第7話 ギリギリの妥協点
閉ざされていた意識が、再び覚醒する。どうやら自分は、またもあのベッドの上に寝かされていたようだった。
雪穂は、きょろきょろとあたりを見回すと、やがてそこがあの時寝ていた場所と同じ場所だということを、認識する。
「あれ、あたし……」
何か、自分の心が黒い何かに食いつぶされるような感覚に襲われた後、彼女は意識を失っていた。これから先のことは、全く覚えていない。
「おや、目が覚めましたか」
「うん。…そうだけど、っていうか誰!?」
まだ意識が覚醒しきっていない時に、妖しげな雰囲気の青年に、急に声をかけられたのだ。驚いて、思わず二歩ほど立ち退ってしまった。
「私は当修道院の院長を務めております。黒崎右近と申します。今日はあなたに提案があってまいりました」
「え、提案!?というかその…随分お若い、ですね……?」
「よく言われます。こう見えても自分の年齢、覚えていないのですけれどね」
年齢を覚えていないなんていうことがあるのか。ともすれば、この青年…いや、青年と呼んでいいのだろうか、この男の年齢は、少なくとも見た目とは一致しないのだろうか。
「さて、目はちゃんと覚めましたか」
「今のでバッチリ覚めました」
流石にあなたのインパクトのおかげで覚めましたなどとは言えず、微妙に伏せて回答する。
「それは良かったです。ところで提案というのはですが、単刀直入に言えば我々の仲間にならないか、ということです」
「仲間っていうのはその…悪魔祓いってことですか?」
「はい。当修道院は悪魔祓いの事務所のようなものも兼ねていますので」
「それはいいんですけど…あたし、悪魔とかそういうのが実在するの知ったの、ついさっきなんですよ。そんな人に任せていい仕事なんですか?その、悪魔祓いって」
「素直に疑問を口にしてくれる若い子は大好きですよ。最近はプライドが邪魔して正直に言えない子供も増えていますからねぇ」
黒崎はまたも妖しく笑って、雪穂の方を見た。安心と不安が、同時に来る不思議な感覚だった。
「まあ、悪魔が憑いている状態のあなたを仲間に引き入れることには反対されましたが…私はそれでも構わないと思っています。むしろ、そういう者ほど私は率先して保護したい」
「…話が見えないんですけど」
「ああ、話してませんでしたか。あなた今悪魔憑いてるんですよ」
「それは何となくわかるんですけど、それ大丈夫なんですか!?」
ふと、雪穂はあの不愉快な、自分の心が黒い何かに塗り潰されるような感覚を思い出す。
あれはもしかすれば、悪魔に身体を乗っ取られでもしているのだろうか。だとしたら、まさに不愉快だ。
自分でない何かが自分を乗っ取って勝手に動いているなんて、そんなに気持ち悪いことがあってたまるか。そう、彼女は考えた。
「一応、悪魔の干渉を抑える手段を私は持っています。それがあれば、基本的にあなたが悪魔に乗っ取られることはないかと」
「そういうの、あるんですね…?」
「悪魔憑きは悪魔を祓わなければ日常生活が侵されるどころか、やがては完全な悪魔へと成り果て、この世のものではなくなってしまいますが……。ですがこれがあればそれを押しとどめ、あなたが人間のまま過ごすことは出来ます」
そう言って、黒崎は何かペンダントのようなものを手渡してきた。輝く宝石のようなものが埋め込まれているそれを、おそるおそる雪穂は受け取る。
「あの、これ何ですか?」
「その石は悪魔の影響を遠ざける効果があります。あくまで遠ざけるのみですので、完全にゼロにすることが出来るわけではありません。ですがこの石そのものは貴重品ですので、もしなくした場合代わりを用意するのは少々難しいです」
「あの、何でそんな貴重なものをわざわざあたしに?」
「あなたに憑いている悪魔の弱体化をしないと、あなたの悪魔が祓えないのですよ」
「……?」
話がまたよくみえず、雪穂は首を横に傾げた。
「あなたについている悪魔は非常に強力なものです。私でも祓えるかわからないくらいにね。一体全体何でそんな強力な悪魔があなたに憑いているのかはわかりませんが……それを含めてあなたについて調査をしたい」
「えっと。つまり……」
「あなたの監視と調査を兼ねて、あなたには悪魔祓いとして働いてもらうということです」
「いや待ってくださいよ!?それ完全にあんたの都合じゃないですか!?」
何より、この男に従わなければ、自分の命が脅かされていると警告までされているのが、雪穂にとってはとてつもなく厭らしく感じてしまった。
まるで詐欺師にでも丸め込まれそうになっていたかのような不快感が、雪穂を襲う。
「勿論、あなたが働いてくれれば報酬は出します。悪魔祓いとして戦う方法も教えましょう。何より、あなたの自我と人間性が保証されるのですからね」
ここまでこの男が言っていたことがほとんど嘘っぱちで、尊も伊織もグルで、ただ騙されていただけという可能性だってあり得る。だが、先ほど味わった不快感が、『悪魔』という存在が本物だと、これは嘘じゃないと、雪穂の心が告げていた。
「正直、あんたの言うこと信用できないです。少しでも怪しいと思ったら、その時点でノー突きつけて出て行ってやりますけど、それでもいいですか?」
もし怪しい態度を見せたら、その時点でこれまでの交渉は決裂。それが、雪穂が出来るギリギリの妥協点だった。
「いいですよ。信用されないのは悲しいですが、交渉に応じてくださって感謝いたします。…あなたも、大切な人を傷付けたくはないでしょう、八坂雪穂さん?」
「何で…あたしの名前を……?」
「あ、それは尊君から聞きました」
「やりにくいなこの人!!?」
さっきもそんなやり取りをした後なのに、ややこしいことをしないでほしい。正直それなりに本気で怒りたい気分の雪穂だったが、きっと無駄なので、仕方なく矛を収めることにした。
「詳しい説明は明日の18時頃。もう21時も過ぎてますから、親御さんも心配するでしょう。今日はこれを持って、早く家に帰って寝てください」
ふと携帯電話を確認すると、ものすごい数の着信履歴が携帯に入っているのが見えた。きっとこの後はこってり絞られるだろうなと憂鬱になりながら、雪穂はそのまま修道院を出ることにした。
「本当に良かったのですか?」
「当然ですよ。私はこの選択、間違ってないと思ってます」
「何というか、ほんとあくどいこと考えるよな、アンタ」
「はは。それはあなたたちも同じでしょう?」
「さあ、この後彼女がどうなるか。本当に楽しみですねぇ」
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