下町2

「そうかい? ま、強くは言わないけどね。おばちゃんもアドラーの顔を見たいと思っているからね。また来てくれると有難いし、寂しいと思ったのは本当だから。くれぐれも他の神官たちにバレるように無い様にねえ。怪我するのはおばちゃん本位ではないよ」


 無言で外に出ていると以前言っていただろうか。見つかれば普通に罰を受けるのだと。何度でもバレているのでもはや罰のプロである――と本人は笑っていた。


 それは笑うところなのだろうかと若干悩むが、本人が笑っているので大したことは無いのだろう。そして今も子どもっぼく笑っている。


「ありがとう。おばちゃん。オレ頑張るよ」


 何が――とは誰も突っ込むものは居なかった。どこか鼻息荒いアドラーに女将はにっこりと笑って『ああ、そうだね』と同意する。


 むぐむぐと食べるアドラーを横目に女将は顔を上げていた。


「あ。シャロンちゃん。お使いかい?」


「――シャロン?」


 アドラーか視線を上げると一人の少女が歩いてくる。アドラーと同じ年ごろの少女であったがどこか儚い印象を受ける。くすんだ飢饉色の髪。白い肌はどこか病的で化粧っ気の無い唇はどこか青く見える。痩せすぎにも見える手足は今にも折れそうで心配になる。


 アドラーは駆け寄ると少女――シャロンの手を心配そうに取った。その灰色の双眸が心配そうに見つめるのでシャロンは少し笑って見せる。大丈夫。そう言わんばかりに。尤もそれを信じるアドラーでは無かった。


 きゅうと眉を寄せる。


「大丈夫か? 歩いても問題ないのか?」


「ん。調子がいいから。おばさん。私にもアドラーのものと同じのをくださいますか?」


「待ってな。すぐ作るからね。……あぁ。アドラー座らせてやんなよ?」


「分かってるよ」


 アドラーは慌ててパンを飲み込むと近くのベンチにシャロンを座らせ、ふうと息を一つついた。


「救護院には?」


 救護院。病院のようなもので医師と神官が詰めている。街の人間であれば格安で医療が受けられた。


「行っても仕方がないよ? 昔から身体が弱いのは知ってるでしょう?」


「そうだけど」


 悔しそうに口元をアドラーは結ぶ。


 シャロンとアドラーは幼馴染であった。アドラーが地方から大神殿に来て初めて出来た友達である。街で道に迷って助けてくれたわけであるが――それはさておき。シャロンは身体が弱い。昔から欲熱を出して倒れている印象で、それはこの年齢になっても治ることは無かった。


 身体の弱さはどうすることも出来ないらしく、救護院に行っても意味は無い。神官の力――癒しの力を持ってしても回復することはなかった。


 それを指を咥えて見ている事しか出来ないアドラーの想いは幾何(いくばく)のものだろうか。なぜなら神官でありながらアドラーは癒しの力を扱う事が出来なかったのだから。


「そんなことより、また抜け出したんだ。鍛冶屋さんに?」


「追い出されたんだってさ。まったく」


 女将が注文のパンを持ってくるのでシャロンは丁寧に受け取って賃金を支払った。パクリと小さな口がパンを頬張る。それをじっと見つめていることに気付いたアドラーは慌てて視線を逸らしていた。なぜ自分が見ていたのか理解できないまま、誤魔化すように口を開く。


「つ、疲れてて居眠りしただけだし?」


 呆れた溜息一つ頭から落ちる。


「謝りなね。ホント。許してくれるまで」


「う。分かってるけど……って何笑ってるの? シャロン」


 何か楽しいことがあっただろうかとアドラーは小首を傾げた。


「楽しそうだし、何より幸せそうだなって」


「そう? かな?」


 どちらかと言えば幸せそうに笑っているのはシャロンの方に見える。けれど、どこか儚くて手を握っていなければ消えていきそうなそんな感覚にぐっと拳を握っていた。


「シャロンちゃんはアドラーが能天気だって言ってんだよ」


「? ありがとう?」


 ははは。と女将は笑う。


「褒めてないぞぅ? とにかく。アドラーはシャロンちゃんを送っていきなね。道端で倒れられたら困るからねぇ。あ。弟君に宜しくねぇ」


「こないだのパンが美味しかったと言付かってます。いつもありがとうございます」


 シャロンは丁寧に頭を下げる。それはこの街――地区に似つかわしくない礼儀正しさであった。そのことに慣れていないのか照れた様に女将は『いいさね』と笑う。


「さ、帰んな。私も店じまいさ――ほら。鐘の音が聞こえるだろう?」


 街中に低く荘厳な鐘の音が響き渡った。夕刻を伝える鐘は大神殿から電波するように響く。


 一度、二度、三度。夕方のそれはどことなく物悲しく感じるのはなぜだろうか。


「門限なんでしょう?」


「あ、げ」


 シャロンの言葉にアドラーは我に帰って低く呻いていた。尤も――鳴ってしまえば間に合わないのである。仕方ないのである。それでも顔が引きつるのは変わらないが。


 急いで帰るのとシャロンを送っていく事。どちらが重要なのかと考える迄もない。心を切り替えるように咳払い一つ。


 アドラーはシャロンに手を差し出した。


「帰ろうか?」


 大きな緑の目があどらーを見て差し出された手に落とされる。その掌に細い掌がゆったりと載ったところでアドラーは少しだけ肩を跳ねたがあくまでも平静を装った。


「ええ。ありがとう」


 柔らかな声が茜色の空に溶けていく。

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