第3話 急

 

 クリストフ子爵が、メリッサという女を失ってから、ちょうど一年。

 久しぶりの再会に、彼は歓喜した。


「いらっしゃいメリッサ、待ち焦がれていたよ!」


 本心からそんな言葉が出る。本当に会いたかったのだ。今まで何度も、さまざまな理由で招待していたが、何かと言い訳をつけて断られていた。実際に多忙ではあっただろう、彼女はバフドール伯爵家の女主人として、領地経営に邁進していたのだから。

 だがさすがに、実妹の結婚式とあらば出てこざるを得なかったらしい。クリストフは一年ぶりに、メリッサ・バフドールの姿を見た。

 彼女の足が絨毯を踏み、アメジストの眼差しが屋敷を一瞥する。それだけでクリストフは胸をときめかせた。彼女の実妹と結婚をした甲斐があったというものだ。


「……ごきげんよう、クリストフ様。本日は……ご成婚おめでとうございます。馬車に心ばかりの贈り物を載せております。今、侍女がお屋敷のかたに……」

「そんなに畏まらないでくれ。僕達は一年前は婚約までしていた仲じゃないか。よく来てくれたね」

「ええ、妹は十四年ともに暮らした仲ですから」


 エスコートしようと差し出した手をすり抜けて、メリッサは披露宴会場(ホール)を進んだ。美しいクロスの敷かれたテーブルに、ワイングラスやシルバーが並べられている。だが高砂席に花嫁の姿は無い。


「クリストフ様、エリアナはどちらに? 式が始まる前にすこし、挨拶をしたいのですが」

「ああ、彼女は……体調がすぐれなくてね。今はまだ私室だろう。式も最低限、花嫁が必要な場面にだけ出す予定だ」

「なんだか、飾り物のようにおっしゃるのね。ご自分の妻を」


 じろり、と睨みつけてくる。

 深いアメジスト色の、鋭く怜悧な眼差し……そう、この瞳に、クリストフは惹かれた。

 三年前、初めて会ったその日から。



 最初は、言葉通りの真実、政略結婚のつもりだった。

 たまたま商売が当たっただけの成金子爵では、貴族会議にも入れてもらえない。上級貴族の気まぐれな新法で、資産が取り上げられる恐れがある。いくら莫大な財産を手にしても、安全に貯めこめる金庫が無い――そんなクリストフにとって、メリッサ・バフドール嬢との縁談は渡りに船だった。

 広大な領地をもち、王家の信頼も篤い旧家。馬鹿な親世代が財産を焦げ付かせ、挙句に事故死という美味しい顛末。資金援助の代わりに、伯爵家の傘と、女が一人オマケで付いてくる――そう考えて、伯爵家を訪問した。

 そして、メリッサに出会った。

 思いのほか、美しい女だった。白銀色の髪に、左右対称に整った目鼻立ち。体つきこそまだ少女のそれであったが、これまでに出会ったどの貴族女よりも美しく、抱いた娼婦よりも色気があった。


「メリッサ、あなたのような美しいかたと結婚できるなんて、僕はなんて幸運なんだ。神が結びしこのご縁に感謝を」


 本心からそう言った。彼女を愛し、良い夫婦になろうと思った。

 しかしメリッサ・バフドールは眉をひそめた。アメジスト色の、怜悧な目を細めて。


「喪服の女に言うことですか? 恥を知りなさい」


 そう言って、クリストフに背を向けた。



 あれから三年――正確には二年間、クリストフは彼女の気を引くために、たいそうな努力をした。高価な贈り物、恋文、食事や観劇にと頻繁に誘い出した。

 婚約はすでに成立していたが、彼女の体だけでなく、心が欲しかった。だがメリッサはニコリとも笑うことはなく、いつだってクリストフを睨むようにして、じっと佇んでいるだけだった。

 悲しかった。寂しかった。かわいらしく微笑む顔が見たかった。愛されたかった。まずはその、睨むような目つきを止めたかった。

 切ない想いはやがて渇望へと変わり、そして、捻じれた。


 ――なんとしても、あの澄ました顔面を歪ませてやる。このクリストフを、今まで袖にして悪かった、愛してくださいとおねだりするように――


「クリストフ様、今夜あたしのダンスパートナーになってくれませんか? お姉様はきっと、嫉妬してしまうだろうけど」


 エリアナという名の小娘(バカ)が、声をかけてきたのはその時だった。



 そして今、メリッサ・バフドールは新婦の姉という立場で、クリストフの屋敷(いえ)に居る。

 今すぐ抱きしめたい気持ちを抑えて、クリストフは紳士の微笑みを浮かべた。


「メリッサ……相変わらず美しいね。そしてその、睨むように僕を見る目も、変わらない」

「ごめんなさい。目つきは生まれつきですの」


 メリッサはそう言って、口元だけで微笑んだ。


「美しい、とお褒めいただいたことには、素直に御礼を申し上げます」

「ああ――しかしなんだ、その安物のドレスは。我が家の援助で伯爵家は持ち直したのだろう? 豪華な宝石(いし)の一つでもつけてくれば良かったのに」

「その節は、どうも。しかしまたいつ転覆するかと、領民は不安を抱えています。領主が贅沢をしていては、示しが付きませんわ」

「相変わらず真面目で、可愛げが無いな、メリッサ。……僕にフラれて少しは反省したかと思ったが」

「あら? あなたが婚約破棄をしたのは、わたくしが嫉妬に狂い妹を虐げる悪女だったからでは?」


 穏やかに問われ、クリストフはギクリと身を強張らせた。しかしすぐに平静を装い、肩をすくめて見せる。


「それとは別の話だよメリッサ。君はその、気が強すぎるんだ。……娶ろうなんて男はいないだろう?」

「ええ、近頃は縁談すら入りません。巷にわたくしの、悪い噂が流されているせいですが」

「それに関しては僕も責任を感じている」


 クリストフは殊勝に俯き、グラスを一つ、メリッサに差し出した。


「あの時は、さしたる証拠もないまま君を追窮して、すまなかった。……あれから、虐めは彼女の狂言だったと発覚した。それを信じた僕が愚かだった」


 メリッサの細い眉がぴくりと動く。どういう感情の変化かまでは分からないまま、クリストフは一歩、前に出る。

 そうして、メリッサの耳元でささやいた。


「責任を取りたい。メリッサ、僕の家に来ないか?」

「……何をおっしゃるの。あなたにはもう、妻がおありでしょう。今日は彼女と、永遠の愛を誓う日……」

「狂言と分かった日から愛など無い。それでも女性一人、路傍に放り出すのは憚られ、娶った。それだけだ」


 カラーン、カラーンと、大きな鐘の音が響く。正午の刻をもって、一斉に祝杯の号が上がった。


「ご成婚おめでとうございます。今日の良き日に、乾杯!」


 披露宴が始まっても、花嫁は現れなかった。

 クリストフは来客に囲まれ、仕方なく祝辞を受け取る。

 どうせ、時々小銭をせびってくるだけの親類縁者だ。適当にいなして、クリストフはメリッサのもとへ戻った。「楽しんでいるかい」と尋ねると、彼女は頷いた。だがその手にはワインも料理も無い。


「王宮仕込みのシェフの腕が、お気に召さなかったかな」

「いいえクリストフ様、それよりも妹のことが心配なのです。式が始まってずいぶん経つのに、まだ顔も出せないとは。容体は深刻なのですか」

「容体だなんて、ただ彼女は――昨日夜更かしをしたせいで、昼寝しているだけだ」


 そう言うと、メリッサは何かを言いかけた。言わせる前に言葉を重ねる。


「そんなことよりメリッサ、ワインはどうだい。ロゼもシェリーもある。本場バダルシナから取り寄せた上物で――」

「わたくし、帰ります。ごきげんよう」


 突然、メリッサはそう宣言すると、一瞬だけカーテシーを行ってすぐ、踵を返した。その素早さに、クリストフは思わず数秒、黙って見送ってしまった。後ろ姿が見えなくなってから、慌てて追う。

 彼女の歩みは一切の迷いがなく、速かった。サロンホールの外、中庭の渡り廊下へ出ると、毅然と進む背中を見つける。クリストフは彼女の手を捕まえた。すぐさま乱暴に振り払われる。人気のない庭園に、パシンと冷たい音が鳴った。


「なぜだメリッサ、ゆっくりとくつろいでいけばいいじゃないか」

「どうしてわたくしが子爵邸でくつろぐの?」

「ほかならぬ君の実妹の結婚式だぞ」

「その妹が不在で、滞在に何の意義がありましょうか」


 再度、背を向けて歩きはじめるメリッサ。そのたびにクリストフは後を追い、そして振り払われた。

 庭園の中ほどに着くころには、メリッサはもう振り向きもしなかった。氷色をした後ろ髪に、クリストフは血の気を引かせ、同時に腹の底に燃えるような熱を感じた。


「待て――待てと言っているだろう、メリッサ!」


 手加減の無い握力で、彼女の肩を掴んで引いた。「痛っ」と小さく悲鳴を上げたが、顔を伏せたままのメリッサ――クリストフは叫んだ。


「こっちを向け、僕を見ろ。愛しているんだ、メリッサ!」


 メリッサは顔を上げた。アメジスト色の瞳が覗く――だがその視線は、クリストフではなく、その後ろを見ていた。


「……エリアナ?」


 次の瞬間、クリストフの背中に、どっ、と強い衝撃を受けた。

 途端に、うまく呼吸が出来なくなる。クリストフはゆっくりと振り返り、ヒューヒューと掠れる声で、妻(バカ)の名を呼んだ。



 ――エリアナという女を、その名で呼んでやったのは、かつて何度あっただろうか。閨ですら対話はない。もはや顔も忘れかけている。視界の枠に居たとしても、クリストフは認識しなかった。

 彼女の姿を、久しぶりに見た気がする。あるいは初めて見たかもしれない。


 思っていたよりも、小さな女だった。背丈はクリストフの胸までしかなく、肩も、腕も、首も、いまにも折れそうに細い。純白のウェディングドレスは、プロの着付け師に頼んだはずなのに全く似合っていなかった。摘めそうなほど浮いた鎖骨と胸骨。骨に皮一枚張り付けたような姿で、腹だけは、異様に丸い。

 はち切れそうに膨れた腹に、べっとりと赤いものが付いている。

 それは、エリアナの手――正確には、彼女の握ったナイフから、どんどんあふれ出ているようだった。


 クリストフは理解した。


 ああ、自分の血か。


 苦痛はその後でやってきた。



 どっと膝をつく。霞む視界に、姉妹が抱き合っているのが見えた。


「エリアナ……! あ、あなた、その姿は……」

「あ、ああ。おね、ぇさま。おろろかれ、まひたか。つわりが、ひろくて、すっかり痩せてしま、ぃ……い」

「つわりって、そんなにお腹が大きくなるまで続くものなの? それに言葉が――顔を見せてエリアナ、口を開けなさい! ああ――ああなんてこと! 可哀想に!」 


「……かっ――お……い、メリ……サ。な、にをしている?」


 血の味がする涎に溺れながら、どうにか言葉を紡ぐ。


「……僕は……刺されたんだぞ。この、血の量、死にそうだ。衛兵と、医者を、呼んでくれ」


 メリッサは振り向かない。声が聞こえないのだろうか。自分の声は、もうそんなにか細くなってしまったのか。

 痺れる手を中空に伸ばす。


「メリッサ……メリッサ・バフドール。こっちを見ろ。そんな、ひとごろしのおんなよりも、僕を。ぼくを見ろ……!」


 セリフは喀血に押し流され、言葉にならなかった。


 真っ暗闇になった視界。もう何も動かせなくなってしまってから、やっと……待ち焦がれていたメリッサの声が――



「誰か、誰か来て! ――強盗よ! 大男が、新婦の宝石を奪って逃げたわ。取り返そうとしたクリストフ様が刺されて――誰か、早く来て! 強盗犯を捕まえて!!」

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