生きづらさ、感情と感覚の波

白鷺(楓賢)

本編

私はASD(自閉スペクトラム症)という発達障害を持っています。それに加えて、感覚過敏や吃音など、日常生活での困難さをいくつも抱えています。日々の中で「生きづらさ」を強く感じることがありますが、それは私だけの特別なものではないかもしれません。けれど、その感覚を持ちながら生きるというのは、決して簡単なことではありません。


ASDを持つ私の感覚は、しばしば周りとズレを感じます。例えば、感覚過敏。大きな音、強い光、人ごみの中での多くの情報。それらが一気に押し寄せてくると、普通の人には何でもないことが、私にとっては耐えがたい苦痛に感じられます。普通の生活の中で普通のことが、私には「普通」ではないのです。


また、吃音という言葉の詰まりも、コミュニケーションにおける大きな障害です。話したいことがあっても、それを言葉にするのに時間がかかり、時には相手をいらだたせてしまうこともあります。そんな時、無力感や孤独感が押し寄せ、言葉を発すること自体が怖くなることもあります。


それに加えて、私は双極性障害や境界性パーソナリティ障害の可能性も考えられます。この2つの障害が重なると、感情の波がますます複雑になり、生きづらさはさらに深まります。私の感情は、まるで予測不可能な波のようです。時には、気分が高揚し、何でもできるように感じる一方で、ほんの数時間後には無気力に襲われ、何もできなくなってしまいます。その振れ幅は、コントロールしがたく、周囲から理解されにくいことが多いです。


境界性パーソナリティ障害もまた、私の生きづらさを増幅させる可能性のある要素です。自分の感情や対人関係が不安定で、ちょっとしたことで他人との関係が揺れ動きます。周囲の人々に期待してしまい、その期待が裏切られると、急激に関係を絶ってしまうこともあるのです。


私にとっての生きづらさとは、感情の波や感覚の波に翻弄されることです。それは、自分の中で何が起こっているのかを自分でもうまく説明できず、その結果、孤独感を感じることにも繋がります。しかし、この「波」をどうにかして乗り越え、日常生活を送るためには、自分自身を理解し、受け入れることが大切だと思っています。


私は、感覚や感情に大きく影響される毎日の中で、少しでも生きやすくなる方法を見つけるために模索し続けています。それは、療法やサポートに頼ることだけではなく、日々の小さな工夫や、自己理解を深めるプロセスでもあります。自分がどんな時に感覚過敏や感情の波に襲われるのかを少しずつ把握することで、その波をうまく乗り越える方法を見つけられるかもしれないと感じています。


このエッセイを書いている今も、感情の波や感覚の過敏さに襲われながら生きています。しかし、これが私の現実であり、これからもこの現実と向き合っていかなければならないということを受け入れることで、一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。


私の「生きづらさ」は誰かに理解されることを期待するものではありませんが、同じように感じている誰かがこれを読んで、自分だけではないと少しでも思ってもらえたら、それだけで救われる気がします。

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生きづらさ、感情と感覚の波 白鷺(楓賢) @bosanezaki92

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