第56話 名跡を継いだ者たち

雪解けが始まったばかりの越後府中春日山城。

春日山城には越後国衆と景虎に従う信濃国衆が集められている。

さらに今回は,越後上杉家の譜代家臣たちも集められていた。

春日山城の広間は多くの人で溢れている。

そこに集まった人々は小声で盛んに噂話をしていた。


『何が起きているのだ。守護上杉定実様が亡くなり,葬儀が終わったばかりであろう』

『どうやら京の都におられる将軍様から御命令が下されたようだ』

『御命令?戦乱の絶えない京の都に軍勢でもよこせと言われたのか』

『どうやら,景虎殿に越後上杉家の名跡を継げとの御命令のようだ』

『なんだと,景虎殿に越後上杉家を継がせるのか』

『上様から景虎殿に,越後上杉家を継ぐようにとの御命令が書かれた,直筆の御内書が出されたそうだ』

『なんと,直筆の御内書が出されたのか』

『今までそのようなことで御内書は出されたことは無いぞ。本当なのか』

『本当だ。だから京の都でも話題になっていると聞いたぞ』

御内書とは、もともと足利将軍が私的に出す公文書であったが、やがて足利将軍の命令書のような性格を持つ文書となったものだ。

『我ら武家の頂点に立つお方からの御命令だ。朝廷もすでにお許しになられたそうだ』

『だが,越後上杉家の縁者は黙っているのか』

『流石にたかが片田舎の国衆程度で、上様と朝廷に喧嘩を売る馬鹿はいないだろう。誰も子々孫々末代まで朝敵・幕府御敵にはなりたくはないだろうからな』

『それはそうだが』

『それに為景殿を上回ると言われる武勇を持つ男を敵に回したくもないだろう』

『確かにそうだな。あの戦ぶりは恐ろしいほどだ。背筋が寒くなってくる』

『それに景虎殿直属の旗本衆は2万を超える。そんな相手に戦いを挑む馬鹿はいない』


皆が盛んに噂話をしているところに景虎が入ってきた。

景虎の姿に気がついた国衆たちや上杉家譜代家臣たちは一斉に口を閉じ頭を下げた。

景虎はゆっくりと進み,やがて上座中央に座る。

そしてゆっくりと集まった国衆と上杉家譜代家臣たちを見た。

「よくぞ集まってくれた。大儀である」

景虎の声が広間に響き渡り,国衆や上杉家譜代家臣は緊張した表情をしている。

「この度,幕府将軍足利義藤様より,この景虎に対して御命令が下された。越後上杉家の名跡を継げとの御命令である。将軍様は我ら武家の頂点であり頭領である。そのお方からの御命令である。儂はこの御命令に従う所存である。これに異議のある者はいるか。異議のある者は,上様の御命令に背く幕府御敵である」

春日山城の広間は静まり返ったまま誰も何も言わない。

しばらくすると最前列にいる重臣直江実綱が声を上げた。

「我ら一同,景虎様の越後上杉家継承に異議はございません。誠にめでたきことと存じます」

直江実綱の声が広間に響く。

「よかろう。ならばこの長尾景虎は,名を改め本日ただいまより名を上杉景虎と改めることとする。同時に上様より越後国国主を仰せつかった。つまり今より儂は越後国国主・上杉景虎である」

「我ら一同。上杉景虎様に終世忠節を尽くすことをお誓いいたします」

直江実綱の声に合わせ国衆や譜代家臣たちも景虎に忠節を誓う言葉を一斉に唱えた。

「皆の忠節に嬉しく思うぞ。必ずや儂は越後と信濃を日本一豊かで強い国にする」

生まれ変わる前は,関東管領山内上杉家家が途絶えるところで,山内上杉家上杉憲政の名跡を継いだ。

しかし,此度は本来無かった越後上杉家の名跡を継いでいる。

景虎は確実に歴史を大きく変えつつあることを実感していた。

そして,力強く宣言する景虎を見つめる兄・晴景は嬉しそうにしているのであった。


ーーーーー


会津にある黒川城(会津若松城の前身)は、代々蘆名家が居城として来た城である。

若き会津の盟主である蘆名盛氏は,黒川城内で家臣からの報告に少々渋い表情をしている。

「越後守護代長尾景虎が越後上杉家の名跡を継いだか,しかも上様の御命令だと」

「直筆の御内書まで出され、同時に越後国国主の許可も同時に出されたようです」

「分かった。ご苦労であった」

報告の家臣が部屋を出ていく。

入れ替わるように,部屋の中に盛氏の父である蘆名盛舜あしなもりきよが入って来た。数年前に蘆名の名跡を盛氏に譲り隠居。現在60歳をすぎ,ますます元気いっぱいの様子である。

「盛氏。越後国国主長尾景虎は・・いや,すでに上杉景虎であったな。伊達稙宗殿の策を潰した兄の晴景同様なかなか手強そうだな」

「父上」

「だが、焦りは禁物だぞ」

「焦ってはおりませぬ」

「越後国蒲原郡一帯を手に入れるため,伊達稙宗殿を真似て養子を送り込もうとしているが,うまくいかないのだろう」

「うまくいけば儲け物程度ですよ。簡単にいくとは思っていません。我らの主たる狙いは奥州。何かと敵対する二階堂や田村を抑え込み、奴らを我ら蘆名が飲み込めるかどうかの方が重要。越後はあくまでもついで」

「分かっておればいい。しかし,稙宗殿の策が上手く行き伊達の精鋭100名が越後に行けば,その隙をついて我らが蜂起して伊達を倒し,今頃は我らが奥州の全てを手に出来たものを残念なことよ」

「おそらく長尾晴景と伊達晴宗。この二人に伊達稙宗殿の狙いと、我ら蘆名の狙いが感づかれたのでしょう。伊達稙宗殿が最も油断する時を狙って見事幽閉に成功しましたからな」

伊達晴宗による父・伊達稙宗幽閉により奥州諸大名が入り乱れて戦う天文の乱が勃発。

蘆名家は最初は伊達稙宗を支持していたが、途中から伊達晴宗に鞍替えした。

その結果、伊達晴宗が勝利することになる。

伊達晴宗が伊達家を掌握するが,その代償として奥州の諸大名が伊達の楔から脱して,戦国大名として独立することになってしまっていた。

蘆名家の晴宗支持で晴宗が有利になったことから、蘆名家は強気で交渉に臨み、伊達から多くのものを得ることになった。

「だがその代わり,伊達から多くの権利をもぎ取り,伊達の楔から脱することができた。とりあえずこれで良しとするか」

「何事も過ぎれば足元を掬われますからな」

「ところで盛氏。稙宗殿を真似るのなら側室をもて,正室一人だけで万が一があったらどうするのだ」

「側室を持っても、家督をめぐってお家騒動が起きれば意味がない。お家騒動の元になる側室はいらん」

蘆名盛氏の正室は伊達稙宗の娘であり、盛氏は他に側室や妾を一人も持たなかった稀有な武将である。

「盛氏。勝手なことを言うな。全ては蘆名家を守るためだ。血縁者が少なければ蘆名家は滅ぶぞ」

「父上。必要と判断したらその時考える。今は必要無い。ただそれだけだ」

「しかしだ」

「家臣たちの子のうち、家督の継げない者も多い。女子も多かろう。そのものたちを儂の養子にして送り込めばいいだけだ。なんの問題も無い。越後国は焦らず徐々に食い込むことでいい。今は目の前の敵である二階堂と田村だ」

蘆名盛氏は父・盛舜の言葉を聞き流しながら次の手立てを考えるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る