第64話 心配の種は尽きない
秋の終わりが近くなり、再び冬の季節が迫ってきていた。
領内は昨年を上回る豊作に沸いてる。
新田開発と河川改修工事のおかげであった。
そして村々の荒地に植えたじゃがたら芋も、昨年を上回る量が植えられ大豊作となっている。
人々が喜びに沸くが季節は止まること無く進んで行く。
空はどんよりと曇り空のままとなって、日に日に風は冷たくなって来ている。
春日山城から見える山々は色とりどりの紅葉に彩られていた。
景虎は、このままなら1ヶ月もしたら初雪かもしれないと考えていた。
歴史通りに行けば、この冬に兄の晴景が死ぬことになる。
時期で言えば来年の2月。
その運命を変えるために名医曲直瀬道三に助けを求め、さらに弟子を育成してもらい、その弟子たちである腕の良い医師を兄に張り付けていた。
だが、まだ不安であった。それは、この越後国の冬の寒さ。
寒さは病弱な体に大敵だ。
この頃の日本の暖房器具は火鉢や囲炉裏ぐらいであった。
しかし、部屋を火鉢だらけにする訳にもいかず頭を悩ませている。
以前、商売で他国(日本国内)に行く蔵田五郎左衛門なら何か知っているかもしれないと思い、何か良い方法はないか聞いてみたが特に目新しい話はなかった。
景虎は部屋の中で小さな火鉢で手を温めながら考え込んでいた。
「兄上に怒られるかもしれんが火鉢を増やすか」
兄・晴景の周りに大量の火鉢を置くことを真剣に考え始めていた。
たとえ怒られてもやるしかない。そんな気持ちになっていた景虎を呼ぶ声がした。
「景虎様」
斎藤朝信がやって来た。
「どうした」
「蔵田五郎左衛門殿が御目通りを願っております」
「五郎左衛門。堺から戻ったのか、かまわんここに呼べ」
しばらくすると蔵田五郎左衛門が入ってきた。
「景虎様。堺より戻りました」
「商売熱心だな。堺はどうであった」
「堺で面白い話を聞きました」
「面白い話?」
「明国の話でございます」
「明国のどんな話だ」
「以前景虎様から部屋をもっと暖かくする手立てはないかと聞かれました。そこで堺に出向いたときに堺の商人に聞いてみたところ、明国では部屋の床を温めることで部屋全体を温める方法があるそうです」
「床を温めるだと・・もう少し詳しく聞かせてくれ」
「明国の北の地域に多いと聞きました。文字で
中国では火炕と呼ばれる床暖房は、紀元前の遺跡からも出て来ている古くからある暖房方法であった。
「ほぉ〜、それはどのように行うのだ」
「小さな家であれば、煮炊きのかまどのを利用してその煙や熱を床下に流して温めるそうです。当然、床下に流しても煙などが部屋に入り込まないようにいたします。これが非常に暖かいと聞きました」
「屋敷となれば、専用のかまどが必要ということだな」
「はい、ですが試してみる価値はあるかと思います」
「作り方は分かるのか」
「堺で明国からやってきた陶芸職人に出会いました。その男が火炕にも詳しかったので、そのまま雇い入れて連れて参りました」
「ならば、一部屋作り替えて試してみよう。それでうまく行けば他の部屋もすぐに作り替える。すぐに取り掛かってくれ」
「承知いたしました」
数日して一部屋に床暖房である火炕が取り入れられた。
「これは暖かいな」
「想像以上でございますな」
景虎と蔵田五郎左衛門は、火炕の暖かさに驚いていた。
床に座り掌を床につけてその暖かさを直接感じている。
そこに話を聞きつけた晴景もやって来た。
「これは凄いな」
晴景も部屋に入るなりその暖かさに驚いている。
「兄上。どうです。これは良いと思いませんか」
晴景も景虎を真似て床に座り、手のひらで床の暖かさを感じ取っていた。
さらに思い切って床に寝転ぶ。
「これは良い。これは良いぞ。これほどの暖かさとは思わなかった。他の部屋にも入れたいな」
景虎も晴景を真似て床に寝転ぶ。
「これは良いですね。とても暖かいです。準備はできていますので、すぐにでも取り掛からせます」
「それはありがたいな」
景虎は、起き上がると兄の喜ぶ顔を見て、すぐに各部屋に火炕を取り入れるように指示を出した。
ーーーーー
天文20年二月末日。
景虎は寝ることが出来ずにいた。
兄・晴景に腕の良い医師を張り付け、明国の火炕を取り入れ、やれることはやった。
今のところ兄・晴景の体調に異変は無い。
今夜何事もなければ、兄・晴景の運命を変えることが出来たことになる。
しかし翌朝、元気な兄・晴景の顔を見るまでは油断は出来ない。
そんな緊張感から眠ることが出来ずにいた。
眠れずに一人部屋の中で考え込んでいると浮かんでくるのは、前世での兄の悲しそうな表情ばかりであった。
この運命を変えるためにここにいるんだと、自らに言い聞かせていると、やがて空が明るくなってきた。
景虎は意を決して立ち上がった。
自らの目で兄の様子を見に行くことを決めたからであった。
部屋を出ると冷たい空気に体全体が引き締まる。
ゆっくりと進んで行くと向こうから歩いてくる人物がいた。
「兄上」
「景虎。どうしたんだ。そんなに疲れた顔をして、寝ていないのか。具合が悪いならすぐに医師を呼ぼう」
「大・・大丈夫です」
「どうした。急に泣き出して」
景虎は、元気な晴景の姿を見たら安心して緊張の糸が切れ自然と涙が出てきた。
生まれ変わる前には,意に反して兄から家督を奪うようなことになり,病床で寂しそうな面影を見せながら失意のうちに亡くなっていった兄の面影。
そんな兄の面影を生涯に渡り忘れることができなかった。
無事に運命を乗り越えた兄を見て,心に残っていた兄へのわだかまりが淡雪が解けるように消えていったように思えた景虎であった。
「大・・大丈夫・・・大丈夫ですから」
「大丈夫じゃ無いだろう。無理するな。すぐに医者を呼ぶ。誰かいないか〜」
景虎の様子を訝りながらも心配する晴景であった。
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