第2章 兄妹の時間

「はああ〜〜」

 体が、勝手に大きな溜息を吐く。

 火照るように熱い体をどうにか動かし、自室まで戻ってきた。

 その身は、未だ白色の衣装を纏っている。

 自分でもわかるほどに熱い顔は、きっと、耳まで真っ赤になっているのだろう。

 あ〜、恥ずかしかった。

 女装していることもそうだが、自分の言動が何よりも恥ずかしかった。

 なぜ、あんなことを口走ってしまったのか。

 まるで、兄の馬鹿が感染(うつ)ったようだ。

 本当に、なんでこんなことになったのか。

 女装なんて、する気なかったのに。

 でも、仕方ないじゃないか。

 だって–––––こんな機会、もうないかもしれないから。

 昔から、ずっと兄ちゃんに甘えたかった。

 こんな歳になって、気持ち悪いかもしれないけどずっとそう思っていた。

 でも、小さい頃はひなたが甘えん坊だった分、ボクは全然甘えられなかった。

 誰が悪いわけではないことは、わかっている。甘えられなかった、自分が悪いのだ。

 その反動か、漠然と、兄ちゃんに甘えたい気持ちがあった。

 それは、時間が経つにつれて大きくなり、抑えるのが難しくなっていった。

 ひなたの世話を焼いているときは、どうにか堪える事ができていた。

 幼い頃からの癖で、ひなたのためなら我慢できたのだ。

 それが、この前のひなたとの会話で吹っ切れてしまった。

 たとえ、それが口をついて出た言葉だったとしても、それだけで、ボクを止めるものは無くなったのだ。

 そんな日に、兄ちゃんからの最低なお願い。

 正直、女装とかボクだってしようとは思わなかった。

 でも、兄ちゃんの部屋で見てしまったパソコンの画面が、ボクを狂わせた。

 さすがに、今になって面と向かって甘えたいなんていうのは恥ずかしい。でも、妹になれば甘やかしてくれるんだとわかった。

 だから、女装が嫌という感情より、甘えられるという悦(よろこ)びが上回ったのだ。

 そこからは、もう歯止めが効かなかった。

 お母さんのクローゼットから手頃な服を拝借して、身に纏った。

 愛を感じていなかったわけじゃない。でも、必要以上にそれが欲しくて仕方がない。

 これは、劇薬だ。

 この甘さに慣れたら、きっと、今まで通りの生活なんてできなくなってしまうかもしれない。

 その危険性に気付きながら、もう溺れる以外の選択肢はなかった。

 兄が妹に飢えを感じているように、ボクも兄からの愛に飢えていた。

 それを、自覚してしまったが最後、もう止まることはできないのだ。


***


「どう? 似合ってる?」

 フリルがついたガーリーな洋服をひらりとはためかせながら回ってみせるのは、俺の妹(おとうと)である、葵。

 俺はきっと、驚くほどにゆるい顔をしているのだろう。

 傍目から見たら、通報待ったなしだ。

「めちゃくちゃ似合ってるよ。サイズはどう?」

「う〜ん。ちょっと、大きめ? でも、問題ないよ」

 この服は、俺が通販で取り寄せたものだ。ゆえに、サイズに一抹の不安があったのだが、どうやら大丈夫だったようだ。

 しかし、なぜ洋服を実際に買いに行かずに通販で取り寄せたのかというと、前回の時に着ていたワンピースが、お袋のものだと知ったからだ。

 流石に、お袋の洋服を勝手に借りるのはいただけないと思い、俺から葵にプレゼントしたのだ。

 う〜ん。しかし、スカート……短すぎないか?

 まさか、ここまでとは思わなかったのだ。

 これは、ちょっと心配になる短さだ。こんな姿では外は歩かせられないな。次からは、そこも気を付けて服を選ぼう。

「えっち。どこ、見てるの?」

「え!? い、いや、どこも?」

 嘘である。

 もちろん、やましい気持ちがあったわけではない。

 しかし、そんな俺の心を見透かしているのか、手でスカートを伸ばすようにして隠してくる。

 そして、その顔は蔑むように俺を見据えている。

「くぅ〜ん」

 俺は、怯えた子犬のように縮こまってしまう。

 それを見た葵は、やれやれといった様子で首を振る。

「まあ、別にいいんだけどさ」

 そう言って、勢いよくソファに腰を掛ける。

 無言で、ぽんぽんと隣を叩く仕草に、応じるようにそこへ座る。

 意識して少し空けた隙間を、スッと詰められ息を吸い込んでしまう。

 ごくり、と生唾を飲む。

 緊張は最高潮に達し、視界がぐるぐると回り始める。

 正常な思考力を失った頭では、現状を認識することすらままならない。

 そんな俺を見かねてか、葵は一つの提案をしてくる。

「ね、一緒にゲームしよ。久しぶりに、さ」

 迷宮のように感じていたこの空間が、一気に開けたようだった。

 情けないな。この状況を望んでいたのは俺だったのに、いつも葵にリードされる。

 もっと、兄貴らしいところ、見せないとな。

「おう」

 家族で遊ぶことが少なくなり、俺の部屋にしまっていた家庭用ゲーム機を引っ張り出してくる。

 今では古いモデルのそれをリビングのテレビに繋ぎ、電源を点けてみる。

 テレビに表示された画面は、懐かしいものだった。

 もしかすると壊れてるかもしれない、というのは杞憂だったようだ。

「どのソフトで遊ぶ?」

 持っているソフトを並べて、葵に見せる。

「ん〜」

 品定めするように見つめる妹(おとうと)は、決められないというように唸っている。

「じゃあ、これでいいか?」

 そう言って取り上げたのは、懐かしのパーティーゲーム。

 昔、家族みんなで遊んだことが思い出の、俺のお気に入りだ。

「ん。じゃあ、これで」

 カセットを本体に入れ、読み込むのを待つ。

 記憶にあるものとは、少し違うタイトル画面。

 こんなのだったっけ、と思うが昔の記憶なんて曖昧なものだろう。

「これ、やりたい」

 モード選択画面に変移すると、葵が準備していたように画面を指差す。

 それは、このゲームの中では珍しい協力するタイプのモードだった。

「え、でも……対戦の方が楽しいんじゃないか?」

「んーん。これがいい」

 何か考えがあるのか、頑なに譲ろうとしない。

 特にこだわりのない俺は、拒否する理由もないので従う。

「よし! じゃあ、二人で頑張るか!」

「まかせて。キャリー、してあげるよ」

 コントローラーを構え、やる気満々の様子。

 足を引っ張らないように頑張らないとな。

 協力プレイでさまざまなミニゲームをクリアしていくそのモードは、進行度が進むごとに難易度が上がっていく、よくあるものだった。

 俺のプレイスキルでは、途中から歯が立たなくってきて、次第に葵に頼りきりになっていってしまう。

 葵のワンマンで突き進み、遂にラストステージまで到達。

 いや、このままでは終われない。

 今こそ、兄の意地を見せる時だ!

「兄ちゃん。そっち行ったよ」

「こ、こうか?」

「兄ちゃん。それ、まかせた」

「ぐ––––これでどうだ!」

 結果は–––––ゲームオーバー。

 もちろん、戦犯は俺。盛大に足を引っ張ってしまった。

 とはいえ、思いのほか白熱し、葵も満足そうだ。

「ふふ……兄ちゃん、ほんとに下手だね」

「返す言葉もない」

 なんでかな、テレビゲームだけは苦手なんだよなあ。

 ツボに入ったのか、声にならない笑いが止まらないようだ。腹をおさえて震えている。

「ふ、ふふ–––––あ〜、久しぶりにこんな笑ったよ」

 なんか、ちょっと恥ずかしい思いをした気がするけど、まあ–––––––。

「葵が楽しかったのなら何よりだよ」

 とは言いつつ、少しやけくそだ。

 ちくしょう。悔しいから、次までに練習でもしておこうかな。

「次はクリアまでいくから。そのつもりでいてね」

 そう言ってコントとローラーを置くと、その場で立ち、伸びをする。

 まるで、猫のようにかわいい妹だ。

 伸びを終えると、壁に掛けてある時計を確認し–––––––––。

「そろそろ、ひなた帰ってくるから着替えてくるね」

 と、パタパタと小走りで自室に帰っていく。

 もう、そんな時間か。

 確かに、窓の外にはすでに、夜がそこまで迫ってきているようだった。

 今日の、兄妹の時間は終わりだ。次の瞬間から、俺たちは兄弟に戻る。

 そういえば、葵と二人きりでゲームなんて何年振りだ?

 思い返してみると、日向と三人で遊んでいたことがほとんどだ。

 もしかすると、初めて……だったりするのか?

 いや、そんなことはないだろ。……ない、よな?

 不確かな記憶を掘り起こすように思い出そうとしても、これといって成果はない。

 まさかそんな、と思いつつも思い出せないんじゃあやってないのと一緒だ。

 なら、今日は特別な日だな––––と開き直ることにしよう。

 なんて、ソファでくつろいでいると、玄関の開く音。

「ただいま」

 俺は、大慌てで玄関の方へ向かう。

「お、おかえり」

 ちらっ、とこちらを見たような気もするが、返事はない。

 相変わらず、もうひとりの弟は冷たい反応だ。

 どうにかしたいと思いつつも、なんの策も思いつかない。

 これじゃあ、女装を頼むのも夢のまた夢だ。

 とほほ、と肩を落としリビングへ戻る。

 同時に、今日の夕飯何にしようかな、なんて思考はこれ以上ないくらいに順調だった。

 

 葵と二人っきりでゲームを遊んだ日から、一週間かそこら経過した頃の日曜日。

 俺たちは、とある場所に来ていた。

 多くの人で賑わっている広大な空間。一階から天井までが吹き抜けの構造になっているここには、さまざまな様相の店が並んでいた。

 そう、ここはショッピングモール。

 俺たちは、近所で一番でかい商業施設に足を運んでいた。

 なんのために–––––って?

 そんなの、決まっているだろう。葵の洋服を買いに来ているのだ。

 あれは、二、三日前のこと–––––––––。

 その日、俺たちは以前同様ゲームで遊んでいた。

 弟の状態の葵とも、二人きりでの交流が増えた俺は、嬉しくなっちゃってつい誘いに応じてしまう。

 ちなみに、この前課題落とした。何が理由とは言わないが。

「むう。着れる服が一着しかないと、洗濯しなくちゃいけないから不便だよ。それに、遊びがいもないしさ」

 最初の頃は、なんとなく抵抗があったようにも感じた葵が、そんなことを言い出した。

「でも、お袋の服を着るのもまずいだろ」

 と、諭すも頬を膨らませてしまう。

「じゃあ、今度の休みに買いに行こう。二人っきりでさ」

 あんな顔されたら、それ以外に選択肢はないだろ。

 先に言っておくけど、日向を仲間はずれにしたかったわけじゃないぞ?

 葵は、女装することを日向に知られたくないみたいだし、どっちにしろ、部活が忙しくて予定が合わないのだ。

 ちなみに、洗濯等は俺がやっているし、日向は部活が忙しくて基本的に家にいないのでまだバレていない。

「え〜……。さすがに、外で女の子の格好するのは嫌だなあ」

 不満そうに、わざとらしく口を尖らせる弟。

「うっ」

 それを言われると、こちらから切れるカードはない。

「じゃ、じゃあ、一人で買ってくるよ……」

 気落ちした俺に、さらに不満そうな声が返ってくる。

「行かない、とは言ってないじゃないか」

「ぇ?」

 きょとん、とした俺に、葵は続ける。

「女の子の格好はして行かないってだけ。試着も嫌だけど……まあ、それは状況次第で」

 なによりも–––––––––、とさっきでとは打って変わって“あの”いたずらな笑みを作る。

「お買い物デート。行きたいに決まってるじゃん」

 と、まあ、その後の展開はご想像通りだと思う。

 俺は、その日、二つ目の命を落とした。

 え、一つ目はいつかって……?

 葵が、初めて女装した日に決まってるだろ。

 そんなこんなで、今に至るってわけだ。

 ちなみに、今日の葵の服装はパーカーにジーンズ。

 もちろん、女装しているわけではない。

「お〜い、兄ちゃん。何やってるのさ。おいてくよ〜?」

 だいぶ先行した葵が、楽しそうに呼び掛けてくる。

 そんな姿を見るのが嬉しいやら楽しいやらで、俺まで舞い上がってしまう。

「今行くよ」

 小走りで追いついて、横に並ぶ。

 こっちこっち、と行きたい方を指差す弟に従うように進路を決める。

 気付けば、俺たちは当初の目的を忘れて、ショッピングモールを満喫していた。

 連れてこられたのは、ゲームセンター。

 言われるがままに、葵チョイスのゲームを遊ぶ。

 結果は、惨敗だ。

 アーケードゲームなら見返せるかも–––––なんて思ったが、見込みが甘かったようだ。そもそも、本質が変わってないのにどうにかなるはずがなかった。

 とはいえ、リズムゲーム–––––音ゲーって言ってたっけ–––––だけは兄としての面目を保てたようだ。

 あれは、操作方法とルールさえ理解してしまえば、あとは反射神経でどうにかなるから他に比べて簡単だった。

 なんて言ったら、葵はドン引いていたが。

 すごい顔で見られて、兄ちゃんちょっと悲しかったぞ。

 一通り、二人で遊べるゲームを遊んだあとクレーンゲームの並ぶエリアまでやってきた。

「兄ちゃん兄ちゃん。これ、これ取ろう!」

 その中の一つを指差し、興奮した様子の葵。

 少しブサイクなぬいぐるみを見て目を輝かせる弟に、ノーと言える兄がいるだろうか。

 もちろん、いないよな?

「よっし、俺に任せろ!」

 腕まくりをして筐体の前に立つと、葵は不安げな声を出す。

「え、兄ちゃん。……大丈夫?」

 俺の腕を心配してか、随分なことを言ってくる。

「まあ、心配するな。俺、こういうのは得意なんだ」

 本当に、テレビゲームが苦手なだけなんだよ。

 依然、葵は心配そうな視線を送ってくる。

 どうやら、結果で見返すしかないようだ。

 ボタンを押し、アームの位置を調整する。

 一度目では、仕留めきれない。

 しかし、ぬいぐるみは持ち上げられたことで体勢を変える。

 二度目の挑戦。

 その軌道に、確かな手応えを感じる。

 心配そうに見守る葵と対照的に、俺は小さく笑う。

 放たれたアームは、景品を捉えしっかりとその役目を遂行する。

 ガコン、と受け取り口に落下するぬいぐるみ。

 俺は、それを拾い上げて差し出す。

「ほら、取れたぞ」

「あ、ありがとう」

 狐につままれたような顔をして受け取る葵。

 やがて、事態を飲み込んだのか、口をぱくぱくさせる。

「え、そんなに驚くか?」

「だ、だって、あんなにゲーム下手だったのに……」

「だから、大丈夫って言っただろ?」

「うん……ありがとう」

 顔に近づけるようにして抱いたぬいぐるみで口元は見えないが、きっと喜んでいるに違いない。

 そんな姿が微笑ましくて、つい頭を撫でてしまう。

 少し驚いたのか、体をびくっと震わせちょっと頬を赤らめるもんだから、なんかこっちまで恥ずかしくってくる。

「……さ、次、どこ行くか?」

 なんて、はぐらかすみたいに聞いてみても、葵は今も恥ずかしそうにもじもじしている。

 俺と葵の間に漂う微妙な空気。なんとなく気まずいこの状況に、居た堪れない気持ちになる。

 どうにかしなければ、この場に一生留まることになってしまいそうだ。

 なにか、何かないか–––––と、ここまでの道中を思い出す。

 一つ思い当たるものがあり、この場を離れられれば何か変わるだろう、という藁にもすがる思いで口を開く。

「く、クレープ、あったよな……どっかに。甘いもん、好きだったろ?」

 食いにいかないか、と言うように目配せをする。

 葵は、相変わらず無言だが小さな頷きを返してくれる。

「……よし。じゃあ、行くか」

 ぎこちない距離感のまま、特に会話をすることもなくクレープ屋に到着する。

 店頭に掲載されているメニューを眺めるが、内容が全く頭に入ってこない。

 会話がないことに耐えきれなくなってきた俺は、半ば反射で喋りだす。

「どれにする?」

 返答はない。

 葵の方を見ると、食い入るようにメニューを見つめている。

 俺の声など届いていないようだった。

 むう、と言うようにクレープに夢中になっている姿を見て、俺はやっといつもの調子を取り戻すことができた。

 葵は、俺の存在すら忘れたように険しい表情のままで悩んでいる。いくつかに候補を絞ったようだが、一つに決めることができないでいるようだった。

「じゃあ、葵の食べたいやつを二つ買って、二人で分け合うか?」

 ぐるん、とすごい勢いでこちらを向く。その目は、今日一番輝いていた。

「いいの!?」

 想像以上の反応だな。

 まあ、素直に喜んでくれると、甘やかし甲斐があるってもんだ。

「おう。俺も、葵が食べたいやつ、食べてみたいしさ」

「やった。じゃあ、これと––––これ!」

 と言って指差したものは、ラインナップの中でも値が張るものだった。

 出費は痛いが、貯蓄は十分だ。

 なんて、強がってはいるが、この後にもっとでかい買い物があることをこの時の俺は忘れていた。

 葵のチョイスは、たくさんのフルーツが使われているカラフルなものと、アイスやチョコレートなどが盛りだくさんの迫力満点のものだった。どちらもかなり豪華でボリュームもすごい。道理で、他より値段が高いわけだ。

 しかし、この量を二人で食べ切れるか?

 俺、気持ち悪くなっちゃうかも。

「いただきまーす」

 そんな、俺の懸念など気にする様子もなく、葵は依然輝いた目のままでクレープにかぶりつく。

「んぅ〜〜」

 満面の笑みで頬張っている姿を見ていると、もうなんでも良くなってくる。

 俺も、自分の手に持っているものにかぶりつく。

 ホイップクリーム、アイス、チョコレートなど大量の甘味が使われているにも関わらず、その全てが共存している。脳を直接刺激されるようで、まるで口の中ではスイーツのパーティーが開かれているようだ。

 確かに、これは美味いな。葵の反応にも納得だ。

「ほら、こっちもうまいぞ」

 クレープを葵の方に差し出す。

 葵は、無言でパクリと一口齧ると、美味しそうに頬に手を当てながら足をパタパタさせている。

「うまいか?」

 俺の問いに、うんうんと大きく頷く。

 それにしても、本当に美味しそうに食べるな。

 なんて感心していると、先ほどと同じように、今度は俺の前にクレープが差し出される。

「はい。兄ちゃんも」

 断る理由などないので、遠慮なくいただく。

 あーん、と大きく一口。

 こちらは、先ほどとは種類の違う甘さで、フルーツの酸味やみずみずしさに包まれるような感覚になる。さっきのはダイレクトな甘みがクセになるが、こちらはすっきりとしていて食べやすい。

「ごちそうさまー」

 俺がたった一口に唸っている間に、葵はまさかの完食。

「あー、おいしかったー」

 とは言いつつ、視線は俺の手元に向いている。

 その物欲しそうな視線に、なんとなく考えていることがわかる。

 二人で分け合おうと言って買った手前、ほぼ丸々一つ食べておいてもっと食べたいとは言いづらいのだろう。

「た、食べるか?」

 その体のどこにそんなに入るのだろうか、と言う疑問は一旦横に置いておき、俺はもう一度クレープを差し出す。

 葵は、一回頷くと俺の手にあるクレープを受け取り、顔の前に持っていってから小さく一口齧る。

 無言で、だが確かに満足したように頬張る弟の姿が、微笑ましくてしょうがない。

 あんまりにも幸せそうにしているもんだから、こっちまで顔が緩んできてしまう。

 最後の一口を食べ終わり、余韻に浸っている葵をしばし見守る。

「うまかったか?」

 なんて返ってくるかなんてわかりきっていたが、聞かずにはいられない。

「うん。おいしかった」

 それはそれは満足してくれたようで、こっちも気分が良くなる。

「それにしても、よくそんなに食えるな」

 あんな量のクリームなんて食べたら、俺なら絶対に気持ち悪くなっているだろう。

 消えて無くなってしまったクリームの塊、その行き先へ視線を送る。あれだけの量を食べたと言うのに、葵の体にはこれぽっちも変化がみられない。

 視線に気付いたのか、腹を隠すようにして抑えながら––––––––––。

「甘いものは別腹だもん。いくらでも食べられるよ」

 なんて、少し恥ずかしそうに外方(そっぽ)を向く。

 ついでに、一緒に買っておいた飲み物も飲み終わり、思いがけない休憩も一段落。

 さて、次は何しようか–––––なんて聞こうと思って、やっと今日の目的を思い出した。

「そういえば……服、買いに来たんだったな」

「あ」

 ぽかん、と口を開けて呆ける葵。

 どうやら、忘れていたのは俺だけではなかったらしい。

「結構時間使っちゃったし、パパッと済ませて帰るか」

「むう」

 その反応から、満足していないのだろうというのは感じ取れた。

 まあ、じっくり買い物ができることに越したことはないんだが、タイムリミットはある。

「日向が帰ってくる前に帰んなくちゃいけないしさ」

 万が一ってこともある。

 葵がバレたくないと思っている以上、リスクは冒せない。

 葵もそれをわかっているからこそ、納得せざるを得ないのだろう

 こんな時、俺が言ってやれることはたった一つだ。

「また、来るか」

 葵は、待ってました、と言わんばかりに笑ってみせる。

「うん。約束だよ」

 また、出掛ける予定ができちゃったな。

 でも、全然億劫じゃない。

 むしろ、楽しみだ。今日みたいに遊べるなら、どんとこいだ。いつだっていい。

 現実は、そうはいかないのが辛いところだけどな。

 ゴミを片付けて、当初の目的を果たしにいく。

 フロアを移動し、服屋の並ぶ階まで上がる。

「どういう系の服が欲しい?」

 買い物の方向性を決めるために、葵に好みを聞く。

「え、兄ちゃんがコーディネートしてくれるんじゃないの?」

「え」

 普通に、葵が買いたい服を買うつもりでいた俺には、不意打ちの一手だった。

 コーディネート……?

 葵を、俺の好きに着せ替えていいのか?

 俺の好きなようにして、俺の好きなような妹にしていい……ってこと、か?

 ただでさえ、妹になってくれるだけでも十分なのに、その先を想像しはじめた俺には他のことなど全て些事に思えた。

 葵に似合う服装を、俺が見たい服装を算出することに全てのリソースを突っ込む。

 自分でも自覚できるほどに脳が活発になっているのがわかる。

 これは、いわゆるゾーンってやつだろうか。

 スポーツ選手なんかがよく言っている超集中状態のような、そんな感覚だ。

 ネットから集めたさまざまな知識をもって、唸るスーパーコンピューター(俺)。

 今なら、円周率だって割り切ってやれる–––––なんて馬鹿げた自信すら湧いてくる。

「お、お〜い……?」

「はっ!?」

 危ない。これ以上は、人間をやめてしまうところだった。

 悲しい化け物に成り果てることなく、正気を取り戻す。

「だ、大丈夫?」

「ああ、問題ない!」

「あ、うん。……そっか。なら、いいや」

 心配して声を掛けてくれたはずの葵が、俺のハイテンションを見て反比例するように感情がなくなっていく。

 崇高な計算によって導き出された答えに高揚している俺は、そんな葵を置いてけぼりに最早お約束のように正常な判断力を失う。

「もう、早くしないと時間なくなっちゃうよ?」

 呆れながら俺の軌道を修正してくれる葵。

 なんか最近、こんなこと多いな……。

「ああ、ごめん」

 とりあえず、手近な場所にある店を選ぶ。

 内装は、テナントの一つということもあり過度な装飾はなく、普通の服屋という感じだ。品揃えも、男女を問わず豊富に見える。

 ここなら、無難に買える服がありそうだ。

 さて、コーディネートとなると責任重大だ。

 自分の服なら適当に見繕ってそれで十分だが、今回の選択は今後に関わる。

 事と次第によっては、葵が妹になりたくなくなってしまうかもしれない。

 ゆえに、ここでの選択はとても重要だ。人生において最大の山場と言っても過言ではない––––––––––かもしれない。

 最初に買った服は、フリルのついた可愛い服だった。

 これは、葵を妹にするにあたって女の子らしい服を着せるのが一番だと思ったからだ。

 しかし、葵のポテンシャルは計り知れない。

 ユニセックスとか、場合によっては男物でも女の子っぽく着こなせてしまう可能性がある。

 くそっ!

 俺の知識の無さがここに来て響く。

 あれだけリサーチして準備は万全だと思っていたのに、自分の無力を痛感する。

 同じように可愛い系で置きにいくか?

 いや、逆にボーイッシュな感じでまとめてみるとか、あえてパンクな感じで攻めるとか……。

 女の子の服ってこんなに難しいのか?

 それとも、葵の服だから難しく感じているのか?

 もう、何が何だかわからなくなってきた。

 ええい、いっそのこと全部買ってしまうか?

 葵に似合いそうな服を全部買っても、ちょっとばかし破産するだけだろ。俺が。

「兄ちゃん、まだ〜?」

「わ、悪い。もうちょっと待ってくれ」

 急かされることで、俺の脳内はさらにぐるぐると回ってしまう。

 と、とりあえず着てみてくれないことには分かりづらいな。

 でも、試着は嫌だって言ってたしな。

 苦肉の策だ。嫌がるだろうけど、こればっかりは頼むしかない。

「なあ、葵。これ、鏡の前で合わせるだけでもしてくれないか?」

 一つ手頃な洋服を選び葵に見せる。

「ええ、恥ずかしんだけど……」

 唇を尖らせて難色を示す。

 わかる。わかるけど、このままだと兄ちゃんここから出られなくなっちゃうよ。

 泣きたい気持ちを抑えて唸っていると、先ほど手に持った洋服を今度は葵が持ち出した。

「しょうがないなあ。ちゃんと見ててよ」

 そう言うと、近くに置いてある姿見の前まで行き、服を自分の体に当てるようにして見せてくれる。

「どう、似合う?」

 一通り自分で確認してから、俺の方に向き直って感想を聞いてくる。

「–––––ああ。似合うよ」

 やばい。一瞬、思考が飛びかけた。

 相変わらずの破壊力だな。これには、一生慣れることはないかもしれない。

「でも、やっぱりそういうシンプルに可愛いのは合うな」

 最初に着ていたワンピースも俺が買ったフリルの付いた洋服も、女の子らしくて可愛らしい服が葵には似合いそうだ。

 だからこそ、少し外したジャンルで冒険したくもなる。

 同じような感じで、雰囲気の違う服を二、三着合わせてみてもらう。

 身内贔屓かもしれないが、元々の顔がいいから割となんでも似合うな。

 数ある選択肢が全部ありってなると、それはそれで迷うもんだ。

 ま、贅沢な悩みってことで喜ぶべきことなのかもしれないけど。

 俺が再び考え込んでしまうと、葵は横で退屈そうにしていた。

「立ったままだと疲れるだろうし、どっかで座ってていいぞ」

 これは長期戦になる、と感じ葵に休んでくるように促す。

「んーん。ここで待ってるよ」

 そう言って、動こうとしない。

「でも、まだ結構掛るぞ?」

「それでも」

 と言って、頑なだ。

 ぷい、と明後日の方向を向いて顔を見せてくれない。

 どう見たって手持ち無沙汰なのに、一体何がどうしたっていうんだ?

 こういう時は率先して怠けられる方を選ぶやつだと思ってたけど、案外違うのかな。

 どちらにしろ、顔が見えないんじゃ真意はわからない。

 まあ、本人が言うならこれ以上はお節介なだけか。

 さてと、それなら早めに決めてやらなきゃな。

 気合を入れ直し服選びに集中しようとすると、少し遠目から––––

「ね、あそこの二人。初々しくて可愛くない? カップルかな?」

「ねえ〜。でも、お兄ちゃんて呼んでたし、兄妹なんじゃない?」

 なんて会話が耳に入ってくる。

 それが、自分達に向けられていることに気付くのにはかなりの時間が掛かった。

 なぜだかわからないが、羞恥の感情が沸き上がる。

 葵も同じ気持ちなのか、微妙に顔が赤いような気がする。

「あんまり気にすんなよ」

 葵の耳元に顔を近付け、耳打ちをするように小声で話す。

「ひ–––––」

 びっくりしたのか、耳を押さえながら飛び退く葵。

 見開いた目でこちらを見つめる。

 微かに赤いように感じていた頬は、見るからに紅潮していた。

 そんなことされたら、余計恥ずかしくなるじゃないか。

「や、やっぱり、向こうで待ってるね」

「あ、おい–––––」

 俺の声なんて聞こえていないようで、葵はそそくさと走っていってしまった。

 しかし、俺まで顔が熱くなっちまった。

 きっと、人のこと言えないくらい真っ赤な顔してんだろうな、俺も。

 さっさと目当ての物を買って、俺も退散しよう。

 幸いなことは、さっき聞こえてきた会話で服の方向性が定まったことか。

 葵は、普段から十分に女の子らしい。

 ならば、奇を衒うのはかえって逆効果だろう。

 ここは、あえてベーシックでナチュラルな服装を選ぶべきだ。

 別に、今が服を買える最後のチャンスってわけでもない。

 また違った雰囲気の服は、今度買えばいい。

 あらかじめ葵に確認しておいたサイズの服をいくつか手に取りカゴに入れる。

 レジまで足早に行き、その途中でピンときた服を反射的にカゴに追加する。

 カゴいっぱいの女性用の服を買うのはなんとも気まずいが、感情を押し殺して会計を済ませる。

 女性の店員に訝しげな表情をされた気がするが、何も見なかったことにしよう。

 戦利品を持って急いで葵の元へ向かう。

 店を出ていった時に葵が向かった方向を頼りに、その姿を探す。

 ショッピングモールの端っこの方。自販機の近くに設けられているベンチに座っているのを見つけ、小走りで向かう。

「買ってきたぞ。じゃあ、帰るか」

 足をプラプラとさせて待っていた葵は、俺が来たことを確認するとゆっくりと立ち上がる。

 さっきの服屋からまた無言になっちまった。

 なんか、今日はこんなんばっかだな。

 外に出ると、空は微かに紅く滲んでいた。

 ちらっと見えた葵の横顔が、微かにまだ赤らんで見えたのは、きっとこの夕暮れのせいだろう。

 電車に揺られ、最寄りまで帰る。

 気付けば、途中から葵が隣で寝息を立てていた。

 なんだかんだで、結構はしゃいだからな。そりゃ、疲れてもいるだろう。

「ほら、そろそろ着くぞ」

 肩を優しく叩いて起こす。

「んん」

 まだ眠い目を擦り、俺に寄り掛かるような体勢から体を伸ばすように直立させる。

 それが、家に着くまでの唯一の会話だった。

 昼間にもあったみたいな、無音の時間。それでも、今は気まずさは感じなかった。

 静けさが、さっきまでの騒がしさを助長するようで、今日あったことを思い起こす。その落差が心地よくて、沁みる。

 ま、なんだかんだ言って楽しかったしな。

 こんな風に兄弟で遊ぶなんて最近はなかったし、新鮮でよかった。

 叶うならば、日向とも一緒がよかったんだけど、そうなれるかは俺次第か。

 なんて浸っていると、家はもうすぐそこだった。

 玄関の鍵を開けて、先に葵を入れる。

 葵は、靴を脱ぐとすぐに階段を上って部屋に戻ろうとした。その背に、声を掛ける。

「今度は、日向も一緒だといいな」

 やっぱり、兄弟三人で仲良くできる方が嬉しい。こんな時間をみんなで一緒に過ごしたい。

「うん」

 葵は、こちらを向くことはなかったが小さく頷いてくれた。


***


「じゃーん」

 着替えを終え、かわいいポーズを取り俺の前へ出てくる葵。

 先日、ショピングモールへ行き、恥ずかしい思いまでして手に入れた女装用の服たち。

 今日はその初陣だ。

 上半身は、オーバーサイズのパーカー。ユニセックスのものではあるが、どちらかというと女の子らしい印象のものを選んだつもりだ。とはいえ、元々の葵っぽい服装とも言える。

 しかし、本番はここからだ。

 下半身は、何にも合いそうなシンプルなスカート。そこから伸びる白い脚は、大部分が覆われている。

 そう、ニーハイソックスだ。

 皆まで言わなくてもわかるだろうが、あえて言おう。

 すらっと伸びる脚を強調する黒い外装。生足ではない、隠しているからこそのエロス。その上、スカートとの隙間に現れる絶対領域。この僅かな、しかし確実な肌の露出が俺たち男のロマンだろ?

 いや、わかる。わかるよ。タイツだってあるだろ、って言いたいんだろ?

 その気持ちは痛いほどわかる。

 俺だってタイツは好きだ。

 全てを包み隠すタイツには滲み出るような秘されたエロスがある。隠すことの喜びを存分に味わうのなら、間違いなくタイツ一択だろう。

 それでも、あの僅かな隙間に一喜一憂できるのはニーハイソックスだけだ。あえて、そこを解放することによる爆発力を侮ってはいけない。何より、黒と白のコントラストは目を焼くほどの輝きがあると言えるだろう。

 そして、その境界線にはニーソの最終兵器。

 それは、華奢な印象を持つ葵でさえ例外ではない。細く見えるが健康的な脚には、僅かではあるものの縁に乗り上げる瑞々しい肌色。

 それは、小さな主張ではあるがその柔らかさを証明するのに申し分ない。

 何を隠そう、俺の目は既に潰れている。

 イッツパーフェクト。

「もしかして、似合わない?」

 反応のない俺を見て、体を隠すように縮こませる葵。

 いかん。

 あまりにも可愛いもんだから見惚れていて、葵を不安にさせちまった。

「大丈夫、ちゃんと可愛いよ」

 そして、今日の葵はさらに一味違う。

 その顔は、普段よりも艶やかさが増し、さらに女の子らしい印象を帯びているように見える。

 なぜかというと、化粧をしてみたからだ。

 メイクしたのは、他でもない俺だ。

 流石の葵もメイクまではできないし、そこまでやらせるのも申し訳ない。

 なんで、俺が独学で勉強してやってみた。

 知識も技術もまだまだなため、簡単なことしかやっていないがそれでも効果は絶大だ。本当に軽くしかしてないのにここまで女の子っぽくなるとは、自分でも驚いている。

 葵の素材の良さには感服するほかない。

「本当に、見違えたみたいだ」

「えへへ」

 褒められ、上機嫌にはにかんでいる。

 気に入ってくれたのか、前よりも乗り気に見える。

 この調子で日向も女装してくれたらいいんだけど、これ以上を望むのは罰が当たるかな。

 あとは、このままお出掛けとかしてくれるようになったら、いよいよ本当の妹と言える。

 まあ、無理強いはできないから様子をみてお願いしてみるか。

「よし。じゃあ、この前のリベンジしよう」

 言うや否や、ゲームを起動する葵。

「え、この前のって……あのパーティゲームか?」

「そう。結局、クリアできてないからね。負けたままじゃいられないでしょ?」

 背中から燃えるようなオーラが見えてくるほどにやる気満々の葵が、コントローラーを差し出してくる。

 俺が受け取るのを待ってから、葵はソファに勢いよく座った。

 俺はというと、葵の高すぎるモチベーションに気圧されて立ち尽くしてしまう。

「……やらないの?」

 黙っているのを拒否と取られたのか、悲しそうな声が響く。

 もちろん、はじめから断るつもりなんてないが、こんな声を出されたら断ろうにも断れなくなるってもんだ。

「やる。もちろんやるよ」

「そうこなくっちゃ」

 一転、花のような笑みを咲かせる。

 葵の隣に座り、ゲームを開始する。

 相変わらず俺は足を引っ張り、葵のワンマンでゲームは進んでいく。

 三度目の挑戦を超えたあたりから、二人の間に会話は無くなっていた。

 お互いのやりたいこと、やるべきことへの理解が深まったことで行動が最適化し、会話による情報共有の必要がなくなったのだ。

 言葉という情報に頼らなくても意思疎通ができるほどの領域に––––––少なくともこのゲームにおいては––––––俺たちは到達していた。

 流石の俺も、これだけの回数をこなせば慣れてくるものだ。

 それに、ゲームには必ずメタが存在する。メタを理解すれば、どんなに下手でも土俵に上がることくらいはできる。

 俺が戦力として計算できるようになった以上、葵も俺に構わなくてよくなる。自分のプレイに集中できるようになった葵は、もはや鬼神が如くCPUを蹴散らしていく。

 元々、葵の独壇場とも言える状態だったのが、決定的にゲームバランスが崩壊する。

 五度目の挑戦で、初のゲームクリアを迎える。

 しかし、喜びの声はあがらない。

 息をすることも忘れるほどの激闘に、声を上げる余力すら残っていなかった。

 リザルト画面が表示されると、安堵の息を吐く。それが全く同じタイミングだったもんだから、自然と笑みが溢れる。

「ふう。やっとクリアできたな」

「ほんとに。こんなに手こずるとは思わなかったよ」

 やれやれ、と首を振る葵。

 いやしかし、本当に難しかったな。

 きっと、俺が下手くそすぎて本来ならもう少し簡単にクリアできる想定なんじゃないだろうか。

 大して役には立てなかっただろうが、人と協力して何かを成し遂げるというのは達成感もひとしおだ。

「いやあ、やっとこれで他のゲームに手を出せるね」

「え?」

 他のゲーム…………だと?

 これで、終わりじゃないの?

「なに、その顔」

 やべ、顔に出てたか。

 葵は、当たり前でしょ、と言わんばかりの仏頂面をしている。

「ほ、他って言っても、どれをやるんだ?」

「ん〜とね」

 俺の問いを受け、葵は持っているソフトを広げる。

 やがて、何かを思いついたように一つのタイトルを指差す。

「これ、やろう」

 それは、誰もが知るような有名タイトル。ファンタジーな世界観と重厚なストーリーが評判の王道RPGだった。

「でも、これ一人用なんじゃないか? 二人じゃ遊べないだろ」

 この手のゲームは、当然のように一人用だ。

 遊び方を工夫すれば二人でも楽しめるかもしれないけど、そんな知識は俺にはない。

 葵には何か考えがあるのだろうか。

「ボクは、兄ちゃんがやってるのを横で見てるだけ。このゲーム、もうやったことあるし」

「え、それじゃあつまらないだろ。別のにしないか?」

 他に二人でできるゲームがないか探そうとするが、止められる。

「つまんなくないもん」

「いや、でも–––––」

「いいの」

 ぷっくりと、なんともかわいらしく頬を膨らませる妹。

 と、癒されている場合ではない。

 俺には、葵の感覚がわからなかった。

 なんで、と思う。

 だって、絶対つまらないだろうって俺なら思うから。

「下手な兄ちゃんを見てるだけで楽しいもん」

 くそ。

 とうに兄の威厳なんてなかったか。

 兄ちゃん、普通に傷つくぞ。

「大丈夫、アドバイスはしてあげるから。ねー、やろーよー」

 お願いだよー、と体を揺さぶってくる。

 一体、何が大丈夫なのか。

 なんとも釈然としない思いではあるが、ここまで言われてしまえば断れる兄なんていないと思う。

 こっちだって無理を言って妹になってもらってるんだから、これくらいは安いもんか。

「わ、わかったよ。やるよ」

「わーい、やったー」

 よっぽど嬉しいのか、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。

 ま、喜んでくれるならゲームが下手でもよかったかな。

 そりゃ俺だって男だから、本当のところは上手いとか凄いって褒められたいもんだが。


「何、やってるんだ?」


 ソフトを入れ替え、いざ始めようと思った矢先、その声は聞こえた。

 背筋を刺すような冷たい響き。

 その瞬間、俺と葵の時間は凍りついた。

 声の方を見やると、そこには引き裂こうとせんばかりに鋭い視線を送ってくるよく見知った顔。

 そう、それは–––––––。

「ひ、ひなた、なんでここに!?」

 葵の双子の兄。そして、俺の弟である日向だった。

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