10月4日 公開分

【No.033】美味しい朝食をどうぞ

【メインCP:男14. ジョナサン・マレー・りく、女23. ユリストフ・メェメェ】

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 メメからの初めてのメッセージは、こうだった。

『はらぺこには さらだらっぷ!』


   *


 早番の朝六時半。いつものカフェでいつものテイクアウト。ここは人の入りの割に静かで気に入っている。


「ソイラテとチキンサラダラップ、お待たせしました」


 受けとる際、ちらりと見えた絵はグレイ宇宙人のマークだ。口の端が上がるのを必死で堪え、僕は店外へ出た。

 ——いま見たいけど我慢。

 カフェのすぐ裏手を抜け、徒歩三分。そこが僕の職場。

 今しがた開錠したばかりのエントランスで警備員と挨拶をし、誰もいないエレベーターに乗った。

 一階から二十四階まで——宇宙人の日は、この時間が待ち遠しい。

 僕は少々どきどきしながら、そこに書かれたメッセージを読んだ。


『かぜ おだいじに!』


 驚きで目を見張り、すぐに苦笑した。

 ——やっぱりバレた。

 風邪気味の自覚はあった。

 少しひりつく喉を、ソイラテのとろりとした甘みが撫でる。僕は到着のベルが鳴るまで、やけに耳がいい彼女を想った。


   *


 都内に本社を置く上場企業の社長秘書、それが僕。

 とにかく月曜の早番は忙しい。まずはスケジュールの確認、アポイントの詳細確認、メールの返信と保留の上申。すべてさばいて始業に間に合わせる。

 そうでないと突発的に予定を入れる社長に振り回されてしまう。


「明日会食誘われた」

「……先方はどちらですか」

「あー? メールくるんじゃん? それとこの商品これ、面白そうだから今月中にセッティングして」

 万事がこの調子。それでいて下手な営業よりも目が効くので侮れない。手帳を確認していると、社長が眉間を突っついた。

「皺よりすぎ。それ以上イカつくなんなよ」

 誰のせいで!

 突沸しそうな気持ちを抑え、「気をつけます」と笑顔を作った。好きでイカつく生まれた訳じゃない。




 今夜は会食もそこそこ。先方から新しいクラブに誘われ、好奇心旺盛な社長は目を輝かせた。「お前いるし危なくないだろ」と言われては遅番の手前、制止しづらい。腕に覚えがない訳でもない。秘書というよりSP扱い。

 しかし遅番の勤務時間は二十三時まで。あと十分——絶対に帰ってやると、耳も頭もおかしくなりそうな音響の中で決意していた。


 いま僕は、カウンターと入口を三角に結ぶ壁の花。社長の背中を視界に入れつつ、踊り狂う男女の喧騒を眺める。明らかな色黒でガタイがよすぎるせいで、ここでも人は寄ってこないようだった。

 ——次の早番は。

 つまらなさに唯一の癒しを浮かべる。昨日医者に行ったので喉の調子は良い。ここなら誰にも聞かれまい。

「……メメ」

 つい、口ずさんだ。やけに耳のいい、不思議なカフェ店員のネームプレートの名前。

 同時に僕から自嘲の苦笑がはみ出した。これじゃ恋してるみたいだと。


 すると突然、周囲の音が遠ざかった。

 いや、カウンター側の音は聞こえる、だけど入口側からは——。不自然な聞こえ方にぶわりと怖気が走る。なんだこれおかしい。

 すると、

「君、あたしのこと呼んだ?」

 女性の声だった。まるで鼓膜に挿されたように届いた。ギョッとすると、人波を抜けて誰か近づいてくる。

 「……君、は」と答える自分の声すら遠い。違う、口から出た途端に消えていく?

「あれ、君じゃない? 試しに一回呼んでくれる?」

「え、……は?」

 酒も飲んでないのに酔ったのだろうか。見覚えのある彼女が近づくにつれ周囲の音が聞こえなくなっていく。こめかみから冷や汗が伝った。

「ね、呼んで。メメって」

 気づけば目の前にいた。赤毛で少し耳の大きな、『宇宙人』のメメが、甘くすり寄った。幻覚だろうか、僕の頬に彼女の髪が——。

「メメ、さん?」

「んん、ぁ……なんか、惜しいっ」

 彼女が不満げに離れた瞬間、ポケットで二十三時を知らせるアラームが震えた。


 *


 社長を見送ったあと、彼女は僕に「あたしはサンゴ星人のメメ」と自ら名乗った。


 宇宙人を信じるかどうかはさておき、彼女は音を食べることで操るらしい。さらには『美味しい音』を探してわざと騒がしい場所に出向くという。クラブはみな酔っているので都合がいいそうだ。

 電波系だった。

 残念でならなかった。これまでの淡い好意を自覚したことも。

 しかし僕が何くわぬ顔で別れを切り出した途端、

「あ。君、いつもお腹減ってる人だ」

 と、気づかれた。

 確かに初めて彼女からメッセージをもらったのは小さく腹を鳴らした日だったが。

「別に、いつもじゃ」

 気まずい図星に口調が崩れると、メメは「そうだっけ?」と笑った。犬歯がよく見える、裏表のない笑顔で。

「でも風邪はよくなったみたいね」

 よかったね!

 またも、鼓膜が直に震える感覚があった。

 彼女が声を食べたからなのか?

 耳がじんと火照った。

「メメさん。今日はもう遅いから送ります、タクシーを」

「んっ。待ってなに、いま……また美味しい感じが」

「は? あの、ちょ、近すぎま」

 僕は彼女の肩を掴んだ。力づくで距離を取ると、敵わない彼女はむくれた。

「もう一回言って!」

 やっぱり酔ってるのか?

 急激な面倒臭さを感じ、ため息と共に「分かりました」と応じた。

「やった! ハイ、どうぞ?」

 メメは、こともなげに僕に耳を差し出した。

 目を閉じ、まるでキスを待つような素直な横顔で——。


 ぐうと喉がなった。いますぐソイラテで湿らせたくなる。

 夜の静かな雑踏ノイズに、朝の朗らかに働く彼女の映像が重なった。些細な『音』から伝えられる温かな言葉たちも。その一つ一つにどれだけ励まされてきたかをも。

 せめて心を込めよう。

 もう発せないかもしれないと、明日からは店員と客に戻るだろうと思いながら。

「メメ」

「……っ⁉︎」

 パッと彼女が耳を押さえた。僕を穴が開くほど見つめる彼女を、点滅するネオンが赤く染めた。

「いまの、」

 そのとき空車タクシーが通りかかった。僕は急にしおらしくなった彼女を後部座席に詰めこんだ。運転手にはいくらか渡して。


 *


『りく、メメってよんで!』


 今日は仰せのままに「メメ」と小さく呼んだ。そうすると、カウンターのあっちで「ふぁっ!」と彼女の声がした。毎回じゃないのはちょっとしたイタズラだ。

 ——最近はこうやって、僕はサラダラップ、彼女は僕の声で腹を満たす。


 近々食事に誘ってみようか。音以外も食べるのかな。

 僕はソイラテ片手に口の端を上げた。



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【本文の文字数:2,500字】

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