第5話 儀式

「……へ?どういうこと?」

「どういうことも何も、説明した通りだ。…その様子じゃ、さては尊のやつから一切聞いてないな?」

勿論聞いていない。尊の方はといえば、明らかに伊織の方から目を逸らしている様子だ。それを見るに、完全に説明し忘れたと言って間違いないだろうと、雪穂は確信した。

「…ハァ。同僚のミスもカバーしてこそプロの悪魔祓いだ。今から説明してやる、ちょっとこっち来い」

「雪穂さん、だったか」

「うん、そうだけど」

尊は少し不安げな顔で、雪穂の方を見た。

「……僕は何か間違えただろうか?」

「そこはノーコメントで」

会話もなくなった2人は、そのまま伊織の方へついていくことにした。


伊織に連れられて向かった先は、まるで処刑場を思わせるような物々しい空間だった。

どういうわけか、拷問具のようなものまで置かれている。

「……何、これ」

雪穂は顔を青くして、部屋の方を見る。恐怖で釘付けになり、そこから目が離せなくなる。

「ああ、これか。…片づけとけよっていっつも言ってるんだけどな。これ、もう使ってねえらしいし」

「…わざわざそんなもん置いとくって、この修道院何なの……?」

「俺にもよくわかんねえから、悪いけど聞くだけ無駄だぞ」


「さて、儀式と言ってもやることは簡単だ」

伊織は雪穂の方に向き直り、先ほど出したナイフを彼女の方へと突きつける。貼り付けたような笑顔を向けるこの少年に、どういうわけか激しい恐怖を覚えた。

「あの…正気ですか……?」

「正気だよ。つーか何度もやってるわこんなこと。そもそも人間相手にはただのナマクラだ」

伊織の表情が厳しいものへと変わる。その表情の変化に、雪穂はそれが冗談ではないということを理解する。

それと同時に、何でこのナイフが怖いのだろう?という疑問が、鎌首をもたげた。


当然ながら、雪穂はナイフで刺された経験なんてものはない。そりゃ、料理の練習で多少包丁を使ったことや、美術の授業でカッターを扱ったこともあって、刃物が危険なものであるということは理解している。

けれど、まるでそれで刺されたらすぐに死んでしまうんじゃないかというくらい、嫌な恐怖が頭を支配しているのだ。

これじゃあまるで……と考えたところで、雪穂は考えを止める。

これ以上考えてしまったら、自分が自分でなくなってしまうような気がした。

頬を叩いて、何とかその考えを振り払う。


「…何やってんだお前?」

「ちょっと色々あってね!気にしないでいいからね!?」

…勿論その光景は伊織に思い切り見られていたわけだが。少し顔を赤くした雪穂だったが、しかしその心は自分でも意外なほど冷静だった。

「よし、さあ来い!!」

「覚悟が決まったんだな」

「なんかよくわからねえが、覚悟が決まったなら丁度良い。歯、食いしばれよ」

その瞬間、伊織がナイフを振り上げ、雪穂に…突き立てた。


肉が千切れる音がした。その音がした方を見る。出血はしていない。

あの見た目でありながら、実体は人体を傷付けるのを目的とした武器ではないのだろう。…だが。次の瞬間、

「あ……ああああああああああああああああ!!!!!!!!」

激しい痛みが雪穂を襲った。続いて、血液が沸騰して暴れ出すような苦しみが、全身を襲い始めた。

雪穂はその場に倒れ、苦しみ悶えてのたうち回った。

死ぬ。死んでしまう。しかも、先ほどまであれだけ普通に接していたはずの伊織と尊は、そんな自分のことを気にもかけず、見下ろしているではないか。


「ああ……あああああああァァァァァァ!!!!」

喉が枯れるほどの叫びを上げ続けていても、2人は全く意に介す様子がない。

「…やっぱ、憑かれちまってたか、どうする尊?」

「この暴れ回ってる様子だ。少し難しいが…僕がやる」

尊は手袋を手につけ、そしてそのまま暴れ回る雪穂の身体へと、そっと触れた。

「あ……あ………」

しばらく痙攣した後、彼女は意識が途切れたのか、糸がきれたようにぷつりと、動かなくなった。


「調伏完了だ。目覚ましたら、とっとと家に帰すぞ。あんまり時間かけたら怪しまれる」

「…伊織、何か気づくものはないか?」

「気づくものってなんだよ」

「その様子だと全くわからないみたいだな。…彼女の様子、少しおかしい」

尊は気づいていた。まだ、これで『終わりではない』ということに。

「悪魔を調伏出来た手ごたえが全くない。彼女はしばらくすれば目を覚ますと思うが…それにしたってどうにも、違和感がある」

「お前が珍しく長台詞喋るってことは…本気なんだな」

「いつも僕は本気だが」

「そういうことじゃねえよ」

なおも軽口をたたき合う2人だったが、それに反して部屋の中には妙な緊張感が漂っていた。


尊の言う「違和感」の正体。伊織はそれに気づけずにいたが、ひとまず尊の言葉を信じることにした。しまっていたナイフを再び出し、雪穂の方へと向き直って様子を見る。

あれだけ苦しんでいた割には、随分と安らかな顔で眠っているように見える。はたから見れば、年頃の少女が…場所こそ少し異様だが、穏やかに寝ているようにしか見えないだろう。

だが、異変はすぐに起きた。伊織もやがて、その違和感の正体に辿り着く。

少し油断すれば、胃の中のものが出てしまいそうなその不愉快な気配は……。


「悪魔の気配だ。こいつ…相当強い悪魔が憑いてやがる……!」

「妙だな、さっき戦った悪魔は大したものではなかったはずなんだが。だが…気配がするということは近くにいるということだ。警戒するぞ、伊織」

「わかってる!!」

2人が戦闘態勢をとったと同時に、少女……雪穂が肩口を手で押さえながら、ゆらりと立ち上がる。


「…よくも、よくもやってくれたなァ!!!!」

「やっぱり……やっぱり憑いてやがったか」

「覚悟を、決めるしかないな」

目を吊り上げ、血走った眼で2人を見つめるその姿は、先ほどまでとは明らかに別人。まるで中身ごと変わってしまったような様子に、2人はより一層警戒を強める。


「まだ…戦いは、終わってない」

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