【No.060】あるアイドルの穏やかな死

【メインCP:男9. 加賀かが 可惜あたら、女21. 紅谷ベニヤ 萌歌モカ

【サブキャラクター:男18. シックル、女24. 対象男性の望むように、女25. 天下あました ミヤネ/オルタントゥ・ダスト、女31. 無藤ムトウ 有利ユウリ

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『みんなーっ、今日まで+Venusプラスヴィーナス紅谷ベニヤ萌歌モカを応援してくれて、本当にありがとーっ!』


 その光景を昨日のことのように思い出せる。ドームを埋め尽くすサイリウムの光の海の中、僕の推しの子が青春の一ページに幕を下ろしたその日のことを。


『ただの女の子には戻らないけど、私はこれからプロデュース業専門で頑張っていきますっ。次に私が白羽の矢を立てちゃうのはー、客席のキミかもしれないよっ?』


 流星の如きウインクで最後までファンを沸かせ、万雷の喝采コールに見送られてがステージを後にする。アイドルの象徴たるマイクを僕達に手渡すような最後の振りとともに。


 そして、それから少しばかりの時が流れた――。



 ◆ ◆ ◆



無藤むとうさん、ご無沙汰してます」


 社長室プレジデントオフィスの扉を抜けて僕が挨拶すると、「あら、死神君」とその女性は愉快そうに振り返った。


「VRじゃないのね。月面ここまではるばる足を運んでくれたの? 遠かったでしょう」

「軌道エレベーターに便乗させてもらえばすぐですよ。あなた達のように宇宙空間を飛ぶのは疲れますけど」


 ふふっと上品な仕草で笑う女性の前に、僕は無重力ゼログラバッグから出した貢ぎ物を差し出す。彼女の趣味に合いそうな、雲のようなクリームが螺旋状に浮遊するエアリアルパフェだ。


「差し入れです。今日本で流行ってるんですよ、このスイーツ」

「あら、素敵。気の利いたことが出来るようになったのね」

「まあ、伊達にアイドルオタクなんてやってないですからね……」


 頬をかく僕の前で、外なる神の一柱ひとはしらは早速スプーンを口に運び、「美味しい」と人間のような感想を述べた。


「ミヤネさんも一緒に食べられたらよかったんだけど、こないだ天界に帰っちゃったからね」

「十年ほど前でしたか。聞きましたよ、配偶者の人間を列聖させて連れてくって言って大変だったそうですね」

「ふふ、しまいには『駄目なら星座にでも上げればいい』なんて駄々こねてね」

「今時、星座はないですよね」


 クールに我儘を言う古い知人の姿を思い浮かべ、僕はクスリとする。

 三代目無藤むとう有利ゆうりを名乗る神は、光学窓ミラーガラス越しに広がるルナシティの街並みを見下ろし、パフェのグラスを宙空に置いて言った。


「それで? まさか私を迎えに来たわけじゃないでしょう?」

「それは管轄外ですから。……迎えに行くのはですよ。何か伝言があればと思って」


 社長室の壁に並んだホログラフィを僕は指差す。初代無藤有利――という設定の本人――と、執事風の装いに身を包んだ若き日の紅谷萌歌が、同じく揃いの執事服を纏った大勢のスタッフと共に飲食店の前で笑顔を見せている3D写真だ。


「懐かしいわね。もう七十年くらいになるかしら」


 当時の人間界で一世を風靡したバトラーバーガー。ファストフード店と執事バトラー風の給仕サーヴィスという異色の取り合わせが大ヒットし、無藤有利の会社の海外進出の礎になったと聞いている。

 そのアイデアを出し、総合プロデュースを買って出たのが、アイドル引退後の紅谷萌歌だったのだ。


「ふふ、死神界きっての甘ちゃん君が彼女のでなかったら、私の会社もここまでにはなってなかったわね」

「……それでまあ、折角ですから、彼女に何か伝えたいことがあれば伝えますよ」

「大丈夫よ。話したいことは十分話してきたもの」


 お気遣いありがとう、と微笑む彼女。

 それにしても、芸能プロデューサーだった紅谷萌歌がなぜ飲食店に関与を――と、ふと浮かんだ僕の疑問に応えるように、外なる神は問うてきた。


「どうして執事か知ってる?」

「さあ。執事が好きだったんじゃないですか」

「そう。のよ」


 意味深そうな含み笑いに続いて、彼女は僕の知らない事実を口にした。


「あの子、マネージャーだかボディガードだかの男の人と付き合っていたのよね。もちろん、アイドルを卒業してからの話よ」

「初耳ですね」

「隠すのが上手だったのよ。a secret秘密を makes着飾って a woman女は美し womanくなる――なんて言うじゃない」

「コナンですか。随分懐かしい……」


 そういえば、目の前の神はあの漫画でその台詞を言ったキャラクターと似ているな、と思う。娘という設定で本人が活動し続けているところとか。

 いや、そんなことより、今は紅谷萌歌の恋愛遍歴の話だ。


「その男性が好んで着ていたのが、執事の服だったのよ。服だけじゃない、立ち居振る舞いまで全て執事に寄せていたの。私も顔を合わせるたびギョッとしたわ」

「随分と奇矯な人間がいたものですね。その方も神か何かですか?」

「人間だったはずよ。……二人の関係は結婚発表の時まで隠すつもりだって、そう言ってたわ。萌歌ちゃんはむしろ早くに関係を公言したがってたみたいだけど、彼女のイメージ戦略を考えて彼が止めていたのね」


 なるほど、と僕は頷く。

 アイドルを卒業したからといって、あまり早くに恋愛関係を公言してはマスメディアの格好の餌食だし、まして相手が仕事上の関係者ともなれば尚更だ。


「しかし、その後も紅谷萌歌が婚姻したという話は聞きませんが……」


 婚約まで行った男女が呆気なく破局するのは、人間にとって何ら珍しいことでもないが。


「セバスチャン――そう彼女は彼を呼んでたんだけどね、セバスチャンの『好きなもの』を世間に広めるんだって、萌歌ちゃんは張り切ってたわ。思えばあれは、恋人との関係を表沙汰にできない彼女なりの、とびきりのだったのかもしれない」


 随分とスケールの大きな惚気だが、彼女のキャラを考えれば納得できる気がした。


「だけど、バトラーバーガーの出店計画が軌道に乗りかけて、まさにこれからってところで、そのセバスチャンが病気か何かで死んじゃってね」

「……それは災難でしたね」


 もちろん僕には覚えがないので、別の死神が担当したものだろう。


「彼が死んで、プロジェクトは白紙になると思ったけど……あの子、だからこそ彼の思いを引き継がなきゃ、って言って。自分が彼に代わって執事の真似事までして、店舗のオペレーションやスタッフの育成メソッドの整備でも先頭に立ってくれて。それはもうガムシャラだったのよ」

「人間は一度始めたことに固執しがちですからね」

「身も蓋もない言い方ねえ」


 少し呆れたように、彼女は顔の横で小さく指を振り、僕に言った。


「いいこと、坊や。それが人間の言う『愛』よ」



 ◆ ◆ ◆



『ねえセバスチャン? 私、今夜でアイドルじゃなくなったのよ?』

『お疲れ様でございました、お嬢様。熱いハーブティーをお淹れしましょう』

『そうじゃなくって』

『失礼、メンバーの皆様との打ち上げの手配でしたか』

『そうじゃないっ』


『今から恋愛解禁ってこと。……女の子から告白させる気?』



 月面からの帰路、僕は昔の旅客機の座席を思わせる軌道エレベーターのシートに不可視で腰掛け、紅谷萌歌の記録を閲覧していた。

 人間界の技術を取り入れた拡張現実アグメンテッド空間リアリティに、外部記憶装置アカシックレコードに記録された彼女と「セバスチャン」の情熱の日々が映し出されている。



『私、もう二十歳よ? なんで手を出そうとしてこないのよ。私ってそんなに魅力ない?』

『まさか。わたくしとて、情欲に理性を失いそうになる夜が無い訳ではありません』

『無い訳ではないんだ……』

『ただ、お嬢様は……わたくしにそうしたお姿を見せることを恐れていらっしゃるのか、と思っていたもので』

『……ばか、何言ってるの。……あなたになら、どんな姿を見られたっていいわよ』



 ***



『だめっ、私を置いてくなんて許さない……! あなたを失ったら、私は誰に守ってもらえばいいのよ!』

『……お嬢様が多くの方に与えてこられた夢と希望が、今度はお嬢様を守ってくれます』

『ばかっ、そんな話してるんじゃない……!』

『……わたくしはいつでも、お嬢様のそばにおります』

『なら……最後に名前くらい呼びなさいよっ』


『……愛しておりました、萌歌様』

『過去形にするなっ。いつまでも愛してるわよ、可惜あたらぁ……!』



 ***



『いいでしょ社長っ、プロジェクトは止めない。私が皆に執事の心得を伝えていくわっ。今は私が、セバスチャンだもの』



 ***



 恋人との関係にまつわる彼女の記録を一通り閲覧し終えて、僕は深く息を吐いた。

 愛というのはよく分からないが――僕の奇妙な同居人は口癖のように「愛とは性交えっちのことだよ」などと言うが、少なくともそれが愛の本質でないことは流石に僕も理解しているつもりだ――、

 人間の思考概念でいえば、紅谷萌歌と亡き恋人の関係は、そう、「夢を受け継ぐ」というやつだ。


『私達からすれば一睡の夢にも等しい時間を、人間は必死に走り切る。その短い一生の間で、文字通り懸命に生きた痕跡を残そうとするように――』


 去り際に外なる神が言ったそんな言葉が、ふと僕の脳裏をよぎった。

 結局、加賀可惜セバスチャンなる人間がなぜ執事にこだわっていたのかは僕には分からなかったし、掘り下げて調べようとも思わなかった。きっとそれは、紅谷萌歌だけが知っていればいいことだから。


「よく頑張ったね、モカちゃん」


 無意識に声に出していた自分に、はっと気付いた。



 ◆ ◆ ◆



 彼女の病室は、東京都心の特別防災エリアを見下ろす大病院の最上階にあった。


「ああ、懐かしいわ。あなた、私の握手会によく来てくれてた人でしょう?」


 今の彼女と同程度の年齢の姿で現れたにもかかわらず、彼女は僕を一目見るなり、ベッドの上から顔をほころばせた。


「確か名前はシックル君。彼女さんはお元気?」

「驚いた。よく覚えてるね」

「そりゃ忘れないわよ。あなた、私のグループの子達の分まで、色んなプレゼントを差し入れてくれてたじゃない」


 それは人間界に深くは関われない僕の、ささやかな善意のつもりだった。


「それだけじゃない。何か大事なものをくれたような気がするわ……。思い出せなくてごめんなさいね」

「……僕の方こそ、あの頃のキミからは色々なものを貰っていたよ」


 思い出とか夢とか、もしかすると人間がいう青春とか。人間にとっては掛け替えがないであろうものたちを。


「聞いたよ、バトラーバーガーのこと。恋人のこだわりを受け継いで頑張ってきたらしいね」

「なぁに、いきなり。そんな若い頃の話……」


 青空よりもっと遠くを見るような目で、彼女は窓の外をしばらく見つめ、ふいに何かを悟ったようにぽつりと口を開いた。


「ああ、そうだったわ。どうして今まで忘れていたのかしら。若い頃、私が刺されそうになった時……助けてくれたのも、あなただったわね」


 僕が静かに頷くと、彼女は遠い目で続ける。


「あの人と愛を育むための時間を……。好きな人の『好きなもの』を未来に繋げるための時間を、あなたは私にくれたのね」


 彼女が目を向けたベッド脇のテーブルには、やはり若き日の彼女と恋人の、仲睦まじいツーショット写真が立てかけられていた。


「……なんだかずっと、長い夢を見ていたような気がするわ」

「いい夢だったかい」

「ええ、とても」


 皺の刻まれた、しかし僕の目には昔と変わらない綺麗な頬を、一筋の光るものが伝った。――時間だ。


「行こうか。彼がお茶の用意をしてキミを待ってる」


 その輝きで幾万の人間を惹き付け、最後は一人の人間の夢を映していた煌星きらぼしの瞳が、そっと静かに閉じられる。


 おやすみ、僕の推しの子。

 この八十年プレゼントをキミが喜んでくれたなら、僕もちょっぴり鼻が高いよ。



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【本文の文字数:4,500字】

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