第66話 神算鬼謀(1)
景虎は,対北条,対武田の策を練るために真田幸綱を春日山城に呼び寄せていた。
河越の戦いで北条の勢力を削り退けた後,北条は表立って戦を仕掛けてはいないものの,いつまでも北条がおとなしくしているはずも無いため,早急に体制を整える必要を感じていたためである。
景虎と真田幸綱のいる部屋に軒猿衆の猿倉宗弦も呼ばれてきた。
「宗弦。関東の情勢を聞かせてくれ」
「承知しました。現在北条家は河越の敗北後から無理な戦いを控え,勢力の立て直しを図り,対外的には調略を主体にした動きを見せております」
「調略か」
「特に古河公方様に対して、北条家の影響力を増そうと画策しております」
「古河公方様,確か継室は北条氏綱の娘であったな」
「はい,名は芳春院殿でございます」
「北条は古河公方様にどのような働き掛けをしている」
「継室である芳春院殿を正室に格上げさせ,古河公方様と芳春院殿との間に生まれた子である梅千代王丸を次の古河公方にするように口出しをしております」
「河越の戦いで関東管領殿の勝利で,古河公方家の次の後継者は嫡男の藤氏殿に決まったはずだ」
「どうやら北条氏綱が娘を継室に入れる際に男子が生まれたら古河公方の家督を継がせると事を条件にしていたようです。そこで藤氏殿を後継者にするなら梅千代王丸と芳春院殿を返せと言い始めています」
「北条に渡せるはずがないだろう。北条に二人を渡せば古河公方家を滅した後、北条の権威付けのために,鎌倉の地で元服させ勝手に鎌倉公方を名乗らせる可能性がある。さらに北条家は自ら擁立した鎌倉公方に、北条家を新たな関東管領に指名させる恐れがある。その様なことになれば最悪だぞ」
鎌倉公方とは,その昔,足利将軍家が関東10ヵ国を支配統治するため設置した鎌倉府の長官を指しており,通常は鎌倉殿と呼ばれていた。ただ,正式な役職ではなく将軍の一時的な代理人に過ぎず,幕府と対立したことですでに鎌倉府は消滅していた。
鎌倉公方の補佐が関東管領であり,古河公方は鎌倉公方の血脈を受け継いだ存在である。
古河公方は関東の諸大名からは鎌倉公方の嫡流とみなされていて,関東の地では鎌倉府と鎌倉公方亡き後,古河公方を頂点にする統治体制が出来上がっていた。
「古河公方様もその事を懸念しておられる様です」
「関東の安定のためには北条の動きは邪魔だ。だが,憲政殿だけに任せておけば,再び北条が盛り返して関東が北条の草刈場になってしまう」
「さらに忍城の成田長泰が北条へと鞍替えして,勢力的に扇谷上杉家の家臣達を北条へ寝返らせようと動いているようです。そのために北条の調略に応じる者も徐々に出てきています」
「山内上杉家の家臣でありながら北条に手を貸すとは,急ぎ何らかの手立てを講じなければならんな」
景虎が考え込んでいると真田幸綱が口を開く。
「景虎様」
「幸綱,どうした」
「まずは次の古河公方と言われている足利藤氏殿の権威を高めて,北条が手出しできない様にするのが早いかと」
「権威を高めるとは」
「将軍様より、次の正式な古河公方は藤氏殿であるとの宣下を賜ることで、権威を高めることが早道かと」
「ならば,京にいる神余達に命じて上様にお願いしよう」
「それが成功したなら,梅千代王丸殿を密かに当家で預かることがよろしいでしょう。北条が古河公方様の家督を奪うための駒がなければどうにもなりません。関東の地に置いておけば北条がが必ず利用しようとするはず」
「そもそも北条が黙っていないだろう。梅千代王丸も素直に来るとは思えんぞ」
「ダメもとで複数ある策の一つとして行えば良いのです。北条を抑えるためには複数の策をいくつも打っておくことが重要でございます」
「分かった。上様から藤氏殿に宣下が出たら提案してみよう」
「それと北条は調略での切り崩しに重点を置き動いていますが,ある程度切り崩しに成功したら一気に関東管領上杉憲政殿の居城平井城を攻める腹づもりの様です」
「権威だけでは無く,実際に北条の力も削がねばならんか」
景虎は生まれ変わる前の時代に,駿河の今川家,甲斐の武田家,相模の北条家で三国同盟を結んだことを思い返していた。
確か今年の夏を過ぎたあたりから,三家でそれぞれ婚姻を結び絆を強める政策が取られることになる。
ただ,子供の年齢が幼過ぎたり病で亡くなったりして,すぐにうまくいくことはなかったはずだが,その結果それぞれ背後を気にせずに前面に力を注げる事となり,それぞれの躍進につながったことも事実だと考えていた。
「北条が関東に勢力を注げるのは,背後の今川家との関係をとりあえず収めたためだ。河越の戦いのおり,北条が今川と争っていた駿河国東河東の地を今川に渡し,全軍を関東に振り向けていた。我らの打つ手立てが一手でも間違えていたら関東管領殿の軍勢は総崩れであった。北条と今川との関係はいまのところ良好であろう」
「はい,今川と北条の関係はいまのところ表向きは良好でございます」
「武田はどうだ」
「武田は今川とは良好,北条とは少々ギクシャクしておりますが,武田晴信は北条と良好な関係を築くことを目指している様です」
「ならばその関係を完全にぶち壊す必要がある」
「今川・北条・武田の関係を悪化させるということでしょうか」
「そうだ。武田と北条の力を削ぐにはそれが一番いいだろう。そもそも北条は伊勢家であり,今川家の縁戚であり家臣にすぎん存在だった。それが勝手に周辺の領地を削り取り独立。表向きは良好な関係であっても,今川家からしたら内心は面白くなかろう。武田も時々北条と国境で揉めている。北条も隙あらば今川に渡した東河東を取り戻したいと考えているだろう。そこを突いていくことが必要だな」
元々北条家は足利幕府の重臣伊勢家である。
北条家初代早雲の姉が今川家に嫁ぎ今川義忠の正室となったことから,今川家の危機のたびに今川家の武将として早雲が軍勢を率いて戦い,しだいに勢力を拡大し伊豆を切り取り相模へと勢力を拡大させ独立した勢力となったのだ。
「ならばこの件に関して,この真田幸綱にお任せください」
「幸綱。どうするつもりだ」
「今川家には北条家が再び東河東の地を奪い返す事を考えていると思わせ,北条には今川が密かに次は伊豆を狙っていると思わせ,武田と北条には国境の土豪たちの争いを焚き付けましょう」
「よかろう。この件は幸綱に任せよう。必要な資金は用意してやろう。手勢が必要であれば申せ」
「子飼の忍び達も増えておりますので我が手勢で十分でございます。お任せください」
「分かった。存分にやれ。儂の方は関東管領殿の直接の支援を考えよう」
対北条,対武田に向けて景虎と真田幸綱が動き出そうとしていた。
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