第57話 千代猪丸
上杉景虎は、越後上杉家の名跡を継いだことを広く告知するために、春日山城に国衆を集ていたさなか、いまだ元服していない10歳の少年が景虎に呼ばれて春日山城にやって来た。
その少年は、幼なくともよく鍛えられており、勇猛な気性と言われていたが、なぜ自分が呼ばれたのかも分からず緊張していた。
案内役の景虎の小姓に案内され景虎の待つ別室へと向かっている。
その少年は
本庄家の家督は叔父である
千代猪丸が生まれる直前、千代猪丸の父・本庄房長は伊達家から越後上杉家への養子に反対であったため、同じ揚北衆で推進派の中条藤資に攻められる。
弟である小川長資から勧められるまま、盟友とも言える出羽国庄内の武藤氏のもとに逃れたら、弟の小川長資に居城を乗っ取られた。
弟に騙されたことを知って房長は怒りのあまり憤死していた。
その結果、生まれたばかりの千代猪丸には父の腹心だった一部の家臣以外何も無い状態となり、仕方なく謀反人である小川長資の後見を受けるしかなかったのである。
「景虎様。千代猪丸殿が間も無く参りますが、あの少年を何のために呼んだのですか」
直江実綱は疑問を口にする。
「実綱。これからの越後において、揚北衆をどう抑え込むのかが重要だ」
「あの少年がその鍵を握るとお考えですか。ですが本庄家を乗っ取られ、実権を叔父小川長資に握られてしまっております。さらに景虎様の越後国主と越後上杉家の名跡襲名の場で、小川長資をあのようにあからさまに睨んでいる様では、そのうちに事故や病気と見せかけ殺されますぞ」
直江実綱は、景虎の越後国主と越後上杉家名跡襲名を告げる場で、叔父小川長資を激しい憎悪の目で見ている千代猪丸を姿を見て、千代猪丸の将来を危惧していた。
「だからこそ我らに取り込める可能性があるのだ」
「ですが・・・」
「どうやら千代猪丸が来た様だ」
部屋の外から声がかかる。
「千代猪丸殿をお連れしました」
「入っていいぞ」
案内役の小姓に連れられた少年が入ってきて座った。
目の前にいるのは10歳の少年ではあるが勇猛との噂を聞いていた景虎は、その双眸に強い怒りの炎が点っているかのような強さを感じていた。
景虎からすれば、本庄繁長はとても困った武将であった。
鬼神とまで呼ばれた猛将であり、戦場であれば無類の強さを発揮する男であるが、独立心旺盛であるが故に敵の調略に簡単に乗ってしまった困った男なのだ。
景虎が生まれ変わる前に、本庄繁長は景虎に背いている。
越中国に景虎が出陣中、武田晴信に唆された本庄繁長が謀反を起こす。
上杉家有数の猛将であるため、景虎の配下の他の武将達では鎮圧できずに、景虎自ら鎮圧に乗り出すしかなく、慌てて越中国から戻り揚北へと鎮圧に向かった。
越中国にいて来るはずのない景虎の出陣に慌てた本庄繁長は、徹底的に時間稼ぎを始めて武田晴信の援軍を待つことにする。
しかし、いくら待っても武田の援軍は来ることが無かった。
困った本庄繁長は伊達輝宗に和睦の仲介を依頼。
その結果、伊達家からの仲介もあり本領安堵で和睦となり、再び景虎に仕えることとなった。
武田晴信はその隙をついて駿河を侵略。
結果として武田晴信に利用されただけであり、武田晴信に駿河侵略の余裕を与えてしまっただけであった。
後年、これが原因で織田信長からも調略しやすい相手とみられ、謀反の誘いをかけられることにもなるのである。
その為、景虎は生まれ変わった今回の人生で、同じ轍を踏む訳にはいかないと考えていた。
越後国内において揚北衆が最大のアキレス腱とも言えるのである。
独立心旺盛な揚北衆をどうやって抑え込むのか、その答えとして千代猪丸こと本庄繁長に、どの様にして忠誠心を持たせたうえで、配下に取り込むかにあると思っていた。
その為には、景虎の旗本常備軍の圧倒的な戦力と景虎の持つ圧倒的な財力を見せつけ、越後府中に住まわせ忠誠心を学ばせることで将来の禍根を断とうと考えていた。
「揚北衆本庄家千代猪丸。お召しにより参上いたしました」
「越後国国主上杉景虎である」
「突然のお召しですが如何なることでしょう」
いきなり春日山城に呼ばれたためか、警戒心丸出しで景虎の様子を伺っている。
「千代猪丸。なかなか勇猛と聞いている。しかし、揚北に籠っていては、武士としての学びが足りなかろう。ここ越後府中にて武士としての学問と武芸を学んでみたらどうだ。ここ越後府中には強い奴らが多くいるぞ。きっと良い刺激になるはずだ。生活の心配は要らんぞ。全て儂が持とう。城下に空いている屋敷もある。武芸や学問の師となるもの達も多いぞ」
千代猪丸は景虎からの提案に驚きの表情をする。
「確かに素晴らしきお話にございます」
「ならば、さっそく・・」
「ですが、いま揚北を離れる訳にはいきません。お断りいたします」
「揚北を離れることはできんか」
「申し訳ございません」
「なぜだ」
「そ・それは・・今は言えません」
「揚北を離れたら全てを失うと考えているのか」
景虎は、千代猪丸を見つめる。歴史通りなら、父親の13回忌法要を利用して謀反人である叔父小川長資を討つことで、居城である本庄城と本庄家の実権を取り戻すことになるはずだ。
景虎の言葉に視線を逸らす千代猪丸。
「そ・そのようなことは」
「小川長資を自力で討ち取ることを考えているのであろう」
その言葉に千代猪丸は驚愕の表情を見せた。
「なぜ、そのことを」
「馬鹿者。丸わかりだ。本当に仇打ちの本懐を遂げたいならば顔に出すな。言動にも出すな。その様なそぶりを微塵も見せるな。お主は感情を表に出しすぎる」
「叔父に知らせるのですか」
「揚北本庄家の内輪だけのことであれば何も言わぬ」
「なぜでございます」
「お主は儂の下に来れば、必ず越後屈指の武将になると考えているからだ」
「私が越後屈指の武将にですか」
「そうだ。それ故、この越後府中で学び切磋琢磨することで、それにより一層磨きがかかると思っている」
「で・ですが」
「どうしても仇が打ちたいなら、怒りと憎しみを顔に出すな。視線にあらわすな。発する言葉にも気をつけよ。お前の全身からやるせない怒りが滲み出ているぞ。それではいつまで経っても相手の警戒心は解けぬ。警戒心が解けぬ以上は相手は油断しないぞ。仇を打てるまで愚者となれ」
「愚者でございますか」
「お前が無害な奴だと心を許すまで愚者となれ。そして全てが終わったら儂の下に来い。武将としてのイロハと心構えを叩き込んでやろう」
「よろしいのですか」
「かまわん」
千代猪丸はしばらく考え込み、やがて両手を床につけ頭を下げた。
「必ずや本懐を遂げ景虎様の下に参ります」
「ならば、土産をやろう」
「土産ですか」
「実綱」
景虎は直江実綱を呼ぶ。
直江実綱が三宝にのせた黄金の銭を持ってきた。
「実権を奪われ、何かと手持ちが心細かろう。京目一両の黄金の銭を100両与えよう。叔父小川長資に知られぬように持ち帰れ」
「よろしいのですか」
「かまわん」
「この黄金を貰い、もしもこのまま私が来なければどうするのです」
「儂の目が節穴であり、お前もその程度だということだ」
「よろしいのですか」
「くどい。かまわんと言っている。供回りの者を呼びこっそり持ち帰れ。叔父が何か聞いてきたら、儂から十五歳になったら越後府中に出仕せよと言われたとでも言っておけ」
「承知いたしました。ありがたく頂戴いたします」
千代猪丸は黄金100両を手に揚北へと帰っていった。
景虎は揚北に楔を一つ打ち込めたことに満足していた。
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