第1話 退屈を嫌う少女

「起立、礼、着席!」

授業が終わり、空がオレンジ色へと変わりつつある頃。

幽谷第一高校1年3組の教室もまた、授業終わりの号令が響き渡ったかと思えば、すぐに各々が談笑しながら教室を出ていくという、いつも通りの風景がそこにあった。

「ふぁ……」

教室の隅、眠たそうにあくびをかみ殺す少女が一人、カバンを持って立ち上がっていた。

「雪穂ー、今日も眠そうだねっ」

「あー。うん、うっかりクリアできないステージあったから、つい遅くまでやっちゃってて。おかげで今日の授業中ずっと眠気との戦いだった」

「ってまたスマホのそのパズルゲームやってたのー?あれ飽きない?」

「言うほど飽きない。ってか、風子はそれ今はやってないんだっけ?」

「私は飽きちゃった」

「ふーん」

他愛もない会話をしながら、2人もまた他の生徒に続き、教室を出て行く。


「風子はさ、ぶっちゃけ放課後やることとかあるわけ?部活もやってないのに」

「それを言うなら雪穂もだろっ。んまあ…今日の予習復習とか?あ、でも。昨日あれ。あのあのバラエティ番組は見たよ。クイズ番組」

「クイズ番組か~~~興味ないんだよなぁ」

「興味ないっていうか、雪穂は基本万物に興味ないじゃん。もうちょい色んなことに目を向けた方が幸せになるぜぃ?」

八坂雪穂という少女は、基本的に無気力に生きている人間だった。


『好きな食べ物:特にない』『好きな芸能人:特にいない』『好きな教科:ない』『趣味:スマホで時間を潰す』というような、プロフィールが「ない、ない」だらけで並んでしまうような、そんな人間だ。

興味関心が全くないというわけではない、ただ、あらゆるものに、熱を向ける程の興味関心が持てない。

雪穂自身そんな生き方に不満があるというわけではなく、むしろ彼女の悩みは、別の部分にあった。


「目を向ける、って言われてもねぇ。なんか、興味持てないんだよね」

「あっはは。若人がそんな態度じゃダメだぞ~?私だってもうちょっと色んなもんに興味あるよ」

「たとえば何?」

「ところで今流行ってる漫画があるんだけど、読む?」

少しだけ迷った。

せっかくの友人からの誘いなのだ。正直、興味があるという程ではないのだが、ここで断るというのもなんだか、自分が冷たい人間になってしまうような気がして、はばかられてしまった。

「んじゃ、1冊だけ頂戴」

「お?契約成立!せっかくだしあげるよ。対価は雪穂からの感想ってことで」

「ん、ありがと」

「どういたしまして」


やがて2人は、校門の近くまで足を進める。

「何とかしなきゃいけないとは思ってるんだけどさ、毎日すっごい退屈なんだよね」

「あっはは、それいっつも言ってるよね」

退屈。

それが雪穂の心に巣食う、悩みの一つだった。

風子と談笑して、遊びに行く日々は楽しい。

けど、それとこれとは別。高校に入学してから半年以上が経過したが、特に彼女の心に刺激をもたらすような何かは、何も訪れなかった。

このまま欠伸が出るような生活が、これからも続いていくのだろうか?そう思うと、どうにもいてもたってもいられないような感情が、彼女の中を支配していくのだ。


「んじゃ、また明日学校でねー。なんかいいの、見つかるといいね」

そうやって風子は、またも笑顔を向けながら、手を振って反対の道へと進んでいく。

雪穂と風子の帰る道は、真反対の場所にある。家が遠いのだから仕方ないのだが、出来れば学校を出た後も一緒にいられないかと思ってしまうのは、理屈では理解していたとしても、仕方のないことなのだろう。

「やることもないし、早いとこ帰ろうかなぁ」

どうせ帰った後も、制服から部屋着に着替えれば、ベッドの上に寝転がって、風子から借りた漫画を読むくらいなのだろうが。

そんな独り言も、夕焼けの空の中に溶けていく。


「………」

校門を出たところで、何か見慣れない人影を見つける。

近づいてみてみれば、それは雪穂と比べてもかなり背の高い男性だった。

銀色に輝く髪と、いやに整った顔立ちが特徴の、黒を基調とした服を着た長身の青年だ。

「こんな所で何してるんですか?」

まさか不審者か何かじゃないだろうか。普段ならスルーしているところだが、何故か雪穂はその人物が気になってしまい、彼に声をかけた。

「何をしていると言われると、とても質問に困る」

整った顔に見合った、低く響きの良い美声で、青年は答えた。


「いや、あなた学校の関係者じゃないでしょ」

「確かに俺は関係者じゃないが」

開き直ったつもりなのだろうか?真顔で答える青年に、雪穂はただただ困惑するばかりだった。

「早く帰った方がいい。夜道は危険だ」

「ご忠告ありがとうございまーす。それじゃ…って!そうじゃなくて!!」

「……何をしているんだ?」

渾身のノリツッコミに、あろうことか単なる困惑で返されてしまい、顔の奥が熱くなる。これを顔から火が出ると表現した昔の人は、さぞや同じ経験をしてきたのだろう。


「とにかく、夜道は危ない。帰った方がいい」

青年はあくまで、その一点張りらしい。これ以上会話しても無駄だろうと確信した雪穂は、忠告通りに帰り道を歩もうと決めていた。

道はすっかり、暗くなり始めていた。

空がオレンジ色に染まる時間は、思ったよりも短かったらしい。

あまり帰りが遅くなってしまえば、また母親にうるさく言われてしまうだろう。いくら退屈を嫌っているといっても、流石にそんなリスクを背負ってまで、火遊びをするような勇気は、ただの高校1年生である雪穂にはなかったのだ。


一体、あの青年は何者だったのだろう?校門の方から帰り道を目指そうとしていた頃には、そんなことも考えていたかもしれない。

ただ、いつの間にかそんなような思考もどこかに飛んで行って、彼女はまっすぐに帰り道を目指していた。

気付けば、道はかなり暗くなっていた。

街灯と家から漏れ出す明かりが仄かに道を照らす。

急がないと、と思った。

肌寒くなっていくのを感じて、上着を着直した。


ふと、何かの気配を感じて、後ろを振り向く。

それが雪穂の日常に、『退屈』なんてものを感じさせなくなるような、運命を変える存在だと、この時彼女は知らなかった。

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