第67話 神算鬼謀(2)

月が見えない新月の夜。

時々,南からの風が強く吹いていた。

そんな闇夜の中を走る男達がいた。

人数は八十人ほどであろうか,全員が顔に黒い布を巻き顔を隠し,ある者は背中に刀を背負い,ある者は刀を腰に差している。

やがて男達は今川義元が支配する駿河国東河東にあるとある城の近くまできた。

雑木林に潜み城の様子を見る。

深夜であり風も強いためか城門周辺には見張りはいない。

慎重に周囲に見張りがいないことを確認すると,数人が軽々と土塀を乗り越え城の中に入る。

土塀を乗り越えた男達は素早く周囲を確認。

城内からは誰も出てくる様子は無い。

強い風が全ての音を隠してくれる。

城内に忍び込んだ男達は城門に向かう。城門にたどり着くやすぐに閂を外し,城門を人が通れるほど開く。

しばらくすると開いた城門から外の男達が何も喋らずに中へと入ってくる。

事前に全て打ち合わせ済みなのか,会話をすることも無く,それぞれの持ち場へと向かっていく。

城内を知り尽くしたかのように誰も迷うこともなく指示された持ち場へ向かう。

そして男達が一斉に用意してきた油を撒いていく。

その男達を指揮する男は常に周辺の様子に気を配っていた。

そこに一人が近づいていく。

「風介様,全て終わりました」

「すぐに火を放て,火を放ったらすぐに退去する」

「はっ,承知」

男達は火を放つとあっという間に火の手が上がり,風に煽られより一層強く燃え上がる。

男達は一斉に城から出ていく。

男達が城から出ると同時に城内からは火事を知らせる声が聞こえてきた。


「火事だ!!!」

「火を消せ,早くしろ」

「急げ!!!」


強い風に煽られた火は,瞬く間に燃えひろがり城を覆い尽くすほどの火勢となり,火を消すことはもはや誰の目にも不可能なほどになっていた。

男達はやがて夜の闇へと姿を消していった。


ーーーーー


駿河国今川館では,東海一の弓取りと言われる今川義元がイラついていた。

今川領と北条領との境であり,北条から割譲された東河東の地で城や砦に火災が相次いでいて,さらに河東の地で略奪が続いていたからである。

「一体どうなっているのだ。また,城が燃えただと」

怒りの声をあげ太原雪斎を見る。

「どうやら火災の原因は放火の様ですな」

「放火だと」

「はい,不自然なほどに火の回り方が早く,そして油の匂いがしていたとの証言もございます」

「誰がその様なことを・・・火をつけた者は分からんのか」

「誰一人として捕まえることができておりません。かなりの人数でしかも組織だった動きをしておるかと思われます。さらにかなりの手だれの集団かと思われます」

「この様なことに慣れた者達だというのか」

「どこまで本当なのか分かりませんが,噂では北条」

「噂か」

今川義元は怪訝な表情をする。

「単なる噂でございます」

「噂の元は」

「いくつかございます。深夜,北条側から河東の地へ集団で侵入をしてくる者達がいたとか。北条氏康が密かに東河東を奪い返したいと言っているとか。まあ,確たる証拠は何もございません。全ては噂に過ぎません。これで北条側に文句を言っても,証拠を出せと言われ笑われて終わりでしょう」

「地震の影響や河越での敗戦で北条は領国運営に苦労しているはずだ。いま,戦いどころではないはずだぞ」

「天文18年の大地震が原因で領民や農民達が大量に他国へ逃亡しております。大地震で被害を受けたにもかかわらず年貢はそのままにしておいたら,農民や領民が次から次と逃亡。慌てて昨年になり年貢の軽減や免除を行うために徳政令を発令したばかりですな」

「その様な状況では戦の余裕は無かろう」

「だからこそとも言えます」

「苦しいからこそ略奪か」

「北条氏康の指示があるのかは分かりませんが,土豪たちや領民が勝手に動いている可能性もございます。そして,城が燃やされた地域では略奪が相次いでおります。東河東の城が燃えた話しが今川領内に広がり,さらに今なら略奪し放題だとの噂まで広まり,その噂を聞いた北条側の領民達が大挙して東河東で略奪を働いております」

「誰がそのような話しを広めているのだ」

「噂が流れれば防ぎ用がありません。人の口に戸は建てられませんから」

「このまま放置もできん。すぐに東河東に兵3千を入れ警戒させよ。相手が誰であろうと再び,放火や略奪を許すな」

「北条が我らが伊豆を狙って兵を用意していると難癖をつけてくるかもしれませんぞ」

「こちらは東河東の治安維持の為だけだと言っておけ,それで攻めてくるなら返り討ちにして伊豆を切り取ってやればいい。そもそも今川の家臣であったにもかかわらず儂の風上に立とうなどとは片腹痛いことよ」

「北条も我らに東河東を割譲したのは河越で勝つため。しかし結果は大敗。何のために割譲したのか・・無意味であり取り返したいと考えても不思議ではないでしょう。さらに北条には風魔という飼い犬がおります。元々は野盗だった連中と言われております。奴らなら可能性はあるでしょう」

「野良犬を飼い慣らして何を企んでおるやら,三河の蹴りがついたら組む相手を考え直す必要があるかもしれん」

「同盟相手でございますな」

「そうだ。越後上杉も考えておいてもいいかもしれん。越後上杉と同盟を組むことで越後上杉が使う火縄銃が安く手に入るなら,越後上杉と同盟を組み相模と伊豆を手に入れることも考えておく必要があるぞ」

「同盟相手の天秤に越後上杉を加えておくということでよろしいですな」

「武田晴信と北条氏康。我らの期待に添えぬなら越後上杉と組んで挟み撃ちにして葬り,そっくり貰い受けるだけだ。雪斎,今のうちから対策をしておけ」

「承知いたしました」

今川義元に頭を下げた太原雪斎は笑みを浮かべていた。


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