第二話 停止した街
午前は予想通り、何事もなく過ぎていった。そもそもこの地味な工房は技師の性質も相まって頻繁に客が訪れるような場所でもない。
ハルはこまごまとした作業をこなし——、異変が起きたのはそろそろ昼の鐘が鳴ろうかという頃だった。
それまで機嫌よく動いていた蒸気エンジンが突然ぷすんと音を立てて止まった。
「あれ?」
どこかに不調が出たか。ゴードンは古いものであっても直せば使えるという考えで、設備の更新は遅れ気味だった。工房で使っているこの蒸気エンジンもモーター部に不調を抱えているのをハルが修行の名目で修理して使っているような代物だ。突然止まることは珍しくなかった。しかし、何かが変だ。
エンジンの駆動音が止まった工房内にはまるで時が止まったように静けさが下りていた。職人街では特に賑やかに響いているはずエンジンの駆動音や蒸気の排出音が外からも聞こえてこない。明らかに妙だった。
「ちょ、これ何が起きて……」
言うが早いか工房を飛び出てみると、見知った顔の職人がハルに気付いて声をかけてきた。
「おうハル!」
「ブルーノ親方!これ、どうなってんすか?」
外に出てみれば異変は一目瞭然だった。工房の外にまではみ出して設置されているどの機械も、そのすべてが停止し、沈黙している。ハルと同じく異変に飛び出してきた他の職人たちも不安げな表情でおろおろと周囲を見回していた。
「あれだ」
ブルーノはハルの問いに時計塔を指差して答えた。
時計塔は職人街からでもよく見え、その大きな時計盤は昼前を指している。一見すると特に何もないように見えた、が。
よく見ると長針がわずかに震え、その場に留まっているのが見て取れた。
「……もしかしなくても、止まってます?」
ハルの問いにブルーノは重々しくうなずいて返した。
時計塔が止まる。それは今まで経験したことのない事態だった。だが、それならば機械が止まってしまったことにも納得がいく。この街で動いている機械はそのすべてが時計塔を動力源としているのだから。
「俺も長くこの仕事やってるがこんなことは初めてだ。爺さんの爺さんの代にはもう動いてたって話だが止まったなんて話は聞いたことがねえ。たぶんここだけじゃねえだろうな。今に市長が血相変えてそっちの工房に飛び込んでくると思うが。……そら来た」
ブルーノの声に、その方向を見遣るとシルクハットにかっちりとしたジャケットというお決まりの恰好をした市長が血相を変えてこちらへ向かってくるのが見えた。
「ハロルド!ゴードン親方は居るか!」
市長はまるで怒鳴りつけるような口調でハルに詰め寄る。
「ハルっす。あー、えっと、その、……今師匠はちょっと手が空いてなくて……」
「そんなことはどうでもいい!お前も気付いているだろう、時計塔が……時計が止まってしまったんだ!こんなことはこの街が出来て以来300年、聞いたことがない!」
「今ちょうどその話をしていたところでして」
「いいかハロルド!ゴードンに伝えたまえ!今すぐに!時計塔の修理をするように!期限は夕の鐘が鳴るまでだ!いいか!必ず!修理するように!!」
言うだけ言って市長は足早に職人街を後にする。ブルーノは相変わらずな市長の高圧的な様子に辟易した様子でハルの方を見る。
「ああ、えっと」
ハルは市長の一方的な命令に一瞬呆然としていたが、やがて気を取り直し。
「とりあえず師匠に話してきます!」
そう言い残すと工房に駆け戻った。
* * *
工房の二階に上がると、市長の胴間声は二階にまで響いていたらしく、ゴードンはすでに状況を把握していた。
「問題は」
「師匠、動けます?」
「それよ」
ゴードンはベッドにうつ伏せに寝そべったままびしりとハルを指差す。
「ということでな」
……何か、嫌な予感がする。
「お前、行ってきてくれ」
「はあ!?」
「今までの定期メンテナンスはお前も同行してただろう。俺がやってることは見てきたはずだ」
「いや、確かにそうですけど……」
「実際俺が行けりゃあいいんだがこの通り動けねえ。時計塔は市長直々の命令だ。うちの工房で何とかせにゃならんだろ。となれば、お前に頼むしかねえ」
「俺まだ見習いなんすけど」
「師匠の命令だ、行ってこい」
「んな理不尽な!」
ハルの嘆きが室内に響くが、事はゴードンの言う通りどうしようもない。
「へぇーい……」
ハルは抵抗を諦め、道具箱とゴードンが投げて寄越してきたいくつかのパーツを鞄に収めると時計塔へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます