第五話 機械室・2

ズレのあった歯車をシャフトから外す。器用に工具を扱い、丁寧に歯車をシャフトから挟み取った。ズレはどこから来ていたのか。ゴードンの作業はいつだって丁寧で完璧に見えた。その作業にミスがあったとは考えづらい。そう思いつつ、外した歯車をしげしげと眺める。

原因はあっさりと見つかった。歯の一本にひびが入っているのが見える。これにより精密に計算されたピッチがずれ、かみ合わせが合わなくなっていたのだろう。強度不足だろうか。

ハルは取り外した歯車を脇に置き、交換用の新しい歯車を手に取る。工具に挟み、シャフトへと伸ばす。

ひゅお、階下から風が吹きあがる。地下へと続くメインシャフトの先ははるか下。ハルは途中、崩れた石段が砕ける様子を思い出した。ミスは許されない。ここに来て、急に怖くなってくる。

シャフトへと伸ばす手が震えそうになるのを必死で抑える。あとはこのパーツを取り付けて、バイパスを外せばそれだけで——。

その時だった。もう一度ひゅお、と一層強い風が地上から吹き上げられ、伸ばしたハルの手を強く揺さぶった。

「っ、うわ!?」

言うが早いか。手元が緩み、交換用の歯車は工具から外れあっという間にはるか下へと落下していく。かつんかつんと軽い音が響き、最後にごつり、と鈍い音を立てて止まる。

「あああああ!!待て、嘘だろ!?」

慌てて下をのぞき込むが、機械室からでは下の様子まではよくわからない。それに、最後に響いた鈍い音。……嫌な予感がした。

ハルは弾かれたように機械室を飛び出て、一段飛ばしに石段を駆け降りる。上るときには肝が冷える思いのした崩落個所も気にもならなかった。

少しでも足を踏み外せば自分の命すら危ういが、そんなことを気にしている余裕もない。

(やらかした、やらかした……!)

頭の中はその言葉でいっぱいだった。歯車を落としただけならまだましな方だ。もしそれで歯車が割れでもしていたら。

「——最悪だ」

石段を駆け降りた先。視線の先に小さな歯車がいくつかの破片になって落ちていた。歯は折れ、中心にヒビが入り、到底使える状態ではない。

それでもその現実を認めたくなくて、ハルは飛び散った破片をかき集め、再び機械室へと伸びる階段を上る。

はじめとは違い、その足取りは酷く重い。

『失敗』と『ミス』の二つの言葉が頭の中をぐるぐると回っている。

使える部品はもう手元にない。交換用の歯車はたった今ハルが壊してしまった。

「どうしたら」

解決策を考えるが答えは出ない。一度工房に戻ることも考えたが、それでは夕の鐘までには間に合わない。

外壁に開けられた窓から見える景色は少しずつ黄色い光を帯び始め、確実に刻限が近づいていることをハルに突き付けてくる。

初めに上った時の倍近い時間をかけて機械室へと戻る。

「どうしよう」

誰に言うともなしにつぶやいて、かき集めた歯車の破片を見つめる。床には先ほど取り外した壊れた歯車が放置されている。ぐるぐると思考が回るが、何一つとしてまとまらない。

「交換品……?」

ふと、何かが引っかかったような気がした。ゴードンの声が蘇る。

『いいか、古くなったパーツでもきちんと磨いて手入れさえしてやりゃあ意外と使えたりするもんだ。古いからってんで簡単に捨てちまうもんでもねえよ』

それは、工房の蒸気機関がいつものように止まってしまい、それを愚痴りながらハルが修理していた時のことだったと思う。

新しいものに更新しようというハルの文句をゴードンは意に介さず、呵々と笑ってハルに言って返した言葉だった。

その言葉通り、工房の二階にはゴードンがため込んだ古い機械部品が山と積まれていることを思い出す。

「そうだ、交換品!」

ハルは思わず機械室の中を見回した。

定期メンテナンスの際も、ゴードンは古いパーツを破棄することなく残していた。機械室の片隅、無造作に置かれた木箱の中に。

「もしかしたら……?」

その箱はハルにとって最後に残された希望のように思えた。箱に飛びつき、ひっくり返すように中身を探る。

箱の中身は様々なパーツが雑多に詰め込まれ、目的のものを探すのに酷く手間がかかる。大きなパーツをとりあえず脇によけ、箱を掘り進めていく。

(ここにもなかったら、もう本当に)

指先に痛みが走る。何かとがった部品で傷をつけてしまったらしい。そんなことも気にせず、箱を漁る。

そうして、箱の中身を半ば空けたところで。

「……あった」

はたして、それは箱の中に埋もれるようにその半分をハルの視界に晒していた。窓からの光を受けて、きらきらと輝いているようにも見えた。

震える手でつまんで、慎重に抜き取る。取り外したものと、落として割ってしまったものと、同型の古い歯車。いつかのメンテナンスの際に交換したものだろう。ハルはそれを掌に乗せ、じっくりと確認する。

「……行けるか?」

多少の摩耗は確認できるが許容範囲内に思える。工房の蒸気機関の修理に使うのであれば遠慮なく使うだろう。しかし、今ハルが修理しているのは工房のものではない。街全体の動力を支える時計塔の蒸気機関だ。

(大丈夫、か?)

不安が拭えない。これもダメだったとしたら。交換した結果何も変わらなかったとしたら。

窓から街を見下ろす。機械室のある高さからでは街の様子まで見ることはできなかったが、蒸気一つ上がらないその光景はやはり異様に見える。街全体を覆う不安の声がハルにまで届いてきそうに感じた。

ぐ、と手にした歯車を握り込む。

「覚悟、決めないとな」

敢えて軽い調子で口に出す。そうでもしないと不安でつぶされてしまいそうだった。

改めて手にした歯車を見る。

——これを使おう。

きゅっと口の端を引き締め、ハルは巨大な蒸気機関と対峙する。

「やろう」

背を照らす日の光が熱い。その熱さは、時間があまり残されていないことをハルに告げている。これ以上の遅延は命取りになる。だからと言って焦って適当な仕事は出来ない。

正確に、丁寧に、そして早く。

いくらか埃をかぶった歯車を手早く磨き上げ、再び工具に挟み込む。窓から風が吹き込んでくる。煽られないように、慎重に。

シャフトに空いた隙間に歯車を差し入れる。手が震えるが、どうにか堪えた。

工具を左手に持ち替え、右手に持った締め具でシャフトと歯車を固定する。締めすぎないように、しかし緩まないように絶妙なトルクで。

キリ、キリと締め具が回る音がする。風の音も階下でかすかに鳴る軋むような音もハルの耳には届いていなかった。

上下をきっちりと締めて——。

「オー、ケイ」

気付けば手の平は汗でじっとりと濡れている。

ともかく原因箇所の交換は完了した。バイパスを元に戻せば修理は完了する。

はじめとは逆の手順でバイパスを外し、交換した歯車をメインシャフトにつながる歯車と嚙合わせる。後は出力を戻すだけだった。

内燃機関の出力をゆっくりと、少しだけ上げる。窓から差し込む濃いオレンジの光の中、燃料鉱石の光が少しだけ強くなる。

きしり——とどこかが軋む音がしてひやりと背中に汗が伝う。しかし。

じっと見つめた先、シリンダーに収められたピストンが緩やかに動き始めるのが確かに見て取れた。

死んだかのように停止していた時計塔の機械たちが、緩やかに息を吹き返していく。

ハルは、それでも慎重に、少しずつ出力を上げていく。ある程度上げたところで、ごおん、とメインシャフトが動き始める音が機械室の中に響いた。

「よし、よし……!」

口の端に少しずつ笑みが浮かび始める。時計塔を縦に貫くメインシャフトが緩やかに回転を始め、上から下へと、張り巡らされた歯車が各々動き始め、動力を地下へと伝えていく。

ハルはそのまま内燃機関を通常出力までゆっくりと戻す。今や、時計塔の機械たちは完全に息を吹き返し力強く回転している。

ふっと息をついたその時、窓からざわめきが聞こえたような気がした。聞き慣れたその音。蒸気機関の排気弁から勢いよく吹き上がる蒸気の音。窓から外を見下ろすと、街のあちこちから白い蒸気が上がり始めたのが見えた。街が動いている!

「やった……!」

思わず拳を握りしめたと同時。それを祝福するように機械室に取り付けられた排気弁からも派手に蒸気が吹き上がる。

窓の外のざわめきは歓喜に満ちていた。不安に静まり返っていた空気を吹き飛ばすように。

日の光は赤く、間もない日没に向かっていく。ハルがしばらくその光景を眺めて余韻に浸っていたところで。

「親方!!夕の鐘はまだかね!?」

階下から市長の胴間声が機械室まで響き渡ったのだった。

「……あっ!?」

すっかり忘れていた。時計の針は正午を指したままになっている。

ハルは慌てて時計盤を操作し、時刻を夕の鐘に合わせたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る