第9話




 この夜の宇賀達也の抱き方は、

 今までに相手をしたどんな男よりも優しかった。

 肌を重ね、身体を絡ませ、口づけを交わす。

 触れ合いのひとつひとつが愛おしそうで。

 咲に対する抱き方もそうだった。

 『買う』――そんな抱き方ではない。


 その抱き方はまさに私が侮蔑し、バカにしていた『愛情』だった。





「ほら紫、服着なくちゃ風邪ひくよ」

「ん、ああ……」


 放課後の屋上。

 交わりを終えた私たちはフェンスに寄りかかって、

 はだけた服を戻しながら冷たい風に身を委ねていた。

 火照った身体が秋風でゆっくりと冷めていく。


 私と宇賀達也の関係は変わった。

 身体を重ねるのに金銭の取引は無くなって、

 ほぼ毎日のように、場所を変えては達也と交わった。

 私よりも小さい身体が私を包み込む不思議な感覚。

 刹那の快感は私たちの傷を閉じて、開いて。

 愛しくて、切なかった。


「……なぁ、達也」

「うん?」

「アタシの昔話、教えただろ」


 彼の抱き方に『愛情』を感じてから、

 私は自分の汚らわしい過去を達也に打ち明けた。

 両親の離婚、母との二人暮らし、母の再婚。

 そして、再婚相手の連れ子の男に純潔を奪われたこと。

 未だに私の中に消えず、焦げ付き、何度も頭に弾けて思い出す過去。

 好きでもない男に汚された身体に価値はないと、

 私はとことん身を堕とすことを決意した。


 消えない傷痕が開くたびに誰かを傷つけ、いじめてきた。

 消えない傷痕が疼くたびに誰かに身を売り、快感でごまかしてきた。


 そんな汚れきった私を好きだと言って、

 あんなにも大切に、愛情深く抱いてくれたこと。


 この人なら私の過去を全て話せると、そう思えた。


「アンタもアタシも、兄貴に奪われて、壊されたんだよな」

「そうだよ。紫も僕も同じだ」


 赤から紫へ変わりゆく空を見上げていたら、

 どうしてこの男に早く気づけなかったのだろうと、

 どうしてこの男に早く出会えなかったのだろうと、

 悔しくて悔しくて、涙がにじんできた。


「もう死にてェよ……」


 震える声で呟いた。

 時の歯車が戻るのなら戻って欲しい。

 私の純潔を宇賀達也に捧げたい。

 そして、一人の人間らしく、

 誰からも恐れられることなく、

 避けられずに生きたかった。


 いじめなんて。

 身を売るなんて。

 

 したくなかった。


 うつむいたら、涙がこぼれた。


「紫が望むなら、僕はどこへでもついていくよ」


 達也は私に身を寄せたまま、静かにそう言った。

 顔を上げて達也の横顔を見たら、彼はまた、あの目をしていた。

 何もかもをあきらめ、終わりを見据えたような、あの目を。


「僕も、この先の未来に明るい展望は持てない。

 兄貴が生き続ける限り、ヤツは僕の人格を殺し続ける。

 両親が老いて死に、兄弟だけになれば、僕はきっと兄貴に滅茶苦茶にされる」


 学生の間は親が止めに入る。

 しかし大人になれば『大人なんだからお互いで解決しろ』となるだろう。

 普通の家族ならそれが通用するかもしれない。

 普通の家族なら。


 達也の家族も、私の家族も、そんな甘ったれた話し合いなんかじゃ解決しない。

 達也の兄も私の兄も、大人になる以前から何もかもを壊しているのだ。

 『大人なんだから――』なんて、通用しない狂った兄なんだ。


 若いからやり直せるなんて綺麗事、そんなのは幻だ。

 達也の未来も、私も未来も。

 もう、詰んでいる。


「紫。君が死を望むなら、僕も一緒に逝く。一人にはさせない」

「達也……」


 陽が、暮れていく。

 夕焼けは夜空に食われていき、

 私の色が、空に広がっていた。

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