【No.023】過去も全て抱きしめて(一ノ瀬 隆俊/小清水 真理子)
【メインCP:男10.
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しゃらん、と細い鎖どうしが擦れあう音がして、男性の胸元からネックレスがこぼれ出た。鎖の先に金具が付き、指輪をネックレスにできるアクセサリ、リングホルダーネックレスだ。
「あら、綺麗なリングね」
男性の隣に座る女性が表情を変えずに言う。
男性は曖昧に笑ってリングを掬い、シャツの胸元に滑り込ませた。
シンプルなシャツとジーンズが細身だが筋肉質な体をより際立たせている。
隣の女性は、質のいいスーツを着こなしている。
整った顔立ちをしているが、あまり感情が表に出ないタイプの美人だった。
「やっぱりシメのお店もいろいろ行きたくなっちゃうわね」
男女の前には、一杯ずつの麺物が並んでいた。
女性が勢いよく麺を啜る。
「あああ、美味しい。この一杯のために生きてるって気がするわ」
「小清水さん、それ店で一杯目のカクテルに口を付けたときも言ってたよな」
くくっと男性が笑う。
男性は、あまり表情を変えないこの女性が、美味しいものに息を吐く様子を見るのが好きだった。
「あら、そうだったかしら。
取り繕う女性を見て、また男性の笑いが漏れる。
ここはホテル街の中ほどにあるラーメン屋。
バーテンダーの
「そんなことないさ。あの時の小清水さんの言い方が可愛くてな」
「またそんな適当なことを」
二人は、たまに食事を共にしていた。
「でも、ホテル街のラーメン屋に連れて来られるとは思わなかったよ」
まだ、おさまらない笑いをひきずりながら、一ノ瀬は言う。
「そうね、場所が場所だもの、部下を連れてくるわけにはいかないし。一ノ瀬さんが付き合ってくれてよかったわ」
無難に返しながら、真理子は思う。
今日の一ノ瀬はどことなく元気がないように見えたのだ。
でも、自分達はバーテンと客。たまに食事に行く間柄とは言え、どこまで踏み込んでいいものか……。
たわいのない話をしながらラーメンを食べ切った二人は揃って店を出た。
ホテル街を抜け、川沿いの道を歩く。
歩きながら、ぽつり、と一ノ瀬が言葉をこぼした。
「昨日、妻の命日だったんですよ」
「ああ、それでお休みしていたのね」
一ノ瀬には数年前に死に別れた妻がいた。
ラーメンを食べようとした一ノ瀬の首元からこぼれたリングホルダーネックレスは、死別した妻との結婚指輪だと、真理子は知っている。
「……妻の墓のことを妻の親族にお願いしに行ってきたんだ」
「そうだったの」
「これまでのことを感謝されたよ。月命日に欠かさず来てくれて、妻も浮かばれるだろう、と」
近隣の店は営業を終えており、住宅もない。
街頭以外に光のない中、二人は並んで歩いていた。
「そんな、感謝されるようなことなんて何もないのにな」
「……優しい方々なんですね、親戚の方々」
月のない、静かな夜だった。
ホテル街の方から時折、声が届くくらいで、二人の声以外はほとんど聞こえなかった。
「だから、もうこれも手離そうと思うんだ」
「え……?」
一ノ瀬は自分の首元に手を添えた。
そこには、リングホルダーネックレスが鈍く光っていた。
「それって、奥様との――」
「ああ。でも、もういいんだ」
一ノ瀬が手に力を込める。
鎖の引きちぎれる音がした。
川に向かい、一ノ瀬が振りかぶる。
「だめよ!!」
考えるより体が先に動いていた。
一ノ瀬の手にしがみついて真理子は言った。
「一ノ瀬さん落ち着いて。一旦、落ち着いて」
一ノ瀬の手は震えていた。
震える一ノ瀬の手を抱きしめなおして真理子は続ける。
「本当に? 本当に手離さないといけないものなの?」
一ノ瀬は唇を嚙み締めた。
「ああ、前に進むには手元に残しておけないんだ」
「そう、未来を……考えたくなったのね」
「……そうだな」
一ノ瀬の手にしがみついたまま真理子は言う。
「なら……、これは私が預かるというのはどうかしら?」
「は?」
一ノ瀬は瞠目した。
「預かる? これを? 小清水さんが?」
「ええ」
真理子は答えた。
「一ノ瀬さんは前に進みたい。私は一ノ瀬さんが過去を無理やり捨てるのを見てられない。とてもいい解決策だと思わない? ね?」
ね? じゃない。
冷静に考えればとんでもない提案だった。
バーテンと客の間柄での提案として失礼過ぎる。
ただ、真理子は必死だった。
「小清水さん、本気ですか?」
「ええ勿論、一ノ瀬さんさえよければ」
一ノ瀬の手の震えは止まっていた。
二人、見つめ合う。
そして。
くくっと一ノ瀬が笑った。
笑いの波は次第に大きくなり、とうとう一ノ瀬は腹を抱えて笑い出した。
「一ノ瀬さん……?」
真夜中の川辺の道に一ノ瀬の笑い声が響く。
そんな一ノ瀬を、真理子は呆気にとられて見ていた。
一ノ瀬の手を離すに離せないまま。
たっぷり数分笑った後、一ノ瀬は真理子に言った。
「真理子さん、お人好しだってよく言われませんか?」
「うーん、どうかしら。たまに言われる気はするけど」
「ふ、だよなあ。くくっ」
また一ノ瀬の笑いのツボに嵌ったらしい。
「一ノ瀬さん、そんなに笑って。流石に失礼じゃない?」
「あー、ははっ、すまん、止まら、ひぃ、くて、ほんとすまん、くくっ」
「えー、もう。本当に失礼だわ」
ひとしきり笑い、落ち着いた後、一ノ瀬は真理子に言った。
「真理子さん、カラオケ好きって言ってましたよね。次の休み一緒に行きませんか」
「へ?」
「これ、預かってくれるんでしょ? お礼したいですし、預かってもらうんだから、もっと親しくなりたいなー、なんて」
ニカッと歯を見せて一ノ瀬が笑う。
お店で真理子が感じた元気のなさは完全になくなっていた。
「う、うん、わかっ……た」
落ち着くのよ、真理子。一ノ瀬さんは感謝の気持ちで誘っているだけなんだから!
そう、心の中で唱えながら、真理子は目を白黒させた。
真理子が掴んでいた一ノ瀬の手は、いつの間にか真理子の手を包んでいた。
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【本文の文字数:2,353字】
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