第1話

 家主である彼女は少年を自宅へと招き入れた。

家の中はきれいに片づけられており、少年は玄関で一通り泥や葉っぱを落としていく。


 リビングに通されると椅子に座るよう促された。

子供には高い椅子に何とか腰かけると、彼女は持ってきた木箱から治療道具を取り出し少年の手当てを始めた。

人に触れられるくすぐったさに、傷口を洗うのに滲みる痛みに少年は居心地が悪そうにしている。


 手際よく治療をすますと木箱をもとの場所に戻し、代わりに食器棚からカップを取り出し、暖炉にかけていたポットを持って少年の前に座った。

カップにホットミルクを注ぐと、家主は少年に話しかけた。


「この辺りはよく子供が迷い込むが、あんたはちょっと事情が違うみたいだな」


「ここに来る前にいた村の人が言ってたんだ。僕の母親は西南の森に住んでるって」


「そうかい。で、どうだい。私はあんたの母親だったかい?」


 その問いに少年は悩んだ後、首を横に振った。


「そうだろう。私に子供はいないしな」


 そういうと彼女はカップを口につけた。


「あんた、自分の母親と会ったことないのか?」


「僕が生まれてすぐに両親は死んだって村長が言ってた。だけど、両親のお墓はなかったからどこかで生きてるかもって」


「そうか」


「村長も死んで、そうしたら村のみんなが僕に出て行けって言ったんだ。だから僕は村を出て、別の場所で生きていこうと思ったんだ。だけど、どこに行っても追い出されて」


 か細くなる声が途絶えると、少年は自分の髪を掴んだ。

手入れされていないにも関わらず、その髪は指に引っかかることなくすんなりと通るほど柔らかい。

その様子を見て彼女は納得した。


「なるほど。要はその髪のせいか」


 少年の露草色の瞳が彼女をとらえる。


「村の連中のほとんどが私みたいな金髪か、もしくは茶髪だろう。けど、あんたの髪は白色だ。老人ならまだしも、子供でその色はまずいないだろうな」


 彼女の琥珀色の瞳が少年を見つめる。


「自分でもその髪色が異質なのを分かっているんだろう。だから私のことろに来た。そうだろう」


 そう、少年は彼女が何者かを知ったうえでここに来た。

自分の本当の母親なのか、そんなことはどうでもよかった。

ただ彼女に、「西南の森に住む魔女」と呼ばれる人物がどのような人か一目会ってみたかったのだ。


 村で聞いた彼女のうわさは恐ろしいものだ。

子供を魔法で森へ誘い、家に招いては食べてしまう。

村の人々はそれはそれは彼女を恐れていた。


「それで、帰れなくなるのにここに来てよかったのかい?」


 人の心を擽るような声で少年に問いかける。

しかし少年は泰然とした態度で答えた。


「もうどこにも僕の居場所はないから。どこかの道端で乾涸びてしまってもしょうがないし、それなら貴女に食べてもらいたいと思って」


 そう言って少年はあどけなく笑って見せた。

そこに邪なものはなく、憂う様子も絶望すらもない。

まさしく少年の本望であった。


「子供の分際で既に人生に満足したようなことを言うんだな」


「ずっと独りぼっちだった。だけど貴女に会えた。貴女も周りと違うから、人に合わない森に住んでいるんでしょう?」


「私たちは人と混ざって暮らせないからな」


「自分と似た境遇の人に会えたのが嬉しいんだ。だから構わないよ」


 少年は微笑んだまま彼女を見つめる。

しかし彼女はそんな少年を見てつまらなそうにため息を吐いた。

そんな素振りをしても少年は微笑んだまま、その様子を見て彼女はさらに苛立ちを募らせた。


 そして彼女はすっかり冷えたミルクを一思いに飲み切ると割る勢いでカップを机に叩き置いた。


「いいだろう、ちょうど退屈していたところだ」


 この態度にさすがの少年も彼女の行動を悟り、上がっていた口角を横に結び、次の行動を待った。


「私の名前はリンドウ。私が満足するまでお前を可愛がってやろう」


 そう言って彼女は少年の頭を撫でた。

少年はその行動が理解できずただ茫然と彼女を見上げる。


「名前は?」


 彼女が少年に問いかけたところで、ハッと意識が戻ったようだ。

少年はしどろもどろとした様子で答えた。


「無い。両親は僕に名前を付ける前に死んだみたいで、村長も僕の名前を知らないみたいだった」


「村長が名付けてくれなかったのか?名前がないと不便だろう」


「うん。でも、いつも村長と一緒にいたから名前を呼ぶ必要がなかったんだよ、きっと」


 少年は本当に気にしていない様子だったが、彼女はその様子を悲観した。


「じゃあ、お前の名前も考えないとな」


 少年はその言葉に驚きを隠せないようだった。

取れてしまうのではないかと思うほど見開かれた目から零れ落ちたのは涙だった。


「名前というものは大切なものだ。この世界に存在するものすべてに名前がある。お前にだけないだなんて、そんなことはあってはいけないんだ」


 泣きじゃくる少年をなだめるように彼女は伝える。


「人の名前なんて考えたことがないし、時間がいるかもしれないが待てるか?」


 グスリと鼻をすすりながら何度も頷いた。

そんな頭を彼女はまた優しく撫でた。


「今日はもう寝よう。ここまで来るのに疲れただろう。明日はまず風呂だな。髪も肌も泥まみれだ。傷口にしみるだろうから、覚悟しておけよ」


 そう言うと頬に着いたままだった泥を指で拭った。


「うん。ありがとう、リンドウさん」


「こんなのはただの気まぐれだ。礼を言われるようなことじゃない」


 そう言って彼女は立ち上がると少年の手を取った。


「おいで。寝室に案内しよう」


 少年は空いた手で濡れた顔を拭うと、彼女の手を握り歩き出した。

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