【No.058】99%の理想は一瞬で砕け散る【BL要素あり】

【メインCP:男13. 花澤ハナザワ 風太フウタ、男35. 間鹿島まかじま ひさし

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1! 2! 3! Go!

陽気で明るい音楽と共にピエロの男が観客の躍り出た。

駅前の時計台の下、いつにも増して人であふれていた。


彼はこちらを見て右目をばちんとウインクして、とびきりの笑顔を見せた。


なんだ、何が始まった。あの人は誰なんだ。

俺の知っているあの人はどこにいる。


「のいのい! 風間花野井カザマハナノイです! 

今日もよろしくお願いします!」


元気よくお辞儀して歓声が上がる。かなり人気があるようだ。

カメラを向けられても、怖がったりしない。

みんなに笑顔を振りまいている。


けど、声で確信した。彼が花澤風太はなざわふうただ。


気づけば、俺はあの場から走り去っていた。

理由は自分でも分からない。

ただ、耐えきれなかった。


「……」


すぐに自分の部屋に戻り、ひとり頭を抱える。

ひどい気分だ。何で逃げたのか、自分でも分からない。

涙が止まらない。


驚いたのは確かだが、失望したわけじゃない。

じゃあ、なぜ逃げた。俺は逃げたんだ。


たまたま散歩コースが被って、犬同士が先にあいさつを始めた。

それ以来、なんとなく会うようになって、たった数回、一緒に犬の散歩をしただけだ。犬の自慢話と歴史の話しかした記憶がない。


歴史専攻で兄貴の職場からほど近い大学に通っている。

真面目そうな大学生だと思った。働いてばかりの兄と全然違う人種だ。


だから、惹かれたんだろうか。

自分にはないものばかり持っているからだろうか。


ついこの間、帰り際にチラシを渡された。イベントスタッフのバイトか何かをしていて、少しでも多くの人を呼ぶためにチラシを配っていたんだとばかり思った。


『俺なりに頑張るからよろしく頼んだ』


そう言い残して、しば犬のチャロくんと共に去っていった。

あの言葉は、与えられた自分の仕事を頑張るという意味だと思った。


改めて渡されたチラシを見る。

どうやら、俺はかなり誤解していたようだ。


イベント会場の地図と演者一覧に彼が載っている。

確かに言われてみれば面影があるが、演者本人だと思うわけないじゃないか。


それにしても、あんなカッコいい人だったか?

魔法みたいに変身して、別人になったとしか言いようがない。


あの後、どうなったんだろう。

きっと最後までやり遂げて、大盛り上がりで終わったんだろうな。


ペットのゆっこを抱きかかえる。

家の前に放置されていたのを助けたのは、いつだったか。

段ボールを置かれ、兄貴とビビりながら動物病院に駆け込んだのも遠い昔だ。


明日、謝ろう。

最後まで見れなくてごめんなさいって。

たった一言だ。簡単だろ?




「あれ、来たのか」


別に待ち合わせたわけじゃないけど、なんとなく時間は分かる。

花澤さんは意外そうに俺を見る。


「昨日はごめんなさい。最後まで見れなくて」


「ま、せっかく来たんだしさ。歩きながら話そうよ」


彼は穏やかに笑っていた。

しばらく歩いて、適当なベンチに座る。

犬たちは足元で寝てる。


「始まった時、すげえ顔してただろ。

気にはなったけど、いつものことだし別にいいかなって。

あと3分待って来なかったら諦めてた」


「いつものこと?」


彼はふっと遠い目をする。


「あのチラシ、基本的に信用できる人にしか渡していないんだよ」


「信用、ですか」


「こっちも人集めないとさ、イベントって成り立たないわけじゃん。

だから、自分でも宣伝してるんだけど」


あれを自らの手で配っているのか。

本当にすごい人だ。生きている世界が全然違う。


「来てくれた人によれば、あのテンションが無理なんだってさ。

あまりに差がありすぎて、ついていけないんだと。

間鹿島まかじまくんはどうだった? 

風間花野井カザマハナノイをどう思った?」


眼鏡の奥の瞳が俺を捉える。正直に言うしかないか。

嘘なんて言えるわけないし。


「俺は怖くなったんです」


「怖い?」


「あのまま見ていると、俺の知ってる花澤さんがいなくなるんじゃないかって……逃げたんです。ちゃんと最後まで見ないといけなかったのに」


ばちんと閉じられた右目は今でも覚えている。

俺を見つけたから、合図してくれたのだろう。

花澤さんはゆっくりと息を吐いて、背もたれによりかかる。


「なるほど、そういうことか。

別にいいんじゃないか、いなくなってもさ」


「はぁ⁉︎」


「実際、そう思って離れてった奴もいるしね。

ちなみにだけど、ちゃんとアンチもいるんだぜ。

すごいよな、こっちは好きでやってるだけなのに本気で噛みついてくるんだ」


スマホには罵詈雑言が書かれたメッセージが届いていた。

つい数時間前に送られてきたようだ。


「……大丈夫なんですか、それ」


「今はまだ大丈夫。いつかそのうち、まとめて片付けてやるけどね~」


嘘だろオイ。アンチの呟きでご飯が食べられるタイプの人だったのかよ。

この人の心臓、どうなっているんだ。


「だから、別に気にしなくていいよ。俺は慣れたし」


慣れたとかそういう問題なのだろうか。

俺は全然ついていけないのに。同じ世界に生きている人間とは思えない。


「強いんですね、花澤さんは」


「そんなことないさ。

目の前にいた間鹿島まかじまくんを笑わせられなかったんだ。

こんなにひどい話もないよ」


「だから! それは俺が勝手に帰っただけで、アンタのせいじゃない!」


俺は思わず立ち上がった。

表情がどんどん曇っていくのを見ていられなかった。


「今度は逃げないでちゃんと見ますから! 頑張ってるところも! 全部!」


そうだ、この人は最初から表も裏も全部、見せてくれたじゃないか。

俺だけだ、何も見せていないのは。


「……本当に? 急に帰ったりしない?」


「しません! 逃げないって今度こそ、約束します!」


花澤さんはようやく笑った。


「分かった。今度も頑張るからよろしくね」


またチラシを渡して帰って行った。

今度は逃げない。カメラを構えてその姿を撮ってやる。

花のような笑顔を何度でも。



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【本文の文字数:2,293字】

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