第6話




 兄が一層憎くなっても僕は弱いままだった。

 家で小言を言われ、自分の物を奪われては壊される日々だった。

 かつて先輩と呼び慕っていた森川由紀子も憎くなり、

 一切の連絡を絶ち、学校でも避けるようになった。

 元々、学年が違うから遭遇率も低くて精神的にはまだマシだった。


 マシなだけで、今後の展望に何かを見出せたわけじゃない。

 ここで腐るか前を向くかで人間としての価値が決まりそうな気もするが、

 痛みや苦しみなど結局は本人にしか分からないことであって、

 他者から向けられる価値が僕の感じる苦痛と釣り合うかも分からない。

 また、この耐え難い苦痛の中、自分で自分を値付けするのも下らないと感じた。


 終わらせるしかないのだ。

 この苦痛を受け続けてまで生きる意味など無い。


「――とは言ったものの」


 放課後、暮れゆく陽に照らされる学校の屋上に来ていた。

 金網のフェンスで囲まれた景色を見下ろして違う寒さを感じる。

 喉が動いて、一歩退いた足が震えていた。


 そのとき、背後でドアがけたたましく開かれて振り返った。

 白い脚がすっ、としたに下ろされる。

 蹴破るように屋上へ来たのは金髪の美人、花村紫だった。


「よう宇賀ちゃん」

「花村、さん」


 カーディガンのポケットからココアシガレットを取り出して口に咥える。

 不思議と、彼女の存在感と歩く姿、仕草一つ一つに温かさを感じた。

 その理由は至って簡単だった。

 半ば強引ではあったものの、僕は結局彼女を買い、彼女を抱いたからだ。


「やることが単純過ぎて無様だなァ」


 歩み寄りながらニヤリと口の端を持ち上げる。


「自分で逝けねェなら手伝ってやるよ」


 白い脚が持ち上がって僕の腹を突き刺した。

 痛みと共に僕は後ろへ突き飛ばされて金網にぶち当たった。

 ガシャンと大きな音を立てて金網のフェンスがたわんだ。


「う、うわあ」


 一瞬、本当に落ちるんじゃないかと錯覚して腰が抜けた。

 屋上のコンクリに尻をつくと、花村さんがチッと舌打ちをした。


「おい、どさくさに紛れてスカートの中見てんじゃねェぞ」

「み、見てないですって」

「どうだか。相手が本当に思ってることなんて分かんねェもんだ」


 花村さんの言葉が胸に突き刺さった。

 その通りだ。他人が腹の底で思っていることなんて分かりっこない。

 言葉にしようとも、それが本心だとは限らないだろう。

 顔から力が抜けて、目元が曇ったのを感じた。


「そう、ですね……」

「クソが。またその目しやがって」

「えっ?」


 花村さんの腕が伸びて僕の胸倉を掴んだ。

 少女とは思えない強い力で立ち上がらされて、

 もう一度金網に突き飛ばされた。


「何を悟った気でいるんだ、テメェ」

「気に障ったならごめんなさい。花村さんを傷つけるつもりはないんです」


 お金を払ったとはいえ、彼女は僕を受け入れてくれた女性だ。

 花村さんへ感じている想いはかつて森川に感じていたそれと似ている。

 単純だった。

 花村さんになら何をされてもいい。


「僕は、花村さんが好きになったみたいです」


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