄せてみた領地の茶葉は、エステラ様から絶賛の声を頂いた。

 しかし紅茶を嗜んでいるだけだというのに、その姿がとても優雅に見えるなんて、これも所作の一つ一つが美しいからだろうね。

 そんなエステラ様を見ていると、やはり辺境伯当主という大貴族の貫録という物を感じずにはいられない。


「このレベルの品質なら、問題なく帝都でも出せるわね」

「だったらフローレス辺境伯領に不足している【貴族や富裕層向けの新たな名産品】として売り出せるかもしれませんね!」

「…貴男もう私より領地の事について詳しい気がしてきたわ」

「いや、流石にそれはないかと!」

 屋敷の総責任者として仕事してたせいか、エステラ様の言うように、ホントはエステラ様より領地の状況に詳しくなってしまったのかもが、それは全てナルバエス侯爵家でワーカーホリックだった時の習慣が抜けてなくて、やれる事を可能な限りやろうとする悪癖が付いちゃったからなんです。

 そんな訳で、その事に関してはあんまり気にしないで頂きたい所存です。


「えー。では、この茶葉の発信方法なんですが、発信源としてはエステラ様から発信すれば、宣伝効果も抜群です。

 これでこの領地の品で、新たなニーズを会得する足掛かりが掴めそうですね」

「ちょっと待ちなさい!

 今貴方当然のように私に『この茶葉を宣伝して来いって」言わなかったかしら?」

「もちろんです。だって帝都に行って上位貴族に直接この茶葉を売り込めるは、エステラ様しかいないじゃないですか」

「貴男……私の本職分かってそんな事言ってるのよね?」

 あ! エステラ様ちょっとマジで怒ってるかもしんないコレ。何て言っても今エステラ様は目が笑ってないんです。

 だけどここで怯んでこの話を流してしまえば、せっかく掴めそうな大きなチャンスを逃す事になるので、内心ビビって足がガクガクと震えそうなのを必死に堪えつつ、俺はエステラ様がこの帝国における最大級のコネを持っている事を伝えなくてはいけないんだよね。

 ちなみに背中には嫌な汗がダラダラと伝い始めているよ! えっ?デカい事言ってる割には情けないって?

 だってあの一切目が笑ってない表情と、それに伴って放たれるプレッシャーは、何度経験したって本当に怖いんだから仕方がなくない?


「エステラ様は、帝国最強の騎士にして、帝国最強の騎士団を束ねる騎士団長様です」

「そんな私に茶葉を売り込む暇があると思うかしら?」

「暇だなんてこの茶葉のかけら以下の微塵にも思っていませんが、エステラ様はこの帝国トップに君臨している皇帝陛下に、割と頻繁に謁見出来る立場なんですから、謁見じゃなくても報告書渡すついでにこの茶葉を、手土産として簡単に送れる立場なんですから、発信源としては相当強いんです。

 せっかくのご自分の立場を、利用できる時に利用しないなんて、損だと思いませんか?」

「いや……しかし私としてもね。その、立場という物が……ね?」

「『相手が皇帝陛下だろうが容赦なく物申す女傑』なんて言われてる人が何言ってるんですか?

 それに茶葉自体は上質って分かってるんですから、別に渡しても失礼にはなることはよっぽどないと思いますよ」

「はぁ、分かったわよ……あまり気は進まないけど」

 こうしてエステラ様から、皇帝陛下に領地産の茶葉を売り込む事になったけど、まさかあんなに気が進まなそうなエステラ様を見る事になるとは思ってもいなかったね。

 果たしてあの表情は皇帝陛下に茶葉を渡したくないからなのか?

 それとも単純に宣伝がめんどくさいからなのか?

 どっちにせよ先程紅茶を嗜む際に見せていた、大貴族らしい気品を醸し出していた姿と違って、今のエステラ様は、優雅さなど微塵も感じない、やりたくない事を前にしてブーブーと文句を垂れている只の一般人女性のようで、思わず”クスリ”と

 笑う訳にもいかないので、伝える事を伝え終えた俺は、さっさとこの場から退散しようと、テーブルに広げていた書類をサッサと片づけ始める。

 するとエステラ様がふと立ち上がり、自分の愛用の物とは別のティーセットを出すと、テキパキとお茶の準備を始める。

 (あれ?お客さんが来る予定あったっけ?)っと考えつつ、書類を片づけ終えた俺は、いざ脱出!

 ではなく、いざ退出! と行こうとすると


「せっかくだから、貴男も飲んでいきなさいよ」

 そう言ってエステラ様が俺に態々紅茶を入れて差し出してくれた。はい、脱出失敗だね。

 流石にエステラ様が入れてくれたお茶を、立場上決して断る訳にはいかないので


「では、頂きます」

 こうして俺の執務室脱出計画は失敗に終わった……そしてこのお茶この前試飲した時より断然美味いな! やっぱり紅茶通のエステラ様入れたからだろうか?

「エステラ様が入れてくれたお茶、最高に美味しいですね」

「フフフ、褒めたってお茶菓子ぐらいしか出ないわよ?」

 こうして急遽始まったエステラ様との二人きりのお茶なんだけど、始まって早々

 どうしてエステラ様は宣伝をしたくないのか。

 皇帝陛下に領地の茶葉を勧める気がしないのか。

 という議題……じゃなくて愚痴が始まった。そしてエステラ様から放たれる愚痴の内容の中に、ちょいちょい帝国の機密に関わってそうな内容が含まれていた気がする。

 これは実際聞いてても聞いてなり不利に限る案件だという事を俺の直感が判断したんだよね。

 だから今回のエステラ様の愚痴の内容に関しては、俺の口からは何も言えません。


 それとこのお茶会?(と言うよりは、エステラ様の只の愚痴聞き相手だよね、コレって!)が切っ掛けで、俺はエステラ様の執務室に行くたびに紅茶をご馳走されるようになった。

 その変わり愚痴と言う名の、口にする事さえ危ぶまれる内容の何かをしょっちょう聞かされる事になったけどね。


 オマケにその様子を見ていたミゲルさんやローラさん、それにエステラ様のお付きの侍女一同から微笑ましい笑顔かつ、生温かい視線を送ってくるようになったんだけどさ。

 仮に雇用主兼上司かつ書類上は奥様である人からお茶入れてもらったら、飲まない訳には行かないからね!

 全く、皆して何に期待して、俺とエステラ様にそんな視線を向けてんだかね?

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