第62話 風雲

景虎は、出羽国から来ていた安東愛季たちが乗った船が、直江津湊を出て行くことを見送っていた。

安東家が強くなり日本の北を抑えるほどになれば、景虎にとっても大いに助けになると判断して、多くの土産を与え、さらに檜山安東家が力をつけるために軍資金を与えて送り出していた。

「安東家の一行は旅立ったか」

いつの間にか兄・晴景が景虎の横にやって来ていた。

二人は並んで越後の海を見ている。

穏やかな日差しがさし、荒海と言われる越後の海は波が穏やかであった。

海からは心地よい潮風が頬を撫でている。

景虎は以前は大きく見えていた兄の背中が小さく感じるようになっていた。

「兄上。先ほど直江津湊を出港しました。あの船です」

景虎は北向かって徐々に小さくなっていく船を指さしていた。

「かなり優遇していたようだな」

「将来、安東は味方になり得る存在です」

「出羽国安東家が強くなれば、蝦夷との交易路の安定と奥州に圧力をかけることができるとの読みか」

「流石です。その通りです」

「そのために軍資金もくれてやったのか」

「安東が強く張れば、奥州にかかる圧力は無視できないものとなるでしょう」

「なるほど、確かに奥州の伊達や蘆名にかかる圧力が増えれば、奴らは越後にかまけてはいられんだろう」

「打てる手立ては全て打っておく。兄上が以前言っていた言葉です」

「遠交近攻の策だな」

「はい」

「そうか、そこまで考えて手立てを打てるようになれば、景虎はもう立派な越後国主だ」

「まだまだ兄上から学ばねばなりません」

「ハハハハ・・・教えることなんてもう無いぞ。景虎は思うままにやれば良い」

「まだまだです」

「遠交近攻の策に学校か、学問の力で越後国衆に忠義と仁そして義を教え込み、越後をまとめ上げる。儂には考え付かん策だ。義心館の準備はどうなっているのだ」

「すでに教えてくれる僧侶や公家衆は到着しております。各国衆の子弟も徐々に越後府中に集まってきています。近日中には講義を始められると思います」

「そうか、しかし学校とは遠大な試みだ」

「時間はかかるかもしれませんが、教えは確実にそれぞれの血肉となり、いつの日か良き結果をもたらすと思います」

「確かにその通りだな」

越後の海を見つめる二人を呼ぶ声がした。

「景虎様、晴景様」

「どうした宗弦」

景虎が振り返ると越後上杉家忍びの軒猿衆の猿倉宗弦であった。

「甲斐武田が動きました」

「甲斐武田が動いただと、小笠原長時の林城の情勢はどうなっている。持ち堪えているのか」

「いえ、武田が攻めたのは林城ではありません」

「何?小笠原長時の居城林城ではないと言うのか、ならば真田幸綱に任せている佐久郡か」

「甲斐武田が攻めたのは、小笠原長時の弟・小笠原信定が治める信濃国伊那郡の鈴岡城でございます」

「伊那郡だと」

「しかも、表向き武田が攻めたことになっておりません」

「武田が攻めたことになっていないだと、どうしてだ」

景虎は怪訝な表情を見せる。

「攻めたのは小笠原一族の分家であり、十六年前に同じ伊那郡にある松尾城を支配していた小笠原信貴でございます」

「小笠原の分家か」

「小笠原信貴は、十六年前小笠原長時によって信濃を追われ、甲斐国武田家に仕えております」

「ならば攻めたのは甲斐武田であろう」

「ところが甲斐武田は、小笠原信貴が自らの領地を奪い返すための戦いであり、武田家は一切関わっていないとの態度で小笠原長時に書状を送っております。ですが、軍勢の中に多くの武田家の国衆が小笠原の旗を掲げて参戦しております。実質的に武田による戦いと思われます」

「なるほど、あくまでも小笠原一族内での争いであり、武田は関係無いとの形を取っているのか」

「そのようです」

「小笠原長時殿の動きは」

「援軍を出そうとしたようですが、武田に阻まれております。どうやら小笠原信貴の伊那郡侵攻に合わせて、諏訪郡の守りを増やしたようです。林城の目と鼻の先にある村井城に3千の軍勢を送り込み、小笠原長時の動きを牽制。さらに佐久郡からの街道筋にも手勢を配置。時間稼ぎをしております」

「鈴岡城の情勢は」

「すでに落城。小笠原信定殿は脱出して林城に逃げ込んだそうです」

「すでに落城したのか」

「武田側はかなり入念に調略をかけていたようです。鈴岡城内から内応する者達が多数出て、武田の攻めを防ぎきれなかったようです」

「真田幸綱はどうしている」

「佐久郡と諏訪の境と佐久郡と甲斐国との境に軍勢を集め警戒しております。小笠原長時殿の動きに合わせようとしておりますが、武田側から使者が来て、これはあくまでも小笠原家の内紛であるとの言い分を言っており、景虎様の指示を仰ぐために間も無く真田殿から使者が来ると思います」

「相変わらず小賢しい真似ばかりする」

考えこむ景虎に晴景が声をかけた。

「景虎。これは我らからは迂闊に動けんぞ。武田は和睦を我らが破ったという大義名分を作るつもりだ」

「分かっております」

「今は耐えるしかない。小笠原長時殿の林城が攻められたなら動きようもあるが、武田はわざと林城を放っておいて伊那郡鈴岡城を攻めた。これでは動けんぞ」

「武田にしてやられたか」

「今は境を固め、これ以上戦いが広がらぬようにするしかないだろう」

「それしかありませんね」

景虎はそれぞれの境を固めるように指示を出し怒りに耐えるのであった。

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