第四話 機械室・1

時計塔自体の入り口を重い錠で閉じているからだろう。機械室は施錠されていない。片隅にはこれまでのメンテナンスで交換した古いパーツが詰め込まれた箱が無造作に放置されていた。

そして、機械室の中央には巨大な蒸気機関が設置されている。いつもならば蒸気機関から勢いよく蒸気が噴出し、地下へと伸びていくシャフトを力強く回転させ歯車を動かしているそれは、今は音もなく沈黙していた。

「……」

予想はしていたがこれまで見たこともない状況にハルは思わず立ちすくむ。メンテナンスの時でさえ出力を抑えるだけで機関を止めることはあり得なかった。

(これを、俺が直す?)

実感がない。しかし

『お前に頼むしかねえ』

そう言ってくれた師匠の顔をつぶすわけにはいかない。ハルはもう一度大きく深呼吸すると、まずは蒸気機関のチェックに取り掛かった。

のぞき窓から見える燃料の鉱石は問題なく燃焼し発光している。時計塔で使われているこの鉱石は燃焼すると白い光を放つという特性を持っていた。メンテナンスの時と同様に出力を最小に設定すると、穏やかな光へと変化する。次に巨大な蒸気機関から伸びるシャフトとそこに連なる歯車の数々を手早くチェックする。特に問題があるようには見えなかった。

もう一度のぞき窓から機関内部をチェックする。直列で繋がれた6つのシリンダー内の動きがない。原因は蒸気機関そのものにあるようだった。

ハルはどっかりとその場に座り込むと鞄から工具箱と図面を広げ、次にどこをチェックするべきかを検討し始めた。急がなければいけない。手間取れば手間取るほど、大変な事態を引き起こしそうな気がする。

しかし、焦って何かを間違ってしまえば。……ふるりと手が震えるのを感じる。軽く頭を振ってその先を考えることはやめた。ともかく今は。

「このデカブツに集中しないとな」

気合を入れるように言うと、図面と巨大な機関を見比べる。

シリンダーに動きがない場合の原因の可能性をいくつか列挙する。燃料に問題がないことは確認した。水位メータも正常値を保っている。

「あとは——」

思いついた順に内部を一つ一つチェックしていく。シリンダーやクランクシャフトには問題がない。ただ、最小出力でもゆっくりと動くはずのピストンはぴたりと止まったまま、動く気配がない。

「あ゛ー!!何が原因なんだよ!!」

がしがしと髪をかきむしる。内燃機関自体には問題は見つけられない。しかし、実際に蒸気機関は停止し沈黙したままだ。

(どこだ、……どこに原因が……)

何度も同じところを繰り返し確認するが、原因箇所は見つけられない。そうする間にも時間はじりじりと過ぎ去っていき、焦りばかりがハルの全身に降り積もる。

苛立ちに何度も図面を放り出しそうになる心を押さえつけ、

(ともかく、落ち着け。師匠に教わったことを思い出して)

大きく息を吐いてもう一度図面に目を落とす。何度確認しても内燃機関には問題らしい箇所は見つけられなかった。ピストン自体に問題があった場合はもうお手上げだが、今の状態では確認のしようがない。

(だとすると)

視線が図面の上を滑っていく。内燃機関からその先に伸びたシャフトへ。もし内燃機関に問題がないと仮定した場合、次は内燃機関と接合した先に原因があると予想された。

6つのピストンに連結されたクランクシャフトを、1箇所ずつ丁寧に追いかけて調べていく。連結箇所にも目立った問題は見受けられない。そのまま、クランクシャフトの伸びる先を図面と比較しつつ目で追いかけていく。ぱっと見たところ、ここにも原因らしき箇所は見つけられない。しかし、ここでもないとなるとハルの手ではどうしようもなくなってしまう。

(やっぱり俺には無理なんですって、師匠……)

そうしてピストンからクランクシャフト、その先に繋がれた歯車の群れを何度も何度も確認し、いよいよ諦めかけた時だった。

「あれ?」

疑問の声と同時にそれまでせわしなく動いていた視線が止まる。小さな違和感。

そこは、定期メンテナンスでもゴードンが特に念入りに手入れをしていた箇所だった。この時計塔の心臓部である蒸気機関、その核ともいえる小さな歯車の一つに、小さなズレ。

よくよく確認しないと気付かないほどのズレだったろう。しかし、その小さなズレが時計塔を——そして街を止めている原因であるように思われた。

「これ、……これ、か?」

小さな歯車一つだ。たったそれだけの、しかも気付かないほどに小さなズレが街を止めてしまうとは到底思えないだろう。けれど。

「……うん、やっぱりここだ」

ハルの声に張りが戻る。それが原因であることに、確信があった。見習いとは言え機械技師の勘とでもいうべきか。

そのまま手で直せないかと接合部に手を差し込もうとしたが、脳裏に『馬鹿野郎!』と怒鳴りつけるゴードンの姿が思い起こされた。最小出力であろうと稼働中の機関内部に手を突っ込む行為は危険以外の何物でもない。

昔、ゴードンについて時計塔のメンテナンスに同行したときに同じようなことをしたことがある。あれも弟子について間もない頃だったと思う。"街を動かす巨大な蒸気機関"が物珍しくて、つい手を伸ばしてしまった時だ。

『機械はこっちの都合なんぞ考えちゃくれねえんだ。決められた通りに動く。だから無遠慮に手なんか出したらこっちの身が食われちまう』

よくよく気をつけろ、と諭すように話してくれた声を思い出し、伸ばしかけた手を引っ込める。

「りょーかい、師匠。ともかくは……と」

言いつつ鞄の中をがさごそと漁る。

「とりあえずコイツの交換だな」

鞄の中でゴードンが投げて寄越した機械部品を確認する。ありがたいことに師は心臓部のパーツも持たせてくれており、目的の歯車はすぐに見つかった。問題はどのようにして交換するかだ。

ハルは今までのメンテナンスでのゴードンの作業を一つ一つ思い出していく。メンテナンスでは今回のような歯車の交換が発生することも多くはないが実際にあった。

「まず、バイパス」

そうだ。交換箇所の前後を別のシャフトと歯車でつなぎ、問題の歯車の稼働を機関から切り離してしまう。バイパスしたままでも蒸気機関は動くが、これは出力を最低に絞った場合に限定した話で、通常出力に戻してしまうとあっという間にバランスを崩して全体が壊れてしまう危険性のあるものだった。

故に、バイパスをかけただけでは問題の解決にはならない。

ハルは今までに見てきた師の手順をなぞるように作業に取り掛かる。問題の歯車の前後を仮のシャフトと歯車でつなぎバイパスをかける。それだけでも繊細な作業を要求され、ハルの額には汗が浮かび上がっていた。

バイパスをかければ次は問題の歯車の交換。交換用の新しいパーツに問題がないかを細かく細かく、手早くチェックする。

「大丈夫そうだ。……よし」

機械室に開けられた小窓から見える空は、まだ日がすこし傾いた程度。このままいけば問題なく夕の鐘までには間に合わせられる。

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