第65話 水の如し

雪解けの季節となり春まだ浅い季節に春日山城に越後国衆の子弟が順次やってきていた。

景虎から越後国衆に対して、子弟を順次義心館へ入学させるように命令が出ていたからである。

そして春日山城の広間にいる景虎の目の前には二人の少年がいた。

「本庄繁長と申します」

新発田長敦しばたながあつと申します」

本庄繁長は十歳で千代猪丸が元服した名である。

繁長は景虎との約束通り仇を討つことができたため、景虎に仕えるために春日山城へ出仕してきていた。

新発田長敦は十二歳になる揚北の新発田家の嫡男。

ちなみに弟は、上杉景勝の時代に謀反を起こす新発田重家である。

どちらも揚北衆と呼ばれる越後国北部の有力国衆の嫡男であり、将来七手組大将となり景虎を支えることになる人物である。

「よくぞ、この春日山まできてくれた」

「新発田長敦、本日より景虎様にお仕えいたします」

「本庄繁長、本日より景虎様にお仕えいたします」

「越後府中には国衆の子弟が続々と集まってきている。よく学び、競い合い、己を磨くことだ」

「「はっ、お役に立てるように研鑽に励ます」」

「うむ、期待しているぞ。お前たちに与える屋敷は用意してある。後で案内させよう」

景虎は、揚北衆がこちらの意向に従わない傾向が強いのは、独立心が旺盛なだけでは無く、危機感の共有ができていないこともあると考えていた。

越後府中から見た危機感の対象は、信濃国や越中国が強い。それに対して越後北部である揚北から見た危機感の対象は、出羽国や会津・奥州が対象であり、越後府中の危機感に対して鈍いのが現状であった。

このズレを解消するために国衆の子弟をここ越後府中に集め、義心館で共に学び汗を流すことで、危機感の共有と忠誠心を持たせることが最大の狙いであった。


「景虎様」

「長敦。如何した」

「ひとつお聞きしたいことがあるのですが」

「聞きたいことがあれば何でも聞くがいい」

「景虎様の直属旗本である赤龍衆は、いったいどれほどいるのですか」

「今は確か少し増えて2万5千ほどになるか」

「2万5千・・・」

「そうは言っても信濃国で警戒のため常駐しているものもいるし、越後領内で普請工事に入っているものもいる。半刻(1時間)以内に動かせるのは1万ほどにすぎん」

「半刻以内に1万も動員できるのですか!」

「可能だ」

新発田長敦と本庄繁長は半刻で1万の軍勢を招集できると聞かされ驚きの表情をする。

「半刻で1万もの軍勢を集められる大名は、景虎様以外にはおられないでしょう」

「日本は広い。他ににもそんな大名がいるかもしれんぞ」


「景虎様」

「繁長。どうした」

「景虎様のお力で仇を打つことができました。ありがとうございます」

「それはお主の持つ不屈の強さで掴み取ったものだ。誇っていいぞ」

「景虎様に愚者となれと言われ、その日よりひたすら愚者となり、時を待ちました」

「愚者となり、耐えた分だけお主は磨かれたのだ。お主達は越後一の武将と呼ばれるように精進せよ。お主達もやがて領地を継いで一端の領主となる。力が全てではなく、ときには多くの者達に恵みを与え、ときには無理な争いなどをせず、水のように器に従って形を変えて、あえて自分を低く置くことも必要だと思え」

「「はい、景虎様のお言葉を胸に刻み精進いたします」」

新発田長敦と本庄繁長は景虎に忠節を誓い下がっていった。




二人が出ていくと入れ違いで直江実綱が入ってきた。

「景虎様」

「実綱か、如何した」

「若松屋が来ております」

「若松屋?・・ああ・・川上主水義光のことか、わざわざ若松屋の屋号を作らずともよかろうに。これでは領主なのか酒の蔵元なのか分からんな。わかったここへ」

「承知いたしました」


若松屋とは古志郡にある酒の蔵元である。

景虎が栃尾城に入った頃に酒を造り始めた蔵元だった。

しばらくすると若い実直そうな男が入ってきた。


「義光。元気そうだな」

「景虎様。お久しぶりでございます」

「古志郡の摂田屋からわざわざすまんな」

「景虎様にお召し上がりいただく酒をお持ちすることは何の苦にもなりませぬ。それどころかとても名誉なことでございます」


若松屋の創業者は川上主水義光と言い、良質の水の湧く古志郡摂田屋に蔵元を構え、そこから湧く水をこよなく愛し酒を作り続けていくことになる。

同時に川上主水義光は、摂田屋地域の統治を任された武士であり城主でもあった。

摂田屋とは、古くは寺領であり、旅人達や修験者らの休憩場所であり,宿泊できる場所という意味を表す接待村という言葉から出ており、接待屋、摂待屋とも書くことがある。


「しかし、お主も物好きよな。わざわざ屋号まで作らずともよかろうに」

「余った米で酒を作ってみたらことのほか上手くできまして、そこからは美味い酒が作ることが面白くて、とうとう屋号まで作ってしまいました」

「まあ、よかろう。城主としての役目を果たした上で、美味い酒を作るのなら文句は言わん」

「ありがとうございます。景虎様に満足していただける酒を作り続けて参りたいと思っております」

「そうか。冬の雪がなければお主の造った出来立ての酒がすぐに飲めるものを」

「冬の雪があるからこそ良き酒ができるとも言えますので必ずしも悪いことではございません。雪があるからこそ良き水が得られます」

「なるほどな、雪があるから良き水がある。良き水があるから良き酒ができるか。此度の出来はどうだ」

「此度も良き酒でございます」

「若松屋の酒は水のようにいくらでも飲める。誠に美味い酒だ。美味すぎて飲みすぎるから実綱や朝信によく小言を言われてしまう。実に困ったものだ」

「そう申される直江様や斎藤様もかなりの酒豪でございます」

「あの二人は儂以上に飲む癖に儂に対して小言ばかり言うのだ。本当に困ったものだ」

「それは景虎様を心配されてのこと」

「若松屋!お主の作る酒が美味すぎるせいかもしれんな」

「美味すぎて申し訳ございません。さらに一層美味い酒をお作りいたします」

「ハハハハ・・・実綱と朝信の小言を覚悟するか」

「すでに蔵に収めておきましたので、晴景様と共にお召し上がりください」

「義光の作る酒は、兄上もお気に入りだ。喜ぶであろう」


景虎は、美味い酒が手に入り上機嫌であった。

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