【No.032】水底で、人の真似事
【メインCP:男16.
【サブキャラクター:男4.
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水族館は薄暗い青で満たされている。
日曜日の午後ではあるが、雨模様のせいか客は多くない。適度な静けさが心地良く、落ち着いて鑑賞できる状況であった。
「随分熱心に見ていますね」
「王様に、似ていますから」
奇妙な発言をする宇美は無表情で、冗談を言っているとは思えない雰囲気。
秋水も戸惑いすらせず淡々と返す。
「これが古代文明の王様の姿ですか」
「いいえ。あくまで似ているだけであり、このままの姿ではありません」
「成る程。確かに君は人間の姿ですね」
「はい。私は、王国の人間に似せて製造されました」
「しかしタコに似ている、と。いまいち想像できませんね」
「申し訳ありません。当時の記録は、損傷しており閲覧できません」
「ああ、いえ。少し気になっただけなのでお気遣いなく」
奇妙な会話を聞く者は水槽の中にだけ。
堂々と話し続けながら、二人は並んで歩き出す。
「機嫌が良さそうですね」
「ここは、王国を連想する生物が多く、懐かしい感覚になりますから」
宇美の東欧系の顔立ちには、微笑。
深い青の瞳とナチュラルブロンドの長髪が淡い照明を受け、幻想的に見えた。
一見すれば他人が羨ましがるような美人とのデート。
だがそんなものではない事を、秋水は正確に把握していた。
宇美の視線は、水槽だけでなく他の客にも向けられている。注視して、観察していた。特に男女の二人組みを。
例えば、エイの水槽前にいた二十代程の男女。
「カタナにはエイの皮を使うんですって。ねえ、クルエモンのカタナもそうなの?」
「ユーエリ嬢の頼みなら是非とも応えたいところだけど、生憎ボクは侍でも忍者でもなくてね。刀なんて持ってないのさ」
「ふふ、分かってるわ。世を忍ぶ仮の姿は簡単には明かせないのよね!」
他にも、通路を進む十代後半程の男女。
「シスイ、ここは見通しが悪い。安全が確保できるまで下がるんだ!」
「もう、ブレードったら。ここは危険な場所ではありませんのよ。もう少し落ち着いてくださいまし」
「そうなのか? 済まない。以後善処する」
それぞれを食い入るように見ていた宇美は、不安げに呟いた。
「……私は、あの方々のようにキチンとデートができているでしょうか」
「……どうでしょう。参考になりますか? 特殊なケースのように思えますが」
「私は、早く学習しなければならないのです」
「……でしたらよく見ておくべきでしょうね」
秋水の声は疑念から自嘲の響きへと変化する。
彼らには笑顔があり、楽しんでいる。
どれだけ特殊であろうと、こんな無愛想な自分達よりはまともに決まっていた。
なにしろ自分達は殺し屋とアンドロイドのデートである。質の悪い喜劇でしかなかった。
絹傘秋水は修理屋であり、そして雨の日だけは殺し屋でもあった。
宇美との出会いも、殺害依頼を受けての接触だった。
だが失敗した。
人肌ならざる金属にナイフを阻まれ、人間とは思えない腕力によって制圧されたのだ。
「貴方は、通り魔でしょうか。通報するのが人間の繁栄の為になりますね。いいえ、その前に私の記憶を消しておきましょう」
少しの混乱の後には、諦念。濡れた路面で、後悔も悲嘆もないまま秋水は断罪を覚悟する。
だが、彼は唐突に解放された。
「……私は、不要と判断されたのでしょうか」
対象の彼女はなにやらショックを受けていた。
今の内にナイフ以外の手段でなら殺せるか、あるいは逃げるかと考えつつも、未だ動けない。
だから彼女の語りを聞く事となった。
彼女は、一万年以上前に存在した古代文明で人間の繁栄の為に製造されたアンドロイドなのだと言ってのけた。
だから殺害を望まれたという事実が己の存在意義を否定し、深刻なエラーが生じているのだと。
秋水としては理解できない冗談の羅列としか思えない。
だが、状況的に事実だと納得するしかなかった。
それに、妙な共感を持ち始めていた。
秋水も幼少期、親に放置されていた。親に不要と判断されたのだ。
そして感情が薄く、愛情も知らず、アンドロイドのようなものだろう。
それでも同情はしない。依頼は失敗できないと引き続き殺す機を窺おうとしたが、それも止められた。
宇美が殺し屋組織と依頼者の記憶を改ざんし、依頼そのものをなかった事にしてしまったという。
実際正式に依頼をキャンセルされたと組織から連絡が来たので、秋水は戸惑いつつも従うしかない。
「提案があります」
が、次の発言には更に困惑させられた。
「私が、人間の恋愛について学習する事に協力してください」
記憶改ざんの際に知った依頼の原因は、痴情のもつれ。彼氏の浮気相手に恨まれたらしい。
人間の繁栄が使命である以上、もう失敗は繰り返したくない。
故に恋愛感情を知る必要があると判断したようだ。
理屈は理解しつつも、秋水は断りたかった。
「他の人間にした方が良いのではないですか?」
「秘密の共有は、恋愛において有効な要素のようです」
殺し屋とその罪を公にされては困る。
彼女もアンドロイドである事は隠しているらしい。
互いに秘密を握っている。
とはいえ記憶の改ざんがある以上、一方的な脅迫に近い。
秋水に選択の余地はなく、デートの約束を交わすしかなかったのだ。
二人は水族館を一通り見て回ると、お土産スペースへ。
宇美はキーホルダーやフィギュアなどの小物を物色している。
無数にある品々から選ぶ事を、彼女は楽しんでいるように見えた。
だから秋水は素朴な疑問として尋ねる。
「それが好きという感情なのでは?」
質問すれば、素早くこちらを振り向かれる。
小さな驚きが宇美の顔にはあった。
「私は、確かに海の生き物の小物が好きで集めています。しかし恋愛感情の好きとはどう違うのでしょう?」
「どちらも似たようなものでしょう」
「……参考になる可能性があります。貴方は、何か好きなものはありますか」
反射的に何もない、と答えようとしたところ、自宅での自分を思い出す。
「サボテンの栽培を趣味にしています」
「それは、何故ですか」
「手間がかからないと思ったからです。思った程楽ではありませんでしたが、続けている内に愛着が湧いたようです」
答えながら、自己分析に驚く。
他人はともかく、サボテンは好きであると言えるだろう。今まで気付かなかったが、自分の中にもそんな感情があったらしい。
興味を持ち、調べ、知り、時間を過ごす内に愛着を持つ。その流れは知識にある恋愛と同じではないか。
「やはり同じでしょう。物に対する好きを、そのまま人に向ければいいだけです」
「貴重な意見を、ありがとうございます。しかしその感情をこちらに向けられた場合は、どうすればいいのでしょうか?」
「だから同じですよ。買うキーホルダーとそれ以外を選り分けるように、受け入れるか断れば判断すればいいんです」
秋水も宇美も、淡々と言葉を交え続ける。
お土産スペースで議論は静かに熱を持っていた。
「……一理あります。しかし人間の要請を断る事は、私の存在意義に反します」
「全ての人間を同時に幸福にする事は不可能です。どうしても得する者と損する者に分かれてしまいます。誰かの要請を拒否する事が他者の利益になるのならば、君の存在意義にも反しはしないでしょう」
「私も、繁栄の対象を選別し、それ以外を切り捨てる必要があるのですか」
「でなければまた恨みを買いかねません。人間全体か、特定の人間か、そしてどの人間か。人間は比較し、より良い方を選択し、一部だけを優先するものです」
二人はしばし無言となった。館内放送だけが陽気に響く。
宇美は多数のキーホルダーの間で視線を
「人間は、その不公平な判断基準をこそ、愛情と呼ぶのですね。……私に、真に理解できる日は来るのでしょうか」
何処か寂しげに遠くを見るような視線に、人工的な質感はなかった。
水族館の出口。降り続く雨の中、お土産の袋を抱えた宇美が淡々と言う。
「有意義な一日でした」
「はい。こちらとしても」
楽しかった、ではなく意義があった。
完全にデートではなく情報収集と意見交換の感想だった。
そして有意義であった以上、宇美は当然のように次の提案をしてくる。
「次は、植物園でサボテンを見るのはどうでしょうか」
その提案は意外ではあったが、人間の為に存在しているという宇美らしい。
無意識に秋水の口角は上がっていた。
「お気遣いありがとうございます。しかし、想像してみましたが、私としてはサボテンは小さな鉢に収まる方が好きなようです。次もこの水族館がいいと思います」
「了承しました」
二人は約束を交わした。表面上だけは、まるで恋人同士のように。
宇美と別れ、雨の中、傘を差して帰り道を行く秋水は考える。
何故ああも饒舌だった?
まさか自分も恋愛に興味があるとでもいうのか。
困惑したが、すぐに答えを出す。
殺し屋稼業と同じだ。自我が薄いから、周りに流されて従っているだけ。
請われるまま人間の為に行動する宇美とも同じだった。
ただそれだけ。
共感と愛着はあれど、好いてはいない。
確かに、全くの赤の他人と比較すれば、宇美の方が好ましいと言えるだろう。
仮に、もう一度殺害を依頼されたとしたら、躊躇なく受ける。実現可能かどうかはともかく、それが殺し屋だ。
だからこそ彼は、今後は彼女を殺害する依頼がないだろう事に、安心していた。
明日の天気は晴れの予報である。
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【本文の文字数:3,771字】
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